青木源太「1軒15〜30分でハシゴ」みのさんの酒豪伝説語り「常人知ることない世界生きた人」

0

2025年03月05日 09:45  日刊スポーツ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊スポーツ

青木源太アナウンサー

フリーアナウンサー青木源太(41)が5日、インスタグラムを更新。1日未明に80歳で亡くなった、キャスターみのもんたさん(本名御法川法男)を追悼しつつ、みのさんの“伝説”を明かした。


青木は3日、自身がMCを務めるカンテレ「旬感LIVE とれたてっ!」(月〜金曜午後1時50分=関西ローカル)で「僕、日本テレビに入社して、初めてついたレギュラー番組が、みのさんの番組だったんですよ」と振り返り、、みのさんから「男性アナウンサーは、芽が出るまでに10年かかるから、しっかり努力しなさい」と声をかけられたと明かした。


インスタグラムでは、改めて、そのエピソードを紹介した。


「銀座にも何度か連れて行っていただきました。みのさんは酒豪だったので、流儀とかこだわりがたくさんありました。色んな逸話が飛び交っていますが、僕が実際に直接見たもの、覚えているものだけ、伝説として書き記しておきます」


みのさんの東京・銀座での“飲み伝説”をつづった。


<1>グラスに氷を敷き詰めてウイスキーを入れ1分待つ 飲みの席に着くと、ブランデーグラスにクラッシュアイスを敷き詰めて、そこにウィスキーをなみなみと注きます。すぐに飲んではいけなくて、1分くらい待ちます。するとグラスに霜がつきます。そうなれば飲み頃ということで、皆でこれを一気に飲み干します。みのさんは「こう飲むのが上手いんだよな」と言いますが、僕は味は全く覚えていません。(あれを飲んじゃうともう無理)


<2>飲むのはブランデーじゃなくウイスキー そしてこれに関しては、よく聞く伝説だと「ブランデーを飲んでる」となっていますが、僕が直接見た範囲で言うと「ブランデーグラスに注いだウィスキー」でした。ウィスキーに関しては、スコッチウィスキーへのこだわりも随分と教えていただきましたが、その内容は全く覚えていません。(あれを飲んじゃうともう無理)


<3>店は15分〜30分でハシゴ お店は、1軒あたり15分〜30分でハシゴしていきます。店に入り席について、お店の方や周りのお客さんとご挨拶して、少し皆でしゃべったら、ひざを打ち、「よし、次行こう!」となります。聞いてみると、「僕は銀座をパトロールしてるだけだから」と話していました。


<4>3時起きなので22時には帰宅 みのさんは翌日も朝3時起きなので、「僕は先に帰るから、みんなでもう少し飲んでなさい」と言って、22時には帰路につきます。お店の方々と一緒にお見送りのため外に出ると、車に乗り込んだみのさんは、後部座席の窓を開け、「まだ飲みたいよぉ〜」と言いながら泣き真似をして手を振ります。その様子を見つけた銀座の通行人も「あっ、みのさんだ!」と言って、一緒に手を振ります。こうして銀座の街をあげて、みのさんを見送っていました。


青木は「当時の僕は、『テレビ界の重鎮はこんな人ばかりなのか! すごいなぁ!』と思っていました。でも、あれから20年この業界にいますが、後にも先にも、こんな人はみのさんしかいませんでした」と振り返った。


一方で「この僕の文章を、もしかしたら、若いアナウンサーが読んでいるかもしれません。僕が今、そんな若いアナウンサーに声をかける機会があったとしても、『10年腐らず努力しなさい』とは言えません」とも言及。「時代の波はすごい勢いなので、10年も経てば業界地図も何もかも変わってしまっていそうだからです」ともつづった。みのさんから授かった“金言”通り、10年耐え忍ぶには、現代の時の流れは早すぎるとも指摘した。


その上で「でもどうだろう。みのさんだったらやっぱり『10年腐らず努力しなさい』と言う気がしてなりません。そして「吉川英治の『宮本武蔵』の結びには、『波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に雑魚は歌い、雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう。百尺下の水の心を、水の深さを』と、あります。」と名著の一節を紹介。


「きっと僕は雑魚なんだろうな。悩みも小さいし、すぐ人と比べるし、人生経験も胆力も遠くみのさんには及ばないし。今後も絶対に追いつけない、常人では知ることのない世界を生きた人だと思います。合掌」と記し、みのさんの死を悼んだ。

    ニュース設定