「あいつには負けない」三浦友和 若手時代に“弟俳優”へ語っていた水谷豊へのライバル心

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2025年03月07日 06:11  web女性自身

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「当時、百恵ちゃんと友和さんは、じつはカップルなんじゃないかっていう噂は流れていましたが、きちんとした報道はありませんでした。けれど僕は、二人がすでに恋愛関係にあったことを、交際報道より前に知っていたんです」



こう語るのは、俳優の水野哲(60)。’67年にデビューし、石原裕次郎主演の『太陽にほえろ!』(’72年)や竹脇無我主演の『鞍馬天狗』(’74年)などのテレビドラマに多数出演した、超売れっ子の子役だった。現在ではロックミュージシャンとして音楽活動に励む傍ら、劇団の主宰者として演出やプロデュースも担当している。



’80年3月7日に三浦友和(73)と百恵さん(66)が、いまや伝説ともなった婚約会見を開いてから45年がたつ。



その前年の10月、百恵さんはコンサートで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と宣言し、世間に大きな衝撃を与えた。婚約会見で芸能界引退も発表してから7カ月後の’80年の10月5日、百恵さんは日本武道館で行われたラストライブを最後に、多くのファンに惜しまれながら芸能界を後にしたのだ。



水野は、友和と百恵さんの双方と共演経験を持つ。当時8歳だった水野はドラマ『シークレット部隊』(’72年)で友和と初共演し、ドラマ『ひまわりの道』(’76〜’77年)では、約半年にわたって友和と兄弟役を演じた。



同じころ、水野はドラマ『美しい橋』(’77年)で、当時トップアイドルに上り詰めていた百恵さんの姉弟役で共演を果たしている。水野は、友和との出会いについてこう語る。



「僕は『シークレット部隊』で初めて友和さんとお会いし、次に’76年から『ひまわりの道』というドラマで友和さんと共演させていただきました。『ひまわりの道』の撮影当時は、友和さんが25歳ぐらいで、僕が12歳ごろ。10歳以上離れていたのですが、とてもかわいがってくれました。



4人きょうだいという設定で、長男が友和さん、次男が僕、そして次女が友和さんの実姉の三浦弘子さん(当時・牧陽子)でした。



全29回のドラマでしたので、日常のことや冗談、演技論まで、友和さんと弘子さんとは、撮影現場でしょっちゅう話をしていました。『ひまわりの道』の収録が終わってからも、友和さんの撮影現場に遊びに行ったり、弘子さんに六本木に連れていってもらったり、仲よくしていました。



当時ずっと欲しかった4万円ぐらいのポルシェのラジコンがあったんですが、友和さんが『俺があげるよ』と誕生日でもない日に突然プレゼントをもらって感激した覚えもあります。ハカランダ材を使った特注のフォークギターをプレゼントしてくれたこともあり、ギターにサインを書いてくれたほどでした。友和さんは故・宇津井健さんを俳優として非常に尊敬していたようで、また『俺のライバルは水谷豊と草刈正雄だ』とも話していました」



水谷がテレビに映ると、友和は「あいつには負けない」と語っていたという。ちなみに、百恵さんの代表作として知られる赤いシリーズでは、第4作の『赤い衝撃』には友和が、第5作の『赤い激流』には水谷が出演している。



その当時から友和は寡黙でまじめな性格だったと水野は話す。



「すごくストイックで、共演者やスタッフとの飲み会が開かれるという話を聞いても“俺は先に帰るから”と言って、お金だけ置いて帰る。淡々としているけれどすごく真っすぐな人でした」

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