San-Ei Gen with B-Maxを指揮する本山哲監督 3月8〜9日に鈴鹿サーキットで行われた全日本スーパーフォーミュラ選手権第1・2戦。開幕から1イベント2レース制となったこの週末、予選ではいずれも野尻智紀(TEAM MUGEN)が速さを見せつけ、1996年に始まったフォーミュラ・ニッポン〜スーパーフォーミュラと続く国内トップフォーミュラの歴代ポールポジション記録に土曜日に並ぶと、日曜日には単独首位となる21回目の栄誉を手にした。
これまでの『20回』という記録を保持していたのは、本山哲・現San-Ei Gen with B-Max監督だ。日曜の第2戦予選後、「非常に嬉しいです。本当、本山哲さんを見てかっこいいなと思っていましたし、壁はものすごく高くて」と野尻は語っていたが、記録を破られた側の本山監督は、どう感じたのだろうか。
■野尻に見る「レーサーに一番必要な条件」
第2戦予選後にSan-Ei Gen with B-Maxのピットへと向かうと、そこでは今季ルーキーとして参戦する小出峻、村井寛太エンジニアとともに、長い間話し込む本山監督の姿があった。デビュー戦となった小出は2戦連続で予選Q2進出を果たす速さを見せたが、この日のQ1からQ2ではやや失速しており、予選の振り返りと決勝に向けた確認を念入りにしていたものと思われる。
やがて輪が解けたところで本山監督にポール記録更新の話を向けると、「何も意識してない(笑)」とあっさりとした答え。
「まぁ野尻は本当に予選一発は上手だな、というのは見ていてずっと思う。いいドライバーになったよね」 1996年から13シーズンにわたって参戦し、実に4度のタイトル獲得を誇る“帝王”は、当時の予選への意識について「もちろん、ポールを獲りたいというこだわりは人一倍強かったけど、クルマ作りを含め、やっぱりレース重視なところが強すぎて、予選一発が出ないクルマだった」と振り返る。