「ガッポリ建設」小堀敏夫さん(57歳) ドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ系)に出演し、“クズっぷり”が話題になったお笑いコンビ「ガッポリ建設」の小堀敏夫さん(57歳)。
ギャンブル好きが高じて所属事務所をクビに。「お金持ちの女性と結婚して芸人を続けたい」と婚活をするも、結婚相談所の会費の未払いなどで退会。弟子の芸人・魔法使い太郎ちゃんに借金したところ、急に「ラーメン屋になりたい」と思いつく。相方の室田稔さんに土下座しながら開業資金として100万円の借金をお願いするが、修行予定だったラーメン屋の初日に遅刻してしまう。その後は頭を丸めて「お寺に出家」。しかし、わずか2日で脱走してしまい、放送は終了した……。
TVer/FODの見逃し配信再生数は、番組史上2番目を記録し、小堀さんは“クズ芸人”として確固たる地位を築いたといっても過言ではない。
そこで今回は、小堀さんにインタビューを敢行し、全3回にわたってその素顔を紐解いていきたい!(全3回の2回目)
◆ロック好きな営業マン「落語は聞いたこともなかった」
小堀さんは、そもそも「芸人にはなる予定はなかった」という。一体、どういうことなんだろうか?
「俺はさ、ロックンロールが好きなのよ。ジョン・レノンとか忌野清志郎が好きで」
芸人になる前は一般企業で営業マンとして働き、休日に上野のアメ横までスカジャンを買いにいった小堀さん。その帰り道で迷子になり、たまたま鈴本演芸場が目に入ったそうだ。
「人生で落語なんか聞いたことなかったけど『見てみるか!』と思って」
そこでのちに師匠となる三遊亭圓丈さんが、代表作「悲しみは埼玉に向けて」を披露していた。
「ネタの中に『僕は足立区に住んでいまして』という一文があるんだけど、それに呼ばれた気がしたんだよね(笑)」
ひと通りの演目が終わり、小堀さんは劇場の近くの電話ボックスへ向かった。
「あの頃は携帯もないから、電話ボックスで電話帳を開いて。『東京都足立区』で『三遊亭圓丈』が出てきて、“この人の弟子になろう!”って直感で思った」
なんと、電話帳の足立区のページに「三遊亭圓丈」の屋号で電話番号が載っていたという。
◆トントン拍子に三遊亭圓丈の弟子になったが…
小堀さんは翌日、勤めていた会社に辞表を出した。
見事、小堀さんは三遊亭圓丈さんの弟子になることができたが、落語家への道はそう簡単ではなかった。
「古典落語は勉強が必要で、繰り返しやらなきゃいけないから、向いてなかったんだよね(笑)。漫談や新作落語は師匠にウケたんだけど、寄席のちょっと年配のお客さんにはウケない、本当難しいのよ」
◆「ガッポリ建設」結成秘話。ワハハ本舗の社長から「天才だ!」
同時期、現在の相方である室田稔さんも落語家を志していたが、あまりハマっていなかったという。そんなとき、たまたま2人で一緒にやってみたコントが大ウケ。まだ「ガッポリ建設」というコンビ名も決まっていない状態から、深夜番組のオーディションに合格した。
「なんかガッポリっていいじゃんみたいな感じで。最初は『ガッポリ組合(仮)』とかもあったなぁ。若いからイージーなのよ、全てが」
お笑いブームが来る前だったことから、事務所に所属することは簡単だったんだとか。
「いくつか事務所をまわっているときに、ワハハ本舗に行ったの。そしたらさ、社長(喰始さん)が俺を『天才だ!』って大興奮しちゃって、所属することになったの」
本人は「俺はそんなことを言った覚えがない!」と否定しているようだ。ともあれ、所属から1年で大人気番組「エンタの神様」(日本テレビ系)への出演が決まる。
◆「エンタの神様」に出演するも、視聴率を4%下げて…
「俺らってインパクトあるでしょ? 1回出たら、他の奴らが5回出たくらいのインパクトだったと思うよ」
ガッポリ建設のネタは会場でウケていたのだが、なんと「俺らが出ると視聴率が4%も下がったんだよ」と話す。
「笑いは起きているのに、俺らで視聴率が下がって、むしろCMの方が視聴率が高かった(笑)。陣内智則さんとか、コウメ太夫、桜塚やっくんとかは必ず視聴率が上がって、俺らは必ず視聴率が下がるみたいな。それでクビになっちゃって」
◆パンダの格好をしてゴロゴロするネタで月収100万円に
「エンタの神様」に呼ばれなくなり、収入がキツくなったという。そこで救ってくれたのが「あらびき団」(TBS系)だった。
「相方と2人で『パンダーズ』っていうパンダのモノマネをしたのが、東野(幸治)さんにハマったのね(笑)。パンダのモノマネなんて、普通に考えてありえないでしょ? ただおじさん2人がパンダの格好して、笹の葉くわえてさ、ゴロゴロしているだけなんだから」
予想以上に「パンダーズ」は大ヒット。月収100万円を超え、ガッポリ建設は上り調子だった。しかし、そんなタイミングで東日本大震災が訪れた。
◆東日本大震災で「世の中の風潮が変わってしまった」
小堀さん曰く「東日本大震災以降、世の中の風潮が変わってしまった」という。
「今まで以上に“頑張っている人を応援する”という風潮に変わった。もちろん、あれだけの被災者が出ているから当然なんだけど。『パンダーズ』なんて何も頑張っていないんだからニーズがなくなるのよ」
「ガッポリ建設」というコンビ名さえも「不謹慎だ!」と言われてしまったんだとか……。
「仕事が激減する中でもボランティアの仕事とかあったんだけど、そこで『ガッポリ建設です!』って、もうおかしいよね(苦笑)。名前からして不謹慎とか言われちゃってさ」
◆月収はひと桁で糊口を凌ぐ日々
仕事はどんどん減っていき、当時すでに結婚していた室田さんも「お金がない」とこぼすようになった。室田さんは「5000円のギャラをもらって3000円貯金するような男」らしく、小堀さんも「室田が『金がない』というのは本当にヤバい」と危機感を覚えたんだとか。
「いちばんヤバかったのは、月給が7万円だった時よ! もうさ、そんなの食っていけないじゃん! 仕方ないから、その頃に住んでいたアパートの裏のお寺の木になっていた柿や杏、びわを食って生きのびることにしたの」
それは窃盗では……?
小堀さんは「和尚もほぼ公認だった」と不敵に笑い、こう続けた。
「もともと、お寺に植えてある果物の木は、旅人の飢えをしのぐためのものだから良いんだよ!って、まあそれは江戸時代の話だけどね!」
それでも激痩せしてしまい、病院に行くとまさかの栄養失調だったようだ。
「もう痩せすぎてさ、ことの顛末をネタにして『柿厳禁です!』とか言っても全くウケない。困ったなあと思って、普通の人間だったら普通はバイトするじゃない? でも俺は、ここでギャンブルを本気でやることにしたワケ」
◆食っていくために「本気でギャンブルを始めた」
昔からギャンブルは大好きだったようだが「勝つためにはやってなかった」そうで、仕事が枯渇してからは「食っていくためにギャンブルを始めた」と話す。普通に働けばいいのに……。
「昼はパチスロ、夜はギャラ飲みにふけったね。昔はさ、パチンコ屋がオープンして最初の2週間は絶対に出たのよ。だから早起きして茨城とかまで遠征したり」
本業では遅刻をするのに、パチンコの遠征では「寝坊したことがない」と豪語する。ここまでくると、話を聞いていて気持ちが良くなってくるから不思議だ。
そんな芸人とは言い難い生活をしていたところ、まさかの「ザ・ノンフィクション」から出演オファーがきたそうだ。
◆“芸人”という職業に救われた
小堀さんの放送回は大反響を呼び、放送直後はGoogleで「小堀」と検索すると、真っ先に「クズ」と出てくるようになっていたそうだ。
「2丁拳銃の小堀(裕之)さんと俺が2大クズみたいに出てくるから、笑っちゃうよね。でも全てネタじゃなく本当の話。本当にザ・ノンフィクションはノンフィクションすぎて、大変なんだけど、俺なんかを取り上げてくれて感謝している。なんだかんだ撮影は楽しいし、誹謗・中傷もすごいけど、オンエアを見た芸人仲間から『面白かった!』って言ってもらえると嬉しいよね」
たくさんの苦境を乗り越えてきた小堀さんだが「芸人を辞めるつもりはない」と、真面目な顔で語る。
「どんな状況になっても芸人は辞めない。この仕事があったから、俺が“人”としていられるというか。“芸人”という職業がなかったら怖いよ。
なによりテレビに出ると信用が生まれて借金しやすくなるし、ギャラ飲みのオファーが増える。最高だよ!」
最後まで「クズ節」でまとめてくれた小堀さん。クズなのにどこか憎めないところが彼の魅力だろう。
<取材・文・撮影/吉沢さりぃ>
【吉沢さりぃ】
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720