『アルプス席の母』早見 和真 小学館 BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2025」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、早見和真(はやみ・かずまさ)著『アルプス席の母』です。
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2024年、新たな高校野球小説の傑作が誕生しました。それが今回紹介する『アルプス席の母』です。同書の新鮮な点のひとつは、主人公が「高校野球児の母」であるところ。物語は、夫を事故で亡くし、一人息子の航太郎を女手ひとつで育てる秋山菜々子の視点で語られます。
湘南のシニアリーグで活躍していた航太郎は、関東一円の高校からスカウトがあったものの、声をかけられなかった甲子園常連校を倒すことを夢見て、大阪の新興校「希望学園高校」に入学することを選びます。寮生活となった航太郎のそばに少しでもいたかった菜々子は、自身も大阪に拠点を移すことを決意。看護師として再就職先を見つけ、新たな生活をスタートさせましたが、そこで菜々子を待っていたのは想像以上の試練でした。
異文化の土地での暮らしが大変なのはさることながら、菜々子を疲弊させたのが理不尽な父母会の掟や陰湿な保護者たちです。揚げ足取りのようなことばかり言われ、いじめに近い仕打ちをされても、息子のことを考えると耐えるしかない。
いっぽう、頻繁に会えない息子は目にするたびにどんどんと痩せていくうえに、当初は有望選手として一年生で大会にレギュラー出場していたけれど、肘の故障で選抜から外れることに......。それでも、チームのムードメーカーとして明るく盛り上げる息子を信じて見守るしかない母。こうした中、菜々子も徐々に味方や仲間を得て強くなっていきます。
特に、同じ高校野球児の母として、シングルマザーとして、互いに固い絆で結ばれるのは、一般入試から野球部に入った陽人の母・香澄です。高校野球児と同じく、その親にもそれぞれのドラマがあり、航太郎たちの高校三年間は菜々子や香澄にとって第二の青春だったと言えるでしょう。子どもを持つことは、さらなる悩みや葛藤を抱えることにもなりますが、母だからこそ見える景色があることを同書は教えてくれます。
人生は諦めなければ報われる、そんな簡単な世界じゃないことを私たちは百も承知です。それでも、夢を叶えるために懸命に生きる航太郎や菜々子の姿に、読者は自然と大声で「負けるな、行けー!」と応援したくなってしまうはず。同書はこれまでにない高校野球小説として、読む人の心にさわやかな風をもたらしてくれるでしょう。
[文・鷺ノ宮やよい]
『アルプス席の母』
著者:早見 和真
出版社:小学館
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