左から荒牧伸志、前田真宏。アニメーション監督の荒牧伸志と前田真宏のトークイベントが、「第3回新潟国際アニメーション映画祭」の一環として去る3月15日に新潟のシネ・ウインドで開催された。
【大きな画像をもっと見る】■ “CGアニメ”ではなく“アニメCG”
このトークイベントは映画祭のプログラムの1つ「日本のアニメCG その転換期」の上映前に行われたもの。「日本のアニメCG その転換期」では1998年の前田監督作「青の6号」、2001年の坂口博信監督作「FINAL FANTASY」、2002年の神山健治監督作「ミニパト」、2004年の荒牧監督作「アップルシード」、2015年の静野孔文監督作「劇場版 シドニアの騎士」がスクリーンにかけられた。トークイベントの司会は映画祭のプログラムディレクターでもある数土直志氏が務めた。
数土氏はトークに入る前に、このプログラムを「日本のアニメCG その転換期」という、“CGアニメ”ではなく“アニメCG”というタイトルにしていることを強調。“アニメにおけるCG”の転換点になった作品を取り上げるという主旨のもと、いち早くCGをアニメに取り込んだ「青の6号」、フルCGの長編アニメが日本でもできるという驚きをもたらした「アップルシード」、CGを使いながらも“セルっぽい”味を出した「シドニアの騎士」など、セレクトのポイントを改めて説明した。
荒牧と前田は面識こそあるものの、「話すのは20〜30年ぶり」「こんなにちゃんと話をするのはほとんど初めて」と、かつての交流を振り返り笑顔を交わす。仕事での接点はほとんどなかったという2人だが、数土氏は「おふたりとも学生時代から活躍し始めて、メカデザインで業績を残して演出に進んでいる。経歴が非常に似ているのでは」と指摘し、それぞれのキャリアをたどっていった。
■ 「オタク」も「アニメ」もない頃から「テレビまんが」が大好きだった
大学在学中に貞本義行とともに「超時空要塞マクロス」に参加した前田は、そのときのレイアウト修正からアニメ業界でのキャリアが始まったと振り返る。前田はさらに在学中に「風の谷のナウシカ」に参加するが、「ナウシカ」以前にも宮崎駿とともに仕事をしたいという思いでテレコム・アニメーションフィルムの入社試験を受けたという。「『マクロス』のときはマンガの延長というか、平面のグラフィックとして描いていたのが、『ナウシカ』に参加したらすごく怒られて。コンテから情報を読み取って、どんな空間で奥行きがどのくらいあって、キャラクターが何メートルを何歩で歩くかちゃんと考えろ、と」と印象的なエピソードを語った。早々とアニメ業界に足を踏み入れた前田だが、スタジオジブリの前身であり、「ナウシカ」を手がけたトップクラフトは1フロアにアニメーション制作の各セクションが揃っていたそうで、「勉強させてもらった」と回顧した。
前田はその後、ともに「ナウシカ」の現場に参加した庵野秀明らの立ち上げたガイナックスへ参加。ガイナックスを離れてフリーランスとなるが、1992年には仲間たちとゴンゾを立ち上げる。「仕事はすごく面白かったんですが、自分の好きなことをしたいなと思って会社を離れて。でも、個人の力って限りがあるんですよね。同時期に辞めた樋口真嗣は実写に強いし、同業の山口宏がシナリオライターをやっていて、『みんなで集まったら楽しいんじゃない?』で始まった」とゴンゾのなりたちを振り返った。
前田は自身について「オタクの第一世代というか、『海のトリトン』とか『宇宙戦艦ヤマト』とかすごく大好きで、入り口は絵だった。でも、俺も『宮崎さんみたいな仕事がしたい!』って思うじゃないですか(笑)。その勘違いをずっと続けて、『青の6号』の話が来たときに乗っかっちゃった(笑)。最近すごく思うのは、自分の本質は“絵を描くのが好きな人”」と評す。そんな前田は2月に「雑 前田真宏 雑画集」を上梓したばかり。なぜこのタイミングで出版したのかという問いに、「家が手狭なので、絵を捨てなきゃって。それを口走ったら、同僚が『もったいないですよ、捨てる前にまとめましょう』って話をしてくれて。“オタク”って言葉も、“アニメ”って略語もないときから、“テレビまんが”が大好きで育ってきて、そういう自分の来し方を本にまとめるのは、案外面白いのかなと思ったのがきっかけです」と続けた。
■ 見よう見まねでアニメを作った学生時代
一方、「設定とかラフ、“スタッフがわかればいいや”という絵しかないので、昔の絵は全然持ってない」という荒牧。岡山大学在学時、本人いわく「見よう見まね」でアニメを自主制作し、その後上京。1983年より放送された「機甲創世記モスピーダ」では20代前半にしてメカデザインを手がけているが、この登用には自身と同じく1960年生まれの河森正治が前年「超時空要塞マクロス」のバルキリーを手がけていたことが大きいとし、「河森正治の作った世の中の空気に乗っかったんです(笑)」と控えめに語った。
「見よう見まね」でアニメを自主制作した経験が、自身にとって非常に大きかったという荒牧。「コンテというのを作らなきゃいけないらしいというので、アニメージュの付録の『未来少年コナン』のコンテを見てコンテを描いて、動かし方がわからないのでハウツー本を買って、『伝説巨神イデオン』をコマ送りして観て、作画して、画材屋でセルを買って手描きでトレスして、足りない色は調合したりして……そのときにある程度ノウハウができた。東京に来て仕事したら、やってることが基本的には変わらない。自分で見つけた方法が、意外と間違ってなかった」と振り返り、「そのときにワークフローをどうしていけばみんなが働きやすいか、その結果いい作品が作れるか、そういうのを考えるのが楽しくなった」と、演出の仕事にもつながっているのかもしれないと述べた。
「青の6号」のCGについて話題が移ると、前田はそれ以前に「マクロス」のゲームに携わった経験や、3Dディレクターを務めた鈴木朗の功績が大きかったと語り、「自分が何かしたというよりは、そのとき集まってくれた人たちのおかげでできあがった」と述べる。手描きとCGのハイブリッドになっていったのは、「『アップルシード』ではCGでキャラクターがちゃんとできているけど、ああいうやわらかさみたいなものが、当時はやっぱり難しかった」と説明した。荒牧はフルCGへと進んだきっかけを「最初はアニメーターに複雑なメカを描いてもらうのがしのびないというところから始まって、ある程度思ったところまで行けたので、もっとその先に行こうとした」と振り返る。また「現場のスタッフもほとんど20代で、映像作品の経験もゲームしかないような人が多くて。その中にセンスのいい人が何人もいて、タイミング的にも恵まれてたんじゃないかな」と当時の空気感を伝えた。
■ 前田と荒牧、お互いが羨ましく思うもの
お互いの作品の魅力を聞かれると、荒牧は「前田さんはもうとにかく絵がうまい。そこに尽きる」と画力を絶賛。それを受け前田は「予算の話とかもありますけど、どこかで最終的には自分1人で描けばいいやとか、仕事がなくなったら同人誌を出せばいいかなと思ってる」と話し、改めて“絵を描くのが好き”という芯の部分を感じさせた。メカとコンセプトアートと女の子、「どれを描くのも好き」という前田は「基本的にはイメージの投影なので、メカだけ好きですとかじゃやれなくて。この空間にあるもの、それが世界を表現する。そんなに境目があるとは思っていないです」と語った。
前田から見た荒牧の魅力は「クレバーさ」。「客観的に自分が作っているものを見たり、好きなんだけど1回突き放してみたり、みんなが働きやすいようにフローを考えるとか、そういうことを常々考えられるのは監督ができる人の資質。庵野もそうで、頭の中でソロバンをはじくのが得意なんだけど、でも『やっぱりヤマトが好きだなあ』っていうのがぽろっと出てきたり、そのバランスが素晴らしい。荒牧さんにもそれを感じていて、現役のプレイヤーで、ディレクションの資質も備えていて、得意なフィールドでさまざまなプロジェクトに関わられている」とその仕事ぶりに賛辞を送った。
最後にこれから上映される「青の6号」「アップルシード」の見どころをそれぞれ挙げることに。前田は「青の6号」について「すごく真面目に取り組んでいたので、気持ちは入っているんです。達成の度合で言うと『アップルシード』ほどではないんですけど……」と控えめに述べた後、若松武史が演じたユング・ゾーンダイクの名前を挙げる。「当時、オファーできたのがすごくうれしくて。声がすごく好きでお願いしたんですが、海外メディアのライターの人に『アニメの悪役で一番カッコいい悪役だ』って言ってもらえて、うれしかったですね」と思い出を明かした。荒牧は「途中、主人公が飛び降りながら合体するシーン。あと最後の10分ですね。今でもある程度見どころなんじゃないかな」と自信を覗かせた。
「第3回新潟国際アニメーション映画祭」は3月20日まで新潟市内で開催中。長編アニメーションを中心とした映画祭で、国内外の長編作のコンペティションや、ゲストを招いた上映プログラムが展開される。