海賊王が遺したもの、遺さなかったもの、遺せなかったこと〜ウィーン(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

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2025年03月17日 06:20  週プレNEWS

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小雨降るバンケットからの帰り途

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第99話

20年前に聞いていた音楽から出張が始まり、研究者の仲間との久しぶりの邂逅もあり、ウィーン出張最終日は、初日に到着したときにイメージしていたものとはまったく別の幕引きとなった。

【写真】ウィーンのフォー

* * *

■リブステーキのレストラン

受賞講演(中編)があったその夜、ダニエルやイリ、フランクの研究室のスタッフら、仲の良い友人たちと連れ立って、一緒に夕食に出かけた。ダニエルとイリはこれが初対面。テュービンゲン、ウルム、プラハと、バラバラなところにいる研究者たちが、東京にある私のラボとのつながりから、ウィーンのレストランに集合する。

私が最近お気に入りのYouTubeチャンネルで知ったレストランだったが、そのリブステーキはみんなに好評だった。

そういえば、会場をひとりで歩いていたり、ベンチに座って仕事をしていたりすると、時折声をかけられることがままあった。

私が基調講演をしたのは1年前のことなのに、「あれ、去年基調講演してましたよね?」「G2P-Japanですよね?」「X見てます!」「アジアの国で博士研究員になるにはどうすれば?」などなど、いまだに声をかけてもらえるのは新鮮だった。「特撮ヒーロー(22話)」は、ドイツではひょっとしたらまだ健在なのかもしれない。

■バンケット、そして

3日目の夜はバンケット(晩餐会)。会場に着いて、空いた席をみんなで探していると、そこにある女性が混ざってきた。

彼女の名前は、オヤ・ジンギョズ(Oya Cingoz)。現在はベルリンの、ロベルト・コッホ研究所で働いている。

前編や中編にも登場した、アメリカ・ニューヨーク州のコールドスプリングハーバー(52話など)で毎年5月に開催される国際学会で、毎年顔を合わせるうちに顔馴染みになったひとりである。コールドスプリングハーバーの「腐れ縁」というか、「この会議に行ったら絶対いるやつ」の名前を挙げるとしたら、間違いなく登場するのが彼女だろう。

なにをきっかけに知り合いになったのかも覚えていないし、共同研究に発展するような深い話をしたわけでもない。もちろん男女の仲などではないし、特に仲が良かったわけでもない。ただ、彼女も私も毎年この国際学会に参加していたので、お互いに認知するようになり、会えば必ずなにかしらの言葉を交わすようになっていた。

「コールドスプリングハーバーであなたからもらいタバコをしたことはよく覚えているし、私は8年前にタバコを止めたから。ということは、もう10年近い付き合いということよね、ふうん」とオヤ。

オヤも交えてみんなで話をしていると、彼女が、ベルリンの由緒ある研究機関でポジション(良い役職)を得たのに加えて、イギリス・グラスゴー大学のCVR(Centre for Virus Research、ウイルス研究センター)のポジションも得て、それらふたつのポジションをかけ持ちすることになったという。

――なんと、グラスゴー大学のCVRと言えば、私が2015年に「長期出張」で滞在し、2024年の2月からVisiting Professor(客員教授)を務めることになった研究所ではないか(90話)!

まさに、「What a small world!」である。彼女からその話を聞いた後、その場のみんなで彼女の成功をお祝いし、白ワインで乾杯をした。

バンケットでしたたかに酔い、外に出ると、いつの間にか小雨が降り始めていた。コートのフードを被り、オレンジ色の明かりが灯るヨーロッパの夜道を歩いていると、すこし昔のこと(89話)が不意に想起された。それで私はおもむろにAirPodsを耳にねじ込み、アジアン・カンフー・ジェネレーションの「Easter/復活祭」という、2015年に発表された曲を聴きながら、今日のバンケットの中での会話や、すこし昔のことを思い出したりもした。

15年前に「ラスボス」やダニエルの論文を初めて読んだとき、ダニエルやフランクを訪ねてウルムまで旅したとき、10年前にグラスゴーに「長期出張」したとき、そして、コールドスプリングハーバーでオヤと顔見知りになったときのこと。

■エピソードを正しく、体系的に後世に伝えること

昔は、ある日に起きた出来事を、そのまま伝えることができて、それを共有できる友人たちがいた。時を経るにつれて、その数はすこしずつ減っていき、片手で数えられるほどになり、やがて、それまでの経緯をすべて正しく伝えることができているような友人はいなくなる。つまり、今に至るあるエピソードを体系的に知っているのは、私以外にいなくなる。

つまり、「あの頃にはこんなことがあってね」、というような、個人的には心が震えるエピソードがあったとしても、そのニュアンスを、文脈まで含めて正しく後世に伝えることは難しくなる。

そういう、「『このエピソードを正しく伝えたい、遺したい』と思いつつも、それに至らない」という思いは、先人たちも同じだったのかもしれないと、ホテルまでの夜道を歩きながら、酔った頭で思ったりもした。そこには、先人たちが遺してきたものが間違いなくあることの反面、あえて遺さなかったものや、遺したくても遺せなかったものがあるのかもしれない。

漫画『ONE PIECE(ワンピース)』を読んでいて、「そもそも海賊王ロジャーはなぜ、自分が見たことのすべてを記録に残さなかったのか? その船の副船長であるレイリーは、自分の知るすべてをなぜルフィに口伝しなかったのか? そしてルフィはなぜ、それを知ることを拒んだのか?」、そういうようなことを思ったことがあった。

そうしてしまったら漫画にならないので、と言ってしまえばもちろんそれまでなのだが、しかしおそらく、先人が後世のために、物事のすべてをなにかしらの形で伝えようとしても、それを正しく完璧な形で遺すことはできないのだろう。その情報はなにかしらの形で劣化、あるいは欠落してしまうのだろうし、そうなのであればむしろ、それを伝えようとすること自体が無意味なのかもしれない。

......などというようなことを、ホテルでシャワーを浴びながら思ったりもした。

■学会を終えて

翌朝、7時過ぎに目が覚めた。軽い二日酔いを覚ますために、水道水をグラスで3杯ほどがぶがぶと飲む。

昨夜から降り続いたと思われる小雨が降る中、やはりコートのフードを被り、学会場に向かう。ドイツウイルス学会も、これが最終日。ダニエルやイリ、オヤ。そのほかにも今回の学会で知り合いになった人たちと握手を交わし、最後の挨拶をする。

「Wiedersehen!(ドイツ語で『またね!』)」

こういうのも、国際学会ならではの感慨だったりする。

20年前に聞いていた音楽からこの出張が始まり(前編)、コールドスプリングハーバーでつながりのある旧友たちと会ったからか、10年以上も前の当時のこと(53話)が思い出されたりもして、すこしセンチメンタルな空気が流れる。

数日前、ウィーンに到着したときにイメージしていたものとはまったく異なる旅の幕引き。こういう感覚も、やはり海外出張ならではだったりする。

会場を出ると、雨はあがり、晴れ間が広がっていた。気温も20度近くにまで上がっている。

この学会を終えると、ヨーロッパは「イースター(復活祭)」に突入する。街中には、それを祝うためのタマゴやうさぎの人形を売るマーケットが軒を連ねている。

まだ二日酔いとすこしの胃もたれが残っていたので、ちょうど近くにあったベトナム料理屋に入り、フォー・ボーを注文する。プラハのそれ(41話)とは違い、ウィーンのフォーは、私の胃をやさしくいたわってくれた。

文・写真/佐藤 佳

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