天国のさっちゃん、今も心に=妹の笑顔、「生きた証し」―闘病25年、支えた兄・地下鉄サリン30年

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2025年03月20日 07:31  時事通信社

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家族と訪れた東京ディズニーランドで笑顔を見せる浅川幸子さん(左)と兄の一雄さん(左から2人目)=1991年2月(遺族提供)
 14人が死亡、6000人以上が負傷したオウム真理教による地下鉄サリン事件は、20日で発生30年を迎えた。出勤中に被害に遭った浅川幸子さんは、サリン中毒による重度の後遺症と闘い、2020年に56歳で亡くなった。寄り添い続けた兄一雄さん(65)の心には今も、闘病中に見せた妹の笑顔が刻まれている。

 今年1月末、一雄さんの長女に女の子が生まれた。「さっちゃんが生きていたら、喜んだだろうね」。ふとした時に、幸子さんの話が自然と家族との会話に上る。

 幸子さんは、一雄さんの長男と長女をよくかわいがった。事件前日には小学校入学を控えた一雄さんの長男にランドセルをプレゼントし、夜は一緒に外食に出掛けた。「楽しいね」。一雄さんは家族といる幸せをかみしめていた。

 あの日の朝。幸子さんは勤務先の研修のため、普段の通勤で使わない地下鉄に乗り、事件に巻き込まれた。「助かっても寝たきりの状態。生きているだけで奇跡」。医師からそう告げられた。視力を奪われ、食事や会話も困難となった妹を前に「何としても治ってほしい」という思いと、「なぜ妹が」という悔しさと怒りが込み上げた。

 幸子さんの入院生活は8年余りに及び、一時は寝返りを打ったり、両脇を支えられながら立ったりできるようになった。会話はほぼ単語しか発せないものの、笑ったり悲しんだりする表情も見せた。そんなある日、病院で一雄さんは「迷惑掛けてごめん」と幸子さんが口走ったのを聞いた。「つらかった。そんなことないよ、迷惑じゃないよ、と言うしかなかった」と振り返る。

 事件から10年ほどがたち、一雄さんは顔を出し、実名で取材を受け始めた。「賠償は済んだんだろ」と、まるで犯罪被害者の救済が終わったかのように知人から言われたのがきっかけだった。何一つ解決しない中、事件に対する世間の認識とのズレを感じた。幸子さんも「(取材を)受ける」と了承し、きょうだいで被害の実情を社会に訴えた。サリンをまいた実行犯の裁判も傍聴し、幸子さんは「オウム、大ばか」と憤った。

 しかし、月日がたつにつれサリンは幸子さんの体をむしばんだ。自宅介護を続けていた17年秋、けいれんを起こして再び入院。徐々にやせ細り、事件から約25年後の20年3月10日、サリン中毒による低酸素脳症で生涯を閉じた。亡くなる2週間ほど前、生まれたばかりの一雄さんの初孫の泣き声を動画で聞かせ、「大叔母になるね」と喜び合ったばかりだった。

 幸子さんが天国に旅立って5年。一雄さんは「生きた証しは何だったのだろうか」とたびたび考えた。そんな時思い浮かんだのは、大好きだったディズニーランドに車いすに乗せて連れ出した時などに見せた、幸子さんの笑顔だった。

 「妹の笑顔で僕たち家族も元気をもらった。家族の大切さを教えてくれたのは妹だった」。一雄さんはそう感じている。 

サリン中毒で2020年に亡くなった浅川幸子さんの兄一雄さん=2月7日、東京都内
サリン中毒で2020年に亡くなった浅川幸子さんの兄一雄さん=2月7日、東京都内


オウム真理教の元幹部の上告審判決後、記者会見する被害者ら。被害に遭った浅川幸子さん(左端)も車いすで出席。兄の一雄さん(同2人目)は時折、幸子さんの帽子を直した=2009年11月、東京都千代田区
オウム真理教の元幹部の上告審判決後、記者会見する被害者ら。被害に遭った浅川幸子さん(左端)も車いすで出席。兄の一雄さん(同2人目)は時折、幸子さんの帽子を直した=2009年11月、東京都千代田区

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  • 後遺症で、それまでの生活を奪われ、何十年も後遺症に苦しんでいる人もいる…当時のテロ事件を知らずに入信する人はこの現実を…直視できるだろうか?
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