漫画家・山内ジョージ、トキワ荘“最後の住人”が遺していたレジェンドとのエピソード

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2025年03月23日 08:00  リアルサウンド

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『トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語』(山内ジョージ/著、東京書籍/刊)
■トキワ荘の最後の漫画家

  2月27日、漫画家の山内ジョージ氏がS状結腸がんのため、東京都の自宅で死去した。84歳だった。山内氏は、動物を文字になぞらえ漫画風に描いた“動物文字絵”を創作したことで知られるほか、漫画家としてトキワ荘で生活した“最後の住人”として知られる。


 山内氏は中国の大連に生まれ、戦後に日本に引き揚げ、宮城県で育った。高校時代に手塚治虫の漫画と出合い、漫画家を志す。1960(昭和35)年、同郷の石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)のアシスタントとして「トキワ荘」に入居する。トキワ荘は東京都豊島区にあったアパートで、手塚治虫が入居したのち、藤子不二雄の両氏、赤塚不二夫、寺田ヒロオ、水野栄子など歴史に残る漫画家が多数生活した。


 藤子不二雄(A)の『まんが道』にも描かれたように、トキワ荘で生活した漫画家たちは決して豊かではないものの、切磋琢磨しあいながら創作活動に励んでいた。その後、多くの漫画家がヒットを生み出してトキワ荘を離れていくが、山内氏は1962(昭和37)年まで生活し、漫画家では最後の住人となった。そのことを『トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語』などの著作もある。


 トキワ荘について書かれた記録や、作中に登場する漫画は前出の『まんが道』を筆頭に多数ある。それらの記録のほとんどは、1954(昭和29)年に結成された新漫画党のメンバーによって書かれたものが多い。なお、新漫画党はトキワ荘のメンバーが中心に結成され、命名者は藤子不二雄(A)。1955(昭和30)年に一度解散するも程なく再結成しており、総裁は寺田ヒロオが務めた。


 山内氏は新漫画党には籍を置かず、あくまでも石ノ森章太郎のアシスタントという立場を貫いていた。そのため、石森の人となりを克明に記録しているし、藤子不二雄(A)や寺田ヒロオとは異なるアシスタント視点でトキワ荘を語っているのが面白い。なかでも貴重な証言が、赤塚不二夫を手伝った経験から語る、『おそ松くん』の誕生秘話であり、漫画家たちが去った後のトキワ荘についても語られているのが興味深い。


 トキワ荘について語られた本は多数あり、山内氏の師匠にあたる石ノ森章太郎も、『章説−トキワ荘の青春』という本を出している。また、漫画家の原稿を取りに来た編集者によって語られた本もある。トキワ荘の漫画家たちも、描き手によってまったく異なるイメージで描かれていたりするので、併読してみると一層楽しめるはずだ。


 



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