ドバイなのに“時給200円”で働かされた19歳日本人男性の怒り「逃亡対策のためパスポートを没収」低賃金労働の実態を暴露

0

2025年03月26日 09:21  日刊SPA!

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊SPA!

みちるさん(当時19歳)
私(宮脇咲)は宮崎県から大学進学を機に上京し、現在はドバイに移住。海外物件を中心とした不動産投資を行うほか、富裕層向けの海外移住支援も手がけています。
ドバイと聞いてどんなイメージを持つでしょうか? 高層ビルや豪華なショッピングモール、富裕層が集う華やかな都市というイメージが先行するかもしれません。

しかし、その裏側には日本では想像できないほど過酷な労働実態が存在しています。正しい情報を得て、現地の信頼できるパートナーがいなければ移住先でトラブルに巻き込まれることもあります。

本記事で紹介するのは、ドバイに数か月滞在した19歳(当時)男性みちるさんの話です。過酷な労働環境とそこから得た体験談は想像を絶するものでした。

◆求人情報サイトでドバイの仕事を見つけ、渡航

みちるさんは高校卒業後、当初はワーキングホリデーでオーストラリア渡航を検討していました。しかし、オーストラリアでは多くの日本人が働いており、求人競争が激しいとの情報を得たため、迷いが生じたそうです。

「そんななか、日本国内の大手求人情報サイトでエンターテイメント施設という会社の求人を見つけました。勤務先は、中東の富裕層が多く集まる街であるドバイ。ワーキングホリデー制度はないものの、働きながら移住できるかもしれないと思い、応募することにしました」(みちるさん、以下同じ)

みちるさんの仕事内容は、ここの日本人向けエリアにあるTシャツショップのスタッフです。

実際に採用されたのは、施設から委託を受けた企業で、テーマパーク内の日韓エリアを運営している会社でした。ところが、求人票に本社が「北海道札幌市所在」と記載されていた点など、のちに不審な部分があったと振り返ります。

◆「要相談」の給与をいざ確認してみると…

みちるさんは半年間の雇用契約を結び、2023年10月にスタッフとしてドバイへ渡航。

その際、UAEのドバイの隣の都市シャルジャ首長国に居住することになりましたが、実際の街並みは想像以上に汚れており、治安面でも不安があったといいます。

バスで遊園地へ通いながら、日本人向けのTシャツショップでの勤務が始まったみちるさん。しかし、徐々に契約書の内容に次第に不信感を募らせるようになりました。

「毎日バスで遊園地に通い、日本人向けのTシャツショップで働き始めました。そこで早速、契約書の内容に不信感を抱きました。まず、給与は『要相談』とされていましたが、実際には月8万円の食事手当と、ホテルおよび送迎のみの提供というものでした」

◆時給換算すると「約200円」だった

さらに、契約書には違約金80万円が記され、実際の労働時間は12〜13時間に及んだといいます。

年末年始には昼12時から夜中1時まで。平日、休日にかかわらず実質9時間の労働が続き、時給換算すると約200円という低水準でした。

「また、3日以上休むとマネージャーとの面談が必要となり、1週間以上の休暇は強制帰国の対象となりました。渡航当初はこれも経験の一つ。ここから現地就職へのステップにできればと思っていましたが、その淡い希望はすぐに崩れていきました……」

◆食生活の乱れ、徐々に体重が減少していく

みちるさんの住居は日本人、韓国人、フィリピン人の5人で狭い部屋をシェアするというものでした。

給料が月8万円という低収入のため、食費を抑える必要があり、毎日の食事は主にケバブに似た「シャワルマ」やカップラーメン、タイ米を使った自炊が中心。

「職場周辺にはハンバーガーショップもあったので、そこで食事を買うこともあり、食費は月に2〜3万円で抑えられました。しかし、3か月で10キロ痩せてしまい、自分がどれほど不健康な生活を送っていたかを痛感しました」(みちるさん)

当時の月収はわずか8万円。

住居は会社負担でしたが、2ベッドルームを5人でシェアしていたため、プライベートな空間はほとんどなく、落ち着ける環境ではありませんでした。水道光熱費や交通費は会社負担でしたが、それが生活の快適さに直結するわけではなかったのです。

「食費に月3万円ほどしか使えなかったため、贅沢はできませんでした。お金を使ったものと言えば、Apple Watchの購入費用くらい。日々の楽しみはほとんどありません。もちろん、洋服は日本から持ってきたものを使い回しており、新しい服を買う余裕もありませんでした。流行や季節に合わせた服を揃えることもできず、気分転換もできませんでした」

◆逃亡対策としてパスポートを没収される

こうした状況にみちるさんが何もしなかったわけではありません。

会社の間でマネジメントを担当していた20代後半の日本人女性スタッフに相談しても「私は会社の言いなりだ」と公言し、味方にはなってくれなかったといいます。

「さらに、体調が悪くなっても、病院で証明書を取得しなければ休めない決まりがありました。証明書があれば500円の支給があったのですが、証明書がないまま休むと1万円の罰金が科されました。最初は医者の証明書で休めたのですが、それを理由に休む人が増えたため、政府発行の証明書が必要になったのです。

しかし、その証明書発行には3000円かかり、結果的に休むと1日分の給料がほとんど消えてしまい、実質休むことができない状況に追い込まれました。

また、労働ビザ取得のためとの理由でパスポートを没収され、血液検査時のみ一時的に返却されるなど、逃亡を防ぐための管理体制が敷かれるようになります」

みちるさんは何度も返却を求めたものの、スマートフォンの契約ができず、周囲の話とも食い違い、不信感が一層募ったといいます。

その後、パスポートは返却されましたが、新たな契約内容が追記された契約書の交付が条件でした。

「新たな契約書には『労働期間が半年からさらに延びるかもしれない』という文言があり、さすがに身の危険を感じました」

◆国外への脱出。TikTokでの発信と国際弁護士との連携

ここでみちるさんは動きます。

過酷な労働環境に心身ともに限界を感じた彼は、会社に対抗する覚悟を決め、現状を多くの人に伝えるためにTikTokで発信を開始。

その動画は多数の視聴を集め、国際弁護士から連絡が入ったのです。

「その方は『その労働環境はドバイだけでなく、日本の法律でも問題があるので、すぐに帰国しなさい』と勧めてくれました。契約を破棄しても日本の法律で裁かれることはないとのことでした」

ただし、彼は労働ビザでドバイに来ている以上、管理会社の許可なく出国することには懸念が残ります。

「それでも、このままではまずいと感じ、同じく会社の体制に不満を持っていた英語が話せるフィリピン人の方と、家族の都合で帰国しなければならなかった日本で飲食店を経営する方の3人で、2024年1月中旬の日本行き航空券を手配し、脱出を決意しました」(みちるさん)

計画中、TikTokでの動画発信がマネージャーに発覚し、約400万円の賠償請求をほのめかされてしまいます。しかし、国際弁護士との相談が進んでいたため、動画を削除し事なきを得たそうです。

◆逃亡して帰国するも、会社からの脅迫が

逃亡決行当日。

みちるさんは無断欠勤しタクシーで空港へ向かい、予約していた日本行きの飛行機に搭乗。ドバイでは無断離職に対して逃亡届が提出される可能性があるというプレッシャーがありましたが、無事に日本へ帰国できました。

「しかし、フィリピン空港で乗り換え中に、会社から『今フィリピン空港にいますね?帰国したら許します』というメッセージが届き、何らかの理由で私たちの行動が会社側に把握されていたことがわかりました。さらに『何年かけてもあなたたちを見つけて訴えるので、覚悟しておいてください』と脅され、本当に怖かったです」(みちるさん)

現地で録音していた友人の証言によれば、翌日には緊急ミーティングが開かれ、グループチャットで「脱走した労働者に対する厳しい賠償請求が議論された」という情報もあったそうです。

◆脱出後、民泊運営で成功

脱出から約1年が経過した現在。みちるさんは、地元愛知県でAirbnbを活用したインバウンド向け民泊運営に取り組んでいます。ドバイでの経験から、日本の商品が現地で人気であることを実感し、その知見を生かして新たなサービス展開を図っています。

「収益面では変動はあるものの、月々の家賃10万円を差し引いても平均で40万円弱の収入があります。また、月に10日程度、借家に出向いて5時間ほど掃除や事務手続きを行うので、月計50時間の労働で時給に換算すると約8000円になり、ドバイ当時の時給の約40倍です(笑)」

みちるさんは、ドバイでの恐怖や不自由な生活と比べ、起業への挑戦にはほとんどリスクを感じなくなったと語っています。また、この体験を通じ、多くの人に海外生活のリアルな実態を知ってもらう重要性を痛感しているといいます。

彼の壮絶な脱出劇は決して他人事ではありません。海外移住の際は、信頼できるパートナーを探したうえで移住を決断することを筆者も強くおすすめします。

<TEXT/宮脇咲(みやわき・さき)>

【宮脇咲(みやわき・さき)】
海外不動産投資家・海外移住コンサルタント。1997年宮崎県生まれ。UAEドバイ在住。お茶の水女子大学在学時に、暗号資産投資で大きな利益を出し、分散投資の一つとして不動産投資をスタートする。大学3年生の21歳から国内不動産投資を始め、国内3棟18室を保有し利回り20%以上の物件を運営し、その後いくつかの物件を売却。22歳で海外不動産投資へ進出し、ジョージア、トルコ(イスタンブール)、アラブ首長国連邦(ドバイ)に不動産を所有。現在は、個人投資家として資産運用をしながら、富裕層、経営者、投資家への資産コンサルティングのほか、海外移住のアドバイザーとしても活動。チャンネル登録者数約6万人のYoutubeチャンネル「さきの海外不動産しか勝たん」を運営。

    前日のランキングへ

    ニュース設定