「戦争は人変える」=洞窟潜み生還の高江洲さん―米軍慶良間上陸80年

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2025年03月26日 14:01  時事通信社

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太平洋戦争中に避難していた洞窟の前で当時の状況について説明する高江洲敏子さん=15日午後、沖縄県座間味村
 沖縄・慶良間諸島の座間味村で生まれ育った高江洲敏子さん(93)は80年前の米軍上陸時、1カ月にわたって洞窟に身を潜めた後で投降し、何とか生き延びた。守ってくれるはずの日本兵に命を奪われる住民がいる一方、「鬼」と教えられた米兵は生後3カ月の妹を抱いてほほ笑み、食料を分けてくれた。「戦争は人を変えてしまう」と振り返った。

 上陸開始3日前の1945年3月23日から米軍の空襲や艦砲射撃が始まった。13歳だった高江洲さんは、防空壕(ごう)へ避難したが、瞬く間に村は炎に包まれた。自宅が焼け落ちた高江洲さん一家は洞窟へ身を寄せた。

 米軍が上陸した26日。避難してきた人々がひしめき合う洞窟内の雰囲気は重々しく、生まれたばかりだった妹が泣きだすと、「見つかるから殺せ」という声も上がるほどだった。「とにかく身を潜めて、生きるので精いっぱい」だった。

 米兵に見つからないよう、火を使わずに生の大根やニンジンをかじってしのいだが、4月下旬に食料が底を尽き、投降を決意。今度は情報漏れを恐れる日本兵の目を免れるため、山を越えて米軍のキャンプに向かった。

 「米兵に見つかると殺されるから先に死ね」と教えられていた高江洲さん。青い目をした10人ほどの米兵を見て「本当に鬼のようだと思った」。意を決して前に出たところ、兵士の1人が母の腕から生後間もない妹を取り上げた。「殺されてしまう」と思ったが、米兵は代わる代わる妹を抱いて笑顔を浮かべ、母に返した。

 その後、捕虜としてキャンプ場で過ごした。食事として缶詰が提供されるなど、「洞窟よりはるかに良い生活」で、兵士の態度も大きく違っていた。日本兵は米軍上陸直前まで民家を宿舎としており、一緒に暮らしている間は優しかったが、戦争が激化すると人相や態度が激変。食べ物は奪われ、スパイと見なされた住民は容赦なく命を奪われた。

 「戦争は生活だけでなく、人も変えてしまう」と話す高江洲さん。「戦争はつらいもの。孫たちにはあんなつらい思いをしてほしくない。平和になれる選択肢を見つけてほしい」と願っている。 

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  • …戦争かどうかじゃなくて「余裕」があるかどうかかなあ、とおもう。
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