3月27日、映画監督の篠田正浩さんが25日に肺炎で亡くなっていたことが報じられた。94歳だった。
’53年に松竹に入社し、’60年に監督デビューすると、脚本に寺山修司を迎えた『乾いた湖』や『無頼漢』などで「松竹ヌーベルバーグ」の旗手として日本映画界を牽引。『鑓の権三』(’86年)ではベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞するなど世界的評価も高かったが、03年公開の『スパイ・ゾルゲ』を最後に映画監督を引退していた。
プライベートでは、『乾いた湖』で映画デビューを飾り、親交を深めた女優の岩下志麻(84)と’67年に結婚。岩下は本誌’20年10月20日号で、篠田さんとの馴れ初めについてこう語っている。
《篠田との初デートは、彼が監督した『暗殺』(’64年)の京都ロケで。先斗町のお料理屋さんで、2人で2升空けました(笑)。デートでは、いつも熱く映画のことを語っていましたね。でも、まだ恋愛感情はなくて、尊敬止まりでした。
ところが撮影を終えて、赤坂のナイトクラブで篠田とマンボを踊っていたら、突然、この人と結婚するんだ、と直感したんです。それで、踊りながら言ってしまったんです。『どうも私、監督さんと結婚するような気がします』。彼はびっくりした顔で席に戻ってしまい、『ひどい清純派もいるもんだ。こうやって男を口説いているのか』と思ったみたい(笑)》
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その後は2人で独立プロダクション「表現社」を立ち上げ、自身の監督作にもたびたび起用するなど、公私ともに“タッグ”を組んで歩んできた。
監督引退後は、執筆活動に取り組んできた篠田さんだったが、6年前に体調の異変に襲われることとなる。
「’19年の年始ごろから、大病ということではないのですが体調を崩され、自宅で療養生活を送るようになっていました」(映画関係者)
そんな篠田さんを岩下は妻として、仕事を投げ売って支えた。
「篠田さんの体調不良を受け、岩下さんは女優業をセーブし、サポートに徹しました。実はそれまで岩下さんは、篠田さんからの“女優業に専念してほしい”という意向もあって、家事を住み込みのハウスキーパーに任せていたのですが、介護を機に健康を気遣った献立の考案や掃除など精力的に家事に取り組むようになったそうです。篠田さんが生活しやすいようにと、自宅のリフォームも自ら提案したといいます」(夫妻の知人)
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本誌は’19年5月、都内の自宅にリフォーム業者が出入りし、改修工事が進められる様子を目撃している。
篠田さんの逝去を受け、29日に予定していた映画『極道の妻たち』の舞台挨拶出演を取りやめた岩下。「表現社」の発表によると、すでに家族葬が執り行われており、後日お別れの会が行われるという。
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