「もともとは俳優志望」のホンジャマカ石塚。お笑いに対して真剣に向き合う動機になった「マネージャーの一言」

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2025年03月28日 16:11  日刊SPA!

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今の若手に対して思うことは……
いまや「街ブラ番組」を見かけない日はなくなった。ゆえに、タレントに求められるのが“食レポ能力”。この分野で彦摩呂さんとともに双璧をなしているのが、ホンジャマカの石塚英彦さん。異論をとなえる人は少ないはずだ。
気鋭のコント師時代から、ピンでの出演が増えた出来事について、さらには相方・恵俊彰さんとの関係を語ってもらったのが前回の記事。今回は、グルメロケで使われる“意外なテクニック”にくわえて、芸人として確固たるポジションを獲得している石塚さんが、本来はお笑い志望ではなかった過去を解き明かしていく。

◆グルメレポで料理の話は“ほぼしない”ワケ

ーー石塚さんは若手のころ、ライブシーンでコントをなさっていましたね。ネタ中心の「お笑い」と、テレビ番組の「バラエティ」とで共通する部分はありますか?

石塚英彦(以下、石塚):ライブをやってきて学んだのは「熱量」が絶対に必要だということですね。ライブのネタで同じ台本なのに、熱が入りきっていないときは笑ってもらえないんですよ。

ーーネタだと登場人物は自分たちだけですが、テレビ番組は共演者やスタッフを含めた団体競技になります。それでもやっぱり熱量ですか?

石塚:そうですね。画面に映っているときはもちろんですが、そうでない時も含めてその企画やその番組にどれだけ熱を持って向き合えるかです。

ーーそうでない時というのは、準備など?

石塚:はい。例えば、東北に行って川でサケを獲るロケが入ったとします。「サケを獲るなら原始人だな」と考えて、家からヒョウ柄のオーバーオールと顔にペイントする道具を持っていくんです。すると、単なる情報ではなく笑いとともに届けられます。同じことをするにも、どうすれば笑えるかといつも考えていますね。

ーー食レポでも「笑い」を中心に考えているんですか?

石塚:僕は肩書きに「グルメレポーター」と書かれることも多いですが、料理の話はほぼしません(笑)。言っても「まいう〜」と「大きい!」ぐらいですね。テレビなので、美味しそうな感じは語るより、身振り手振りのほうが伝わります。その場をどれだけ楽しくするかが大事なので。

ーー料理メインのコーナーで、料理の話をしないとなれば、何について話をするんですか?

石塚:店員の方や店内をいじります。例えばここ(インタビュー中の店)だったら「あ〜、非常にフラットなプラネタリウムですね。何座でもないですね」みたいなことを言いながら(笑)。そうやって、お店の人も喜んでもらえるということを考えています。

◆もともとは俳優志望だった過去

ーー石塚さんは、徹底的に笑いのことを考えている生粋の芸人さんのように思えます。お笑いを志したのはいつからですか?

石塚:実は、最初は芸人志望じゃなかったんです。俳優、特に映画俳優になりたかった。

ーーそうなんですか!?

石塚:高校生の時に、知り合いからチケットをもらって映画館で『ロッキー』を見たんです。どんな作品かも知らずに行ったんですが、ものすごく感動したんです。驚いたのは、上映が終わって館内が明るくなった瞬間、会場から拍手が起こって。目の前に役者や監督がいるわけじゃないのに。心を鷲掴みにされて、映画俳優になりたいと思ったんです。

◆最初はお笑いを“ステップのひとつ”だと考えていた

ーーそこから、どうやってお笑いの道に?

石塚:20歳で劇団ひまわりに入りました。芝居がうまいのに、なかなか売れない人が多いんですよ。一方でお笑いは、舞台でちょっとでもウケたら世間が放っておかない時代でした。ラ・ママ(渋谷のライブハウス)でウケてた芸人が、あっという間にテレビに出ていたり。だからこそ、俳優として名前を知ってもらうために、まずお笑いをやってみたいと思っていました。

ーーなんだか遠回りにも感じますが。

石塚:当時、いかりや長介さん、ハナ肇さん、伊東四朗さんたちは、すでに俳優としての地位を確立していましたけど、もともと人を笑わせる仕事でしたよね。当然、笑ってもらうのも好きだったので、入り口を変えて、まずは世間に発見してもらおうという気持ちゆえです。

ーーしかし、劇団に所属していると、気軽に転身もできなさそうですが。

石塚:劇団の芝居の中で、シリアスな場面でも人を笑わせようとするクセが、出ちゃってたみたいなんです。それで、劇団のマネージャーに『人を笑わせて怒られる世界より、褒められる世界の方がいいんじゃない?』と言われて、お笑いの道に進むことに決めたんです。

ーーマネージャーさんは、石塚さんの才能を見抜いていたんですね。

石塚:いえ、後になって冷静に考えたら、『ウチから出て行け』ってことをオブラートに包んで言ってくれただけなんだろうなと気づきましたけどね(笑)。

◆正解もわからず、ガムシャラだった若手時代

ーー当時のワタナベエンターテインメントにはお笑い部門がなかったんですよね。

石塚:そうなんです。「恵スタジオ」で二人で試行錯誤しながらネタを作っていました。スタジオといいつつ、ただの恵の家なんですけど(笑)、しかも、ネタを見せる相手はお笑いの作家ではない方。あのときは何が正解かわからず、とにかくガムシャラでしたね。

ーー今は多くの事務所に養成所がありますね。そんな環境下にある今の若手芸人は恵まれていると思いますか?

石塚:一概に言えませんが、笑いを「教わるもの」として身につけると、若手時代に必要なガツガツした気持ちが作れるのかなという疑問はありますね。僕らは、現場の肌感覚で吸収してきたので。

ーー教わってウケたとしても半分は先生の功績ですよね。一方で自分たちで試行錯誤した結果ウケたなら、自分の成果として喜べそうです。

石塚:僕は教わったという経験がないから、どちらがいいかはわかりません。ただ、僕らの時代は大変だったけど、周りの芸人たちと同じ方向を目指す一体感があって楽しかったことは間違いないですね。

◆“コンテスト後”の芸人人生のほうが長いからこそ…

ーー若手芸人は、Mー1やキングオブコントなどで上位を目指し、「名前を売りにいく」風潮があります。そこについて石塚さんはどう感じますか?

石塚:これも一概に良い悪いは言えない部分ですね。ただ、いずれ「テレビに出たい」と思っている芸人であれば、コンテストの結果自体はさほど重要ではないと思いますよ。優勝したのに残らない人もいれば、準決勝で敗退しているのに残る人もいる。テレビで生きていくなら、“コンテスト以外”で活躍しなきゃいけない場面のほうが長いので、ネタだけではなくバラエティのスキルを磨くのが大事。

ーーこの流れは、コンテスト番組が出てきてからですか?

石塚:昔は、ネタをやる人はネタだけって感じでしたよね。青空球児・好児さんが食レポしているのなんて見たことないし、Wけんじさんが旅番組のレギュラーをやっているという話も聞いたことがないです。まあ、見たいとも思いませんよね(笑)。悪い意味ではなく、ずば抜けてネタが面白いので、ネタをたくさん見たいという意味ですよ(笑)。

◆変化し続ける「芸人」のあり方について思うこと

ーー昔とは「芸人」のあり方が変わってきたんですね。

石塚:そうですね。もはや僕自身も自分が芸人であるか定かではないです。「芸持ってるの?」といわれると「食レポの芸ならありますよ」とは言えます。パスタの食べ方なら誰よりもパターンを持っていると思いますし。ただ、いきなり出た舞台で、その場のお客さんを笑わせられるかと言われたら、難しいと思います。

ーー芸人とバラエティタレントの境界線のような話ですね。その線はどこにあると思いますか?

石塚:舞台で人を笑わせるのが芸人だと定義するなら、上限は2000人だと思っています。というのも、綾小路きみまろ師匠とお話しした時に、「僕はテレビではみんなに敵わない。ただ、舞台に立って2000人までだったら笑わせる自信がある」とおっしゃっていたんです。「かっこいいな!」と思いました。言うならば、徹底的に芸人側にいる方ですよね。

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グルメロケの中でも芸人として「笑わせる」という信念は揺るがない石塚さん。いつまでも元気に活躍し続けてほしいものだ。

<取材・文/Mr.tsubaking  撮影/弓削ヒズミ>

【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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