浅野忠信コロナ禍で感じた限界…占いで「何やってもうまくいく」と出てGG賞「いっちゃおう!」

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2025年03月29日 16:00  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

主演映画「レイブンズ」公開記念舞台あいさつで笑顔の浅野忠信(撮影・村上幸将)

浅野忠信(51)が29日、東京・TOHOシネマズシャンテで行われた、フランス、日本、ベルギー、スペイン合作の主演映画「レイブンズ」(マーク・ギル監督)公開記念舞台あいさつに登壇した。


1月に、日本人初のゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞した「SHOGUN 将軍」の撮影が延び、待望の主演作だった「レイブンズ」の撮影が延期になったと説明。コロナ禍の中「限界を感じた…もうダメだと」と諦めかけていたことも明かした。一方で、算命学という占いで「今年、何をやってもうまくいく」と出たことが大当たりしたことも明かし「1月にゴールデングローブ賞を取った…いっちゃいましょう!」と胸を張った。


浅野は、檀上でゴールデングローブ賞受賞について話を向けられると「2009年(平21)に初めて『マイティ・ソー』で撮影に行った時、エージェントに『米国に行くか』と(伝えた)」と、拠点を米国に移すことを考えていたと振り返った。それが、現地のエージェントから「来なくて良い。君のことは誰も知らないから、日本で活躍し続けてくれ」と言われ「そこからガムシャラに日本の作品に出て、米国の作品に出て頑張ることができた」と、日本の仕事に注力し、自らを磨いたと振り返った。


ところが、20年にコロナ禍が全世界を襲い「限界を感じた…もうダメだと。英語を話せるわけでもない。米国で、米国人の役はできないんだなと思った時、話がきた」と苦悩していた中で「SHOGUN 将軍」のオファーがきたと振り返った。「日本語で演じられるなら勝負できると思った」と喜んでいると、撮影の前に、マーク・ギル監督から「ものすごい面白い話だった」と感じた「レイブンズ」の話がきたという。


ただ「SHOGUN 将軍」の撮影がコロナ禍で延び「21年の4、5月に帰ってくるかと思ったら、延びて6月になって」と「レイブンズ」の撮影に影響が出かねない自体に陥ったという。「『早く帰してくれ』と泣き叫んで。(『SHOGUN 将軍』で)演じたのは悪者だったけれど、現場でも悪者。絶対、やりたいのに帰してもらえず…でも、マーク監督はちゃんと延期してくれた」と「レイブンズ」の撮影を延期してくれたギル監督に感謝した。


「レイブンズ」は、森山大道氏らとニューヨーク近代美術館(MoMA)で1974年(昭49)に開催された「New Japanese Photography展」に出展し、絶賛を浴びた伝説の写真家・深瀬昌久の実話に着想を得た作品。代表作「鴉」は日本写真の金字塔として世界的に高い評価を得たが、92年に転落事故で脳障害を負い、20年間の闘病の末、2012年に78歳で亡くなった。その78年にわたる波瀾(はらん)万丈の人生を、実話とフィクションを織り交ぜて大胆に描いた。浅野は、写真に憑りつかれた天才の狂気と撮ることでしか愛しかたを知らなかったクレイジーで寂しがり屋で猫を愛した伝説の天才写真家・深瀬昌久を演じた。瀧内公美(35)が妻で被写体の洋子を演じた。


主演をやりたいという思いが募った際に届いたのが「レイブンズ」のオファーだった。浅野は「主人公を演じて、舞台に立つのは久しぶり…全然、やっていない。日本の監督は誘ってくれない」と笑った。そして「主人公と脇役でやるのは、僕の中では全然、違う。主人公で演じるためのプラン、引き出しがいっぱいになっていた。存分に発揮した感じです」と振り返った。


浅野は、成功の秘訣(ひけつ)を聞かれると「ワガママで良かった。今は離れちゃったけど、父親と仕事していたので、ワガママを言えた。『こんなこと、やりたくねー』『カツラ、かぶりたくねー』と言っていたら、認められた」と笑みを浮かべた。さらに「言ってみるもんだなと。『この役、こんな頭しなくない? 服、着なくない?』と言っていた」と振り返った。

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