3月27日、穏やかな春の日差しのなか、関係者らしき女性2人に支えられるように岩下志麻(84)が自宅から出てきた。夫・篠田正浩さん(享年94)の位牌を手に、気丈な表情で霊柩車に乗り込む。車は陽光桜が咲く長い並木道へと向かっていった。美しい桜の花びらが時折ひらひらと落ちる。彼女の目に満開の桜はどのように映ったのだろうか。
篠田さんの訃報が発表された翌日、岩下はコメントを発表した。
《この度、夫篠田正浩が肺炎の為、94歳で二十五日未明に旅立ちました。この4年間パーキンソン病と闘いながらどうにか日常生活に支障はなく生活しておりましたが、今年一月に転倒して骨折をしてしまい、また三月に肺炎になりついに力尽きてしまいました》
岩下は’60年の篠田さん監督作『乾いた湖』出演を機に、’67年に結婚。夫婦で制作会社「表現社」を設立し、国際映画祭に出品された『心中天網島』や『沈黙』など、日本映画史に残る数々の作品で“夫婦共演”した。お互いを「戦友」「同士」と呼び合い、自立した夫婦の先駆けとして長らく芸能界の第一線で活躍していた。
《篠田と出会ったことによって沢山の作品で色々な役を演じることが出来ました。今の私があるのは本当に篠田のおかげだと思っております。篠田が『僕たちは映画という魔物に取りつかれて2人で魔物退治をやってきたようなもの』と申しておりましたが、そんな篠田に今は感謝の言葉しかありません。58年間人生を共にして参りましたので、今はただ、悲しみと喪失の思いで胸がいっぱいです》
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岩下は4年半前の本誌のインタビューで、結婚時に交わした“篠田さんとの約束”をこう明かしていた。
《2年の同棲生活のあと、私が26歳のときに結婚したのですが、そのとき篠田が言いました。
「結婚しても、女優はやめないでほしい。むしろ結婚生活を栄養分にして、女優としてもっと豊かになってほしいんだ。女優として家庭は休息の場にして、家事もいっさい放棄していいよ」
私自身、役に入り込むタイプですから、この言葉はありがたかったです》(’20年10月20日号)
夫妻の知人はこう語る。
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「岩下さんは32歳で長女を出産します。夫妻とも、女優としてできる限り早く復帰することを望んでいましたから、知り合いの看護師の方に出産前から育児のサポートをお願いしていました。生後3カ月で篠田さんの新作映画『卑弥呼』への出演が決まったとき、“台本を読んだ途端に母乳が止まった”と話していましたね。また、眉毛を剃った役だったため“私の顔を見ると娘が激しく泣いてしまうから抱っこできない”と嘆いていたことも……」
■「家庭的な奥さんを求める人なら、私は3日で追い出されてます」
四半世紀にわたって夫婦共演した“最後の作品”が’86年の映画『鑓の権三』。岩下は同年の五社英雄監督の映画『極道の妻たち』にも主演し、誰もが知る“極妻”女優として新境地を切り開いた。’12年、春の叙勲で旭日小綬章を受章した彼女は本誌の取材で夫への感謝をこう語っていた。
「篠田と出会えて本当に良かったし、彼には感謝、感謝です。献身的で、家庭的な奥さんを求める人なら、私は3日で追い出されてますよ(笑)」
岩下は東京・丸の内TOEIで今春開催されている「昭和100年映画祭 あの感動をもう一度」記念イベントのため、本来は3月29日に『極道の妻たち』舞台挨拶に登壇する予定だった。
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27年ぶりの“極妻復帰”となるはずだったが、篠田さんの逝去にともない、イベント出席は取りやめとなった。映画関係者は、その内幕を打ち明ける。
「篠田さんが高齢となり、岩下さんは“できるだけ夫のそばにいたい”と近年は女優業をセーブされていました。それだけに昭和100年映画祭の目玉となる“極妻イベント”出席を数カ月前に打診された際も相当悩んでいたようです。熟慮の末、最終的に出演を決め3月中旬の打ち合わせの際は、事務所を通じて“久しぶりの登壇なので、細かく打ち合わせさせてほしい”と要望があったそうです。
そしてその際“公の場に出るのはこれでもう最後にさせてほしい”とも伝えてきたというのです。ひそかに女優としての引き際を考えていたのでしょう。“最後の場”として入念な準備をするべく、気合が入っていたようですが……」
金婚式から2年後の’19年、岩下は現在築37年となる自宅をリフォームしている。翌年の本誌のインタビューでは、その胸中を明かしてくれた。
《昨春には、自宅のリフォームも済ませました。彼はいまお話ししたとおりとても元気ですから、私が先かなと思ったりも、でも彼が突然というのもあるかもしれない。突然は寂しいからイヤだけど、もし向こうが患うことがあれば介護してやりたいと、その覚悟はあります》(’20年10月20日号)
また、別のインタビューでは、こうも語っていた。
《一大決心したのには、年齢的な理由もあります。私より10歳年上の篠田は90を間近に控えていました。今後のことも考えて、2階にある篠田の書斎を1階に移したほうがいいだろうということになったのです》(『婦人公論』’22年6月号)
■「篠田志麻」としての時間が増えてきた
夫婦の思い出が詰まった自宅。岩下は終活も兼ねて、100枚以上の着物をチャリティに出したり、出演作の膨大な資料を図書館に寄贈するなど、大がかりな断捨離を同時におこなっていた。前出の夫妻の知人は言う。
「90代に入った篠田さんは足腰が弱ってしまい、階段の上り下りも難しい状態だったそうです。夫妻は娘さんが結婚して実家を離れて以来、お手伝いさんとともに暮らしていたと聞いています。それまでは岩下さんはほとんど料理をしなかったようですが、篠田さんのため、ヘルシーな魚料理を作ったり、妻として献身的に尽くすようになったといいます。
この数年、岩下さんは体調を崩すようになった篠田さんを心配していました。そのため、一日でも長く一緒にいられるよう、女優業を引退してでも“夫が住み慣れた自宅で最期を看取る”覚悟を決めていたそうです」
実際、岩下は昨夏のインタビューで今の夫婦の関係についてこう語っていた。
《それぞれが家の中で好きなことをして過ごしています。私自身、今は「岩下志麻」ではなく「篠田志麻」としての時間が増えてきましたね》(『婦人公論』’24年7月号)
90代となった篠田さんはパーキンソン病を患っていた。株式会社ねこの手代表で介護コンサルタントの伊藤亜記さんは言う。
「男性は体も大きいので、世代的に老老介護となる奥さんが在宅で見るのは体力的に大変だったと思います。転倒を防ぐため、特に深夜のトイレなど移動の際の介助には連日苦労していたはずです」
今年に入り、篠田さんは骨折で都内の病院に入院。岩下も献身的に付き添ったが、24日に一時帰宅した。
「病室の篠田さんは、帰宅すると告げた岩下さんに『うん』と応答したといいます。しかし、帰宅した25日未明に容体が悪化。岩下さんが看取れぬまま、天国に旅立ってしまったそうです。岩下さんは大変なショックを受けていました」(前出・映画関係者)
自宅にはリフォーム後もどうしても捨てられないものがいくつか残っているという。それが、小学生時代の愛娘との往復書簡と、篠田さんからの“手紙”だった。
《篠田からのラブレター。これも全部出てきました。一通だけ彼に見せたら、「若い頃は情熱的だったね」なんて笑っていましたけど》(『婦人公論』’22年6月号)
夫の晩年は女優ではなく妻として献身的に支え続けた岩下。天国の夫のためにも、再び表舞台に立てる日を願うばかりだ。
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