
【写真】本木雅弘、インタビュー撮りおろしショット
本作は、原爆投下から80年の今年、被爆者たちの「声」が問いかける、私たちへのメッセージ。長崎に暮らし、被爆者の声を集め続けたジャーナリスト伊藤明彦の実話を元に、原爆によってもたらされた数奇な出会いの物語を、主演に本木雅弘を迎え、広島に育った池端俊策が描く。
高度経済成長を遂げた1972年の日本。もはや戦後ではない。日本人の誰もが豊かさを追い求めていた。その時代のすう勢に逆らうかのように、長崎の放送局出身のジャーナリスト・辻原保(本木)は、被爆者の声を集め出す。しかし、当時はまだ原子爆弾の被害は生々しく、被爆者体験はそもそも語るべきものではなかった。そんな時代での被爆者体験の録音、それは周囲からも理解されない「孤独で」過酷な作業だった。
その最中、辻原は一人の被爆者・九野和平と運命的な出会いを果たす。九野が語る「声」に心を激しく揺さぶられる辻原。この「声」を伝えていきたい。一方で、その「声」は多くの謎にも満ちていた。
これは原子爆弾が投下されて数10年経ったのちになっても、なお被爆の劫火に灼かれ続けたふたりの男のふしぎな出会いを描いた、事実に基づく物語である。
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※本木雅弘、作・池端俊策ほかのコメント全文は以下の通り。
<コメント全文>
■主人公・辻原保役:本木雅弘
「いわば死者の白骨の上で安穏な経済生活を送りながら、彼らが陥った運命について関心を抱かないとすれば、私はどこかしら人間らしくありません」。伊藤さんは冬空にまたたく星を見上げ、魂の声を集める覚悟を決めました。数値化できない肉声に感じ入り、寄り添い、「被爆の実相」に考察を重ねる日々…。読み人知らずの歌や説話が現代にも響くのは、無名であってもその人間の息づかいが心を動かすからです。同じくこれらの肉声を、人類共有の財産として、被爆者体験を結晶化させることが、伊藤さんの密かなる野心でした。普遍の思いを込めた、池端先生のさりげなくも奥深い脚本に同様の野望を感じています。私自身も大きなうねりを生む歯車のひとつになるべく真摯に取り組みたいと思います。
■作:池端俊策
僕が生まれ育ったのは、広島市から少し離れた呉市です。小学生の頃、同級生で身体が弱く体育の時間には決まって保健室で寝ている性格のやさしい女の子がいました。後になってその母親が広島で原爆に被爆していて、その子は胎内被爆者なのだと分かりました。
そのことを、本人も言いませんでしたし、回りの人も黙っていました。
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このドラマは、そういう寡黙な人たち千人余りの声を録音し後世に残そうと奔走した人物の切実で不思議な体験を描くものです。
■演出:柴田岳志
被爆者1003人の声を独力で集めた伊藤明彦さん。彼は、被爆体験を書き記すことではなく、生の声を録音することにこだわったという。体験の内容だけではなく、確かに存在した一人一人の、息づかい、肌触りまで伝えたいとの思いからだろう。
被爆者の抱える本当の痛みは決して言葉で語られることはない。それは言葉と言葉の間、声と声のあわいに漂っている。我々には、それを察することしかできない。
戦後80年、いまだ世界で戦争はなくならない。被爆者たちが残した声のあわいに、今を生きる本木雅弘さん、そしてスタッフとともに向き合ってみたいと思う。向き合うことで生まれる心の鼓動を、しっかりとドラマに刻み込んでいきたい。
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語りえぬものについては 、沈黙しなけれ ばならない。
原案「未来からの遺言」は、そんな「語りえぬもの」である被爆者体験の肉声記録を独力で1000人以上も集めた伊藤明彦さんが1980年に著した書物です。この書を磁場に、長崎の「放送屋」であった伊藤明彦さんと広島で育った「脚本家」の池端俊策さんが戦後80年という節目に巡りあったことで、この作品の物語が生まれました。その物語を戦後生まれのあらゆる世代の製作陣が結集して映像として丁寧に紡いでいきます。そうして作られていくドラマが一人また一人と届き、元来「語りえぬもの」である被爆者の思いが語り継がれていく。そんなダイナミズムを被爆国で生まれ育った一制作者として微力ながら、しかし強く信じています。