硫黄島の歴史に詳しい明治学院大の石原俊教授=3月29日、東京都港区 太平洋戦争末期に日米が激戦を繰り広げた硫黄島(東京都小笠原村)は戦後、米軍占領下を経て自衛隊の基地として整備される一方、旧島民の帰還は現在も認められていない。島の歴史に詳しい明治学院大の石原俊教授(歴史社会学)は「戦争の影響がいまだに顕著に出ている島。国は故郷を追われたままの旧島民の思いに応えてほしい」と訴える。
日米両軍で3万人近くが死亡した硫黄島は1946年、小笠原群島とともに米軍の統治下に置かれた。68年には返還が実現したが、政府は84年、火山活動や自衛隊の施設で農地が限られることを理由に「一般住民の定住は困難」と表明。44年に強制疎開させられた旧島民は、年数回の墓参などでしか島を訪れることができないのが現状だ。
石原教授は島の状況について「第2次世界大戦から冷戦期、ポスト冷戦と、一貫して安全保障上の理由から一つの島の住民が帰れないのは異常だ」と指摘。「現在も戦争の影響がなし崩し的に続いている」と話す。
帰還が認められない状態が80年以上続く中、旧島民らで構成する「硫黄島帰島促進協議会」は今年2月、段階的な帰島を求める要望書を国土交通省に提出。島内に自衛隊員らが住んでいる点を踏まえ、交通手段やインフラの確保など「可能な部分から着実な帰島、居住再開への方策を進めてほしい」と求めた。
石原教授は旧島民への聞き取り調査で「島でみんなと同窓会をやりたい」という声をよく聞いたという。「この言葉は旧島民の思いを表している」とした上で、「1世はもう80代後半から90代になる。まずは1週間でも旧島民が集まって語り合う場を政府がつくるべきだ」と述べた。