ガールズグループ「シーズ・ア・レインボー」プロデューサー・サリー久保田が語る、"14歳美少女"×"60'S"×"バンドサウンド"の悦楽

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2025年04月08日 18:10  週プレNEWS

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シーズ・ア・レインボーのメンバーたち


異才・サリー久保田がプロデュースを手がける新たなガールズグループ、シーズ・ア・レインボーがデビューミニアルバム「ピンキー・フラフィー」を3月28日にリリースした。

シーズ・ア・レインボーは2人組多国籍ユニット・wwのオーバンドルフ凜と心愛、アイドルグループ・原宿学園から天川ミオと青山なな子を迎えた4人による、平均年齢14歳のガールズグループ。ミニアルバム『ピンキー・フラフィー』には全7曲が収録されているが、なにより気になるのは全編を彩るカラフルでポップで、そしてスゥイートな"60s"の香り。カラフルなジャケットとともに、すべてを愛でたくなる魅力に満ちている。

そこでサリー久保田さんを直撃。グループの結成から、ミニアルバムの制作エピソード、また60'sの魅力について話を聞いた。

【写真】タワレコでライブをするShe’s a rainbow

* * *

――サリー久保田さんが新たにプロデュースするガールズグループ、シーズ・ア・レインボーについて聞かせていただきたいんですが、どのような流れで結成されたんですか。

久保田 シーズ・ア・レインボーは4人の女の子のガールズグループで、僕はプロデューサーという立ち位置なんです。一昨年から僕と元ピチカートファイブの高浪慶太郎さんでWink Music Service(以下、WMS)というユニットをやり始めて、それはゲストボーカルが歌うってスタイル。

そのときに1曲歌ってもらった、オーバンドルフ凜ちゃんってアイドルの子とまた何かやりたいなって思ったんです。で、彼女の事務所の社長さんと話していく中で、僕は洋楽っぽく英語でやりたかったのでそれを伝えたたところ、凜ちゃんと心愛ちゃん、天川ミオちゃんと青山なな子ちゃんって英語が話せる子たちをピックアップしてもらって、シーズ・ア・レインボーを作ることになりました。


――オーバンドルフ凜さんという共通項はありますが、シーズ・ア・レインボーとWMSは完全に別物なんですね。

久保田 そうです。Wink Music Serviceは僕と慶太郎さんのプロジェクトで、シーズ・ア・レインボーは彼女たちが主役なので、僕は裏方に徹する形ですね。

なんでシーズ・ア・レインボーを始めたかというと、僕は以前にSOLEILって子のソロプロジェクトをやっていたんですね。ただ、コロナ前にSOLEILちゃんが進学とかいろいろあって活動を休止。SOLEILの曲は、カジヒデキくん、沖井礼二さん、近田春夫さんとか結構豪華なメンツの人たちに書いてもらってましたけど、使われなかった曲もあって、もったいないなと思っていたんですよ。

で、自分が昔に書いた曲やSOLEILの曲を英語でカバーしてみてはと思いつき、そこからシーズ・ア・レインボーの方向性が固まっていきました。

――英語で歌うことにこだわったのはなぜだったんですか?

久保田 僕らの世代は洋楽から音楽にのめり込んだので、自分が前やった曲を英語で聴いてみたいって願望がすごく強かったんです。実際やってみたら、以前の曲が新鮮な感じになったと思いますね。

――サウンド面で、SOLEIL、WMS、シーズ・ア・レインボーの違いはどのようになってるんですか?

久保田 僕の中では、SOLEILは60年代のマージビート、リバプールサウンド、簡単に言うとビートルズ風だったんです。WMSは、踊れるソフトロック(笑)。慶太郎さんとのユニットなので、いわゆる60年代の王道の音楽、サントラ、バカラック、ソフトロックから、80年代のスウィング・アウト・シスター、スタイル・カウンシル、マリ・ウィルソンとかを網羅したものってイメージなんです。

シーズ・ア・レインボーは、単純にSOLEILがビートルズだったんで、今度はローリング・ストーンズ風にしようと。なので、音は完全にバンドサウンドで、グループ名も雰囲気がかわいいしと思ってストーンズの曲名からつけました。

――楽曲の「シーズ・ア・レインボー」は、ストーンズが1967年に出したサイケデリックなアルバム『サタニック・マジェスティーズ』に収録されてます。

久保田 ストーンズでも、例えば「サティスファクション」とか「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」とかのヒット曲よりも、自分の中で『アフターマス』『ビトウィーン・ザ・バトンズ』『サタニック・マジェスティーズ』とか、60年代中盤あたりの雰囲気でやりたいなと思ったんです。

あの頃、ストーンズのマネージャーのアンドリュー・オールダムがビートルズをすごい意識してたのか、B級ポップスみたいな曲がいっぱいあるんです。アレンジ的にヴィブラフォンとかタブラとか入れてるけど、ブライアン・ジョーンズとかメンバーがやってるからいい意味で遊びで入れました的な感じで。

シーズ・ア・レインボーのアレンジはそうした遊び心のある方向性でいきました。ちなみにジャケットで4人が着てる衣装は、80年代の人気パンクバンド、NICKEY&THE WARRIORSのNICKEYさんにお借りしたものなんです。


――そうなんですね。では、シーズ・ア・レインボーのデビュー・ミニ・アルバム『ピンキー・フラフィー』の楽曲について聞かせてください。

久保田 1曲目で「SHE'S A RAINBOW ~ OVERTURE」でストーンズのカバーをしたんですけど、歌でなく歌詞の朗読に。そこから2曲目に繋いで、SOLEILの「PINKY FLUFFY」を英詞でカバーしました。「NON! NON! NON!」は僕が90年代にやってたles 5-4-3-2-1のときの曲ですね。「BABY BOO」もSOLEILの英詞カバーで、「MONA (I NEED YOU BABY)」はストーンズもやってたボ・ディドリーの曲。最後に「PINKY FLUFFY」「BABY BOO」の日本語バージョンを入れました。

――4人のメンバーは平均年齢14歳だそうですが、意図的にローティーンを選んだんでしょうか?

久保田 そういうわけではないですね。英語ができて歌もできる子を選んでいく中で、この4人になったから、平均14歳っていうのも偶然と言えば偶然。ただSOLEILも最初14歳で、歌詞もローティーンっぽい世界観だったんです。SOLEILの曲をやるのなら、シーズ・ア・レインボーはちょうどピッタリだなっていうのはありました。

――でも平均14歳となると、レコーディング経験も浅いので大変さもあるんじゃないでしょうか。

久保田 それはあります。音楽好きな人だと、あまりに声が幼すぎるとダメって人もいますし。なので、子供と大人の中間にしか出せない声っていうのを大事にしました。

シーズ・ア・レインボーに関してだと、まずWMSで凜ちゃんを選んだのは、最初は見た目だったんです。なんとなく瞳の感じがブライアンの元彼女、アニタ・パレンバーグっぽいなって思って。彼女も声がよかったし、シーズ・ア・レインボーあとの3人もそれぞれタイプは違うけど、声のよさはみんなあります。ちなみに後で知ったんですけど、アニタ・パレンバーグは自伝が2020年が出ていて、そのタイトルも「シーズ・ア・レインボー」です(笑)。

――シーズ・ア・レインボーの4人の歌声は、切なさと優しさみたいな雰囲気がありますね。

久保田 僕は切ないが歌声が好きで、そういう歌を歌える子がいるとミックスの段階でちょっと大きくするんです。正直な話、歌入れのときに今回は歌唱力の面でちょっと厳しいかなと思うこともあったんですけど(笑)、でも自分の好みの声がいてくれたのもあって結果よかったです。


――ちなみにメンバー本人たちは、普段のアイドルのときと違うタイプの楽曲を歌うことをどう捉えてるんですか。

久保田 どうでしょう、本人たちは深くは考えてないと思いますね(笑)。でも、楽しんでくれてたらいいですよね。

また歌の話になっちゃうんですけど、やっぱり4人とも歌声そのものにちょっと幼さが残っているんです。なので、「もうちょっと大人っぽく歌って」ってリクエストしてました。僕の中で、声そのものの魅力って年齢はあまり関係ない。ただ、その年代にしか出せない声っていうのは絶対あるので、そこは活かしたいとは思ってます。

14歳くらいの声って、ちょっとかすれたようなゾクゾクする瞬間があるんですよ。別に変な意味じゃないですよ(笑)。歌入れのときにそれがあると、やったー!って。そこは、ローティーンならではの魅力だと思います。

――10代のいい歌声を引き出すための秘策とかあるんですか?

久保田 歌入れのときは、必ずお菓子持って行きます(笑)。でも、基本はあんまり何も言わないですね。その子の出方を見て、褒めちぎる感じですかね。あったかく見守り、とにかく楽しい雰囲気に持っていけたらと。

――まさにシーズ・ア・レインボーは、キュートなデコレーションでサウンドのレベルも高い魅力的なプロジェクトって感じがします。

久保田 そう言ってもらえるのはうれしいですね。

――ここからは話題を変えて。久保田さんがこれまで発信してきた音楽やアートワークなどは、60年代のカルチャーがベースになってます。久保田さんは、どのようなきっかけで60年代の音楽やファッションなどに憧れを持つようになったんですか。

久保田 僕は80年代にザ・ファントムギフトってバンドをやってたんですけど、それはネオGSを謳(うた)ってたんです。僕は1960年生まれなので、グループサウンズが全盛のときに小学1年生くらい。ぎりぎりリアルタイムで60年代のカルチャーみたいなものを感じられた世代なんです。

70年代になって、周りがレッド・ツェッペリンだ、キング・クリムゾンだって言ってたときに、僕はそれよりもスパイダースやタイガースが魅力的に思えてたんです。中学生になってレコードを買うようになってから、GSで聴いてた曲が「あれはビートルズの曲だったんだ」「ストーンズの曲なんだ」「ホリーズの曲なんだ」って60年代の洋楽をどんどん知るようになっていったんです。それと同時に、フラワー・トラベリン・バンドとかブルース・クリエーションとかも大好きでした。当時、僕は大瀧詠一派ってよりも内田裕也派だったんです(笑)。

その傍ら、岡田奈々とかアイドル歌謡も聴いたりしつつって感じで。ただ、60年代の音楽が好きな人は周りにはいなかったです。でも大学に入ってからいろんな先輩たちと知り合ってくと、ものすごいマニアな人がいっぱいいたんです。小西(康陽)さんや高さんの家に行ったらうなるほどのレコードがあってびっくりでした。そこからまたすごい影響を受けたって感じでしたね。


――久保田さん自身、60年代の音楽のどんな部分に惹かれたんでしょうか。

久保田 60年代はロック誕生って言われてるけど、大きな意味でポップス誕生でもあるんじゃないかなって思うんです。50年代のジャズやポップスみたいなほんとのオールディーズと呼ばれてるものと、60年代の音楽って明らかに違うじゃないですか。それはやっぱりビートルズが大きい。

ビートルズの登場でそれまでの型にはまったものが全部壊れて、そこからアメリカの職業作家たちも刺激を受けて花が開いた感じがするんです。ビートルズは逆にビーチ・ボーイズとかの影響を受けてとか、みんなが刺激しあってた。ポップミュージックの一番刺激的な時代かなと思いますね。そういう中で日本に目を向けると、僕の中では日本のロックの発祥点ってはっぴいえんどじゃないんですよ。

――では何が?

久保田 スパイダースの1枚目(『リバプール・サウンズ』1965年5月発売)です。それはファーストアルバム(『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』1966年4月発売)を出す前に出したインスト盤で、そこで井上孝之(堯之、ギタリスト)さんが初めてファズの音を出してるんですよ。たぶんストーンズの「サティスファクション」を聞いて研究して出した音だと思うんです。

あれが僕の中では、日本のロックの始まり。しかもスパイダースはかまやつ(ひろし)さんが洋楽を参考にして曲を作ってるっていう、いわゆる渋谷系と同じノリなんです。作曲家の筒美京平さんとかもそうですけど、洋楽を取り入れるのがおしゃれって感じがしたんですよね。信藤(三雄)さんのデザインとかもそうですけど、海外のリファレンスから新しいものを作るっていうのにも、僕はすごく魅力を感じました。

――まさに久保田さんは、60年代の要素をアップトゥデートさせて、音楽やデザインなどに落とし込んで作品作りをしてる印象があります。

久保田 そういう部分に面白みを感じて、ずっとやり続けてる感じはしますね。


――60年代ってカラフルなイメージがありますが、それも久保田さんが60年代カルチャーに惹かれる理由に?

久保田 そうですね。60年代といっても、モッドみたいな初頭からヒッピーが出てくる後半までいろいろ変化があるんですけど、ずっと通してカラフルなイメージはある。でも僕の中の60年代って、物心ついてテレビで見た、タイガースとかバンドが演奏してるキラキラしたシーンが一番にあるんです。グループサウンズのカメラワークって、メンバー全員を映して、ドラムがアップになったり、ベースの手元がアップになったりする。あのときのキラキラ感がすごく印象に残っているんですよね。それとフラワームーブメントからツイッギーが出てきてっていう流れもカラフルです。そんな60年代の終わりとともに、70年代は学生運動とかちょっと暗いイメージになっていったので。音楽的に言うと70年代って完全にロックの時代でしたし。その中で僕は60年代のビートサウンドに惹かれて、大学生の頃の70年代後半くらいからパンク・ニューウェイヴの波が来て、また刺激を受けて、自分の好きなことをやってこうってなっていったんだと思います。

――作品を並べると、すべて久保田さんの手がけたものなんだろうなっていうのがすごくわかりますね。

久保田 ありがとうございます。たぶん、やってることがあんま変わってないんですよ(笑)。僕はヒット曲は1曲もないし全然ダメなミュージシャンなんです。でも成功はしてないけど経験値はあるので、今までの反省を活かして、今、シーズ・ア・レインボーに取り組んでるんです。僕ももういい歳ですけど、子供のときテレビ見たタイガースのキラキラ感を胸に、まだまだ好きなものを作り続けていこうと思っています。

●サリー久保田 
1960年生まれ。静岡県出身。87年にネオGSバンド、ザ・ファントムギフトのベーシストとしてデビュー。92年にはポップ・ユニット"Les 5-4-3-2-1"としてメジャー・デビューを果たす。以降、バンド・SOLEILのメンバー/プロデューサーとして活動するほか、Wink Music Service、She's A Rainbowなども手がける。映画『キャタピラー』『GSワンダーランド』などの音楽監督も務めるほか、アートディレクター、グラフィックデザイナーなどとしても活動。

●She's a rainbow 
新世代パフォーマンスユニット"ww"のメンバー、オーバンドルフ凜と心愛、6人組ガールズグループ"原宿学園"からは天川ミオと青山なな子を迎えた4人組スクールガールズグループ。


『Pinky Fluffy』 
シーズ・ア・レインボー 
オールデイズ・レコード 
\2200(税込)

取材・文/土屋恵介

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