映画大ヒット上映中の『ウィキッド』原作小説はもっとダーク? ファンタジーの中にある現代的テーマとは?

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2025年04月09日 13:00  リアルサウンド

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ウィキッド: 誰も知らない、もう一つのオズの物語(上・下)(早川書房)

※本記事は映画・小説『ウィキッド』の内容に触れる部分があります。未読・未鑑賞の方はご注意ください。


 先日から映画が公開された『ウィキッド』。その原作『ウィキッド――誰も知らない、もう一つのオズの物語』は、1900年にアメリカで初版が発売された『オズの魔法使い』の“前日譚”として描かれた作品だ。


参考:【画像】『オズの魔法使い』ファンタジーの古典があざやかに絵本化


 本作の中心にあるのは、『オズの魔法使い』で「西の悪い魔女」として登場するエルファバと、「北の良い魔女」グリンダの友情の物語である。エルファバが“悪い魔女”と呼ばれるようになるまでの数奇な運命をたどることで、本当の「悪」とは何かという根源的な問いに踏み込んでゆく。


 この物語の大きな魅力の一つは、魔法の国オズというファンタジーの舞台を借りながらも、現実世界の問題を鋭く描き出している点にある。戦争、宗教、差別、階級社会といったテーマが織り込まれており、表面的にはおとぎ話でありながら、その裏側には現代にも通じるリアルな社会の構造が垣間見える。小説が発売されたのは1995年のアメリカ。その時代背景は本作にも色濃く反映されており、作中で迫害される〈動物〉たちは、現実社会の特定の人種を風刺した存在として描かれている。


 ブロードウェイ・ミュージカルとして人気を博し、ついには映画化までされた本作が語るのは、お伽話で悲惨な運命を迎える「悪」を生み出してしまった歪んだ社会の姿である。『ウィキッド』は、ファンタジーの形をとりながらも、時代や場所を超えて問いを投げかけてくる、鋭い社会風刺の物語だ。


◼︎『オズの魔法使い』では描かれなかった魔女たちの絆


 物語の舞台となるオズの世界では、中央のエメラルド・シティを囲むように、東西南北それぞれに特色ある国々が広がっている。ドロシーが竜巻に巻き込まれ、カンザスからマンチキンの国へと運ばれる10年前――。その地で、後に「西の悪い魔女」として知られるエルファバ、そして「南の良い魔女」グリンダ、さらに「東の魔女」となるネッサローズ(エルファバの妹)の3人は、同じシズ大学に通っていた。


 大学では少し目立った存在であったものの、緑色の肌を持つエルファバと、車椅子での生活を余儀なくされる妹ネッサローズの間には、時に衝突もしながらも深い家族愛が存在していた。障害や容姿という「違い」があっても、多くの家族と同じような家族愛がある暖かな関係であった。


 エルファバの大学のルームメイトとなるのが、のちに「南の魔女」となるグリンダだ。裕福な家庭で育ち、華やかで社交的な彼女と、地味で実直なエルファバは性格も価値観もまるで正反対。それでも、寮生活をともにするなかで、お互いを理解し、助け合い、かけがえのない親友となっていく。その過程には、日常の中で育まれる信頼や、違いを乗り越えて心を通わせていく誠実さが描かれている。


 上、下巻に分かれた本作。上巻では、彼女たちの学園生活が主に描かれる。理不尽な校則に反発したり、魔法の授業で張り合ったり、誰かに恋をしたり。微笑ましく、切なく、そしてどこか懐かしさを覚えるような青春群像がそこにはある。エルファバとグリンダが互いの存在を通して変化し成長していく姿は、魔女である以前にひとりの若者としてのリアリティを強く印象づける。


 だが、物語が下巻に入ると、その空気は一変する。エルファバは社会に潜む不正と直面し、信念を貫く人生を選び取っていく。そしてそこに突如現れるのが、あの「ドロシー」である。無垢な少女の存在が、皮肉にも魔女たちの運命を大きく狂わせていく。


 『オズの魔法使い』では単に「悪い魔女」とされていた存在に対して、この物語はその過去と内面を丁寧に掘り下げ、複数の魔女たちが築いた関係性やその断絶、そして喪失までもを描いている。


◼︎映画と小説で大きく異なる物語


 映画版では、緑の肌と強力な魔力を持ちながらも、心の奥に正義を宿すエルファバが、いかにして「悪い魔女(ウィキッド)」として扱われるようになったのか、その人間ドラマが感動的に描かれている。一方、小説ではより政治的・社会的な文脈の中で、家族関係や国家体制に翻弄されながら、やがて革命家としての道を選び取っていくエルファバの生き様が深く掘り下げられている。


 中世ヨーロッパにおける魔女狩りの歴史を想起させるように、小説のエルファバもまた、社会の中で異端とされる存在だ。魔女として処刑された人々が、たとえば未婚の女性、自立的に生きる女性、あるいは知識を持つ女性であったように、エルファバもまた、強い意志と鋭い知性を持ち、緑の肌を持つ“異形”として、周囲から疎まれてゆく。正義感と行動力に満ちた彼女の存在は、時代や場所を問わず抑圧されてきた者たちの象徴ともいえるだろう。


 映画では視覚的に印象的な緑色の肌や黒いマントが彼女のキャラクターを際立たせているが、小説では視覚情報に頼らないぶん、彼女が“異質”とされる内面の理由や社会的構造が、より明確に浮かび上がる。その象徴的な出来事の一つが、〈ヤギ〉の姿をした教授、ディラモンドの悲劇である。映画版では〈動物〉たちに対する差別政策によって彼が軍に捕らえられるが、原作では、なんと実験室で惨殺されるという、より陰惨な展開が描かれている。これが、エルファバが体制に対して真正面から抗い始める決定的な契機となる。


 大学時代に出会い、共に正義を語り、彼女の信念に共感していた友人たちも、成長とともに次第に社会に組み込まれ、やがて彼女から離れていく。権力に吸い寄せられてゆく彼らの姿は、ひどく現実的でもある。


 それでも原作には、陰鬱なテーマに負けないほどの豊かな学園生活の描写がある。エルファバとグリンダの友情が芽生えてゆく過程や、淡い恋愛模様、寮でのやりとりなど、青春のきらめきが詰まっており、彼女たちがただの政治的存在ではなく、一人の若者として生きていることを実感させてくれる。エルファバの誕生からグリンダとの出会い、そしてエメラルド・シティでの別れに至るまで――物語は上巻だけでも400ページ以上にわたり、濃密に綴られている。


 また、小説では舞台となるオズの国の広がりも、地図と共に示されている。黄色いレンガの道、エメラルド・シティ、深い森や高い山々。地理的な関係を確認しながら読むことで、物語世界の立体感が増し、より深くその世界に没入することができる。


 『オズの魔法使い』を知る読者であれば、エルファバが悲劇的な最期を迎えることはすでに知っているだろう。しかし、読めば読むほど、彼女の不器用なまでにまっすぐな行動が裏目に出てしまう場面には胸が締めつけられる。その姿を「それが悪の運命なのだ」と冷淡に語る周囲の人々は、決してフィクションの中の存在とは思えない。彼らの姿に、現代社会の写し鏡を見ているような気がしてならない。


(文=くどうあや)



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