「大阪・関西万博2025」がきょう13日、開幕する。大阪を代表するお笑い界の顔、西川きよし(78)は1970年(昭45)の大阪万博にも参加し、当時の熱気は今も忘れられないという。今回の万博には「よしもとwaraii myraii館」も登場し、お笑いで世界を歓迎する。「大阪万博を2度も体験できるのはうれしい限り。皆さんも、ぜひ1度は万博に来てください」と大きな目で呼びかけた。【取材・三宅敏】
★花月劇場出番終え
EXPO70のシンボルといえば、岡本太郎氏の太陽の塔。その足元に、イベント会場のお祭り広場があった。
「たくさんのお客さんが詰めかける中、『横山やすし・西川きよし』でイベントの司会をさせていただきました。66年に(横山)やすしさんとコンビを組み、少しずつ仕事が増えてきた頃です。花月劇場の出番を終え会場に駆けつけたと記憶しています。すごい熱気を感じながら、漫才もさせてもらいました」
1970年の大阪万博には、6カ月で約6400万人が内外から訪れた。「月の石」を展示したアメリカ館には連日、待ち時間3〜4時間もの長い行列ができた。
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今よりもずっと外国人を間近に見る機会が少なかった時代。当時の子どもたちは外国人を見ると、それが有名人でなくても「サイン、プリーズ」とノートを差し出した。
「あの万博は、まるで未来を見ているような夢の世界でした。月の石を大阪で見られるなんて想像もしなかった。動く歩道も、VIPを乗せるカートも、初めて見ました。高齢者や赤ちゃん連れの家族には楽ちんでありがたいですね。人間洗濯機の映像は今でもニュースで見ますが、あの洗濯されていたお姉さん、元気でしたら、お会いしたいものです」
時は高度成長時代。東京タワー完成(58年)、東京五輪開催、東海道新幹線開通(ともに64年)など、日本中が元気だった。その総仕上げともいえる大阪万博は、まさに世界的お祭りイベント。くしくも、その“時”の流れはお笑い界とも共通する。
★70年上方漫才大賞
近代漫才の祖、横山エンタツ・花菱アチャコがしゃべくり芸の歴史を切り開いたのが昭和初期。戦後は夢路いとし・喜味こいし、中田ダイマル・ラケットらが大衆人気を集めた。そして、66年に結成したやすし・きよしがそれまでの漫才に、スピード感や現代的センスを加え、一躍人気者となった。
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「やすしさんは僕と組むまでコンビを4回解散して、吉本新喜劇にいた僕も20回以上『俺と組もう』と誘われては断ってました。周りの誰もがやすしさんと組むことは反対でしたから、彼とやると決めてからは必死でした。でも、漫才のけいこがやすしさん、嫌いなんです。何度も僕から『やっさん、けいこしよう!』と言って、強引にやらせました」
★仁鶴さんに負けるな
そのかいあって、ぐんぐん仕事は増えていった。万博が開催された70年には、上方漫才大賞を受賞。「素人名人会」の司会を受け継ぎ、笑福亭仁鶴と司会を組んだ「ただいま恋愛中」が始まったのも同年だった。
「当時、大阪(梅田、なんば)と京都に3カ所あった花月劇場に、僕らは2カ月のうち50日は舞台に立っていました。(笑福亭)仁鶴さんが舞台に出たらドッカンドッカンものすごい笑いが起こる。その後がやすし・きよしの出番ですから、僕らも負けられません。『仁鶴さんに負けるな!』と必死で笑いを取りに行きましたよ」
70年前後には、やすし・きよしの他、コメディN0・1、中田カウス・ボタン、Wヤング、レツゴー三匹、正司敏江・玲児、若井ぼん・はやとら大阪の若手漫才師が次々ブレークした。
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あれから半世紀。EXPO2025には、お笑いの吉本がパビリオン「よしもとwaraii myraii館」を出すのが話題。
「まさか、吉本が万博にパビリオンを出せるようになるとは驚くばかりです。70年以降、吉本が成長したことの証しであり、応援してくれたお客さんのおかげです。やすしさんが生きていたら、きっと泣いて喜びますよ。パビリオンではいろんなイベントが開催されるので、僕もなんとか出してもらいたいと思ってます」
EXPO70のシンボルが太陽の塔なら、今回の万博はなんといっても大屋根リング。全長約2キロ。天気がよければ淡路島も望めるという。
「僕も一足先に会場にお邪魔して、リングを歩かせてもらいました。すごい迫力ですよ。下から見上げると『ここは清水寺か?』と度肝を抜かれました。世界各国のグルメも楽しめますし、もう万博にはワクワク感しかありませんよ」
★妻ヘレンに恩返し
きよしには56年越しのひそかな夢がある。70年当時は、妻ヘレンが次男出産のため、大阪万博に行くことがかなわなかった。
「ですから、今年こそ妻と2人で万博を楽しみたいんです。ここまで苦労をかけたヘレンへの恩返しでもあります。テーマは『いのち輝く未来社会のデザイン』ですし、夫婦で健康で長生きできるよう願っています。そのためにも『笑い』は大切。元気で笑って、ずっと健康でいたいものです」
55年ぶり、大阪で2度目の万博。きよしは目玉をいっぱいに見開いて、すべての魅力を体感したいと期待している。
◆アクセス
会場となる夢洲(ゆめしま)までの主要アクセスルートは、橋とトンネル、地下鉄の計3ルート。会場の最寄り駅は大阪メトロ中央線「夢洲駅」。約10カ所の主要駅を発着点とするシャトルバスがある。万博会場の大阪湾の人工島・夢洲の敷地は、甲子園球場40個分。シンボルとなる環状の大屋根リング(1周2キロ、幅30メートル)の中に世界約160の国と地域が集う。
◆70年大阪万博のテーマ
「人類の進歩と調和」。日本は高度経済成長のクライマックスで、世界に日本の存在感をアピールするオールジャパンのイベント。1日平均35万人、半年間の会期で6422万人がつめかけた。25年大阪・関西万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、健康、医療、AI(人工知能)や多言語対応で人類共通の課題の解決策を具現化する技術やアイデアが紹介される。
◆西川(にしかわ)きよし
1946年(昭21)7月2日生まれ、高知県出身。石井均に入門後、吉本新喜劇研究生。66年漫才コンビ「やすし・きよし」結成。斬新なテンポの速い漫才で、お笑い界を代表する人気者に。67年上方漫才大賞新人賞。70年同大賞。「素人名人会」「爆笑寄席」「ただいま恋愛中」などテレビ番組に多数出演。やすしが不祥事から、謹慎と復帰を繰り返す一方、きよしはピンで活躍。86年参院選出馬で、大阪府選挙区トップ当選。以後3回連続当選。20年漫才師として初の文化功労者に。67年にヘレン夫人と結婚。長男忠志、長女かの子も芸能活動中。
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