倉田真由美「抗がん剤を使わなかった夫」闘わなかった闘病の記録「残さないと」

1

2025年04月14日 07:17  日刊スポーツ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊スポーツ

著書「抗がん剤を使わなかった夫」を手にする倉田真由美さん

<情報最前線:エンタメ>



漫画家の“くらたま”こと倉田真由美さん(53)が著書「抗がん剤を使わなかった夫〜すい臓がんと歩んだ最期の日記〜」(古書みつけ)を出版した。


すい臓がんと診断されながら抗がん剤を使った標準治療をせずに、昨年2月16日に56歳で亡くなった夫の映画プロデューサー叶井俊太郎さんとのラスト1年9カ月の日々をつづっている。くらたまに聞いてみた。【小谷野俊哉】


■余命半年宣言


叶井さんは2022年(令4)5月に悪性のすい臓がんと診断された。何もしなければ半年、長くて1年と余命宣告を受けた。標準治療は抗がん剤治療を受け、手術して「成功したら5年生存率は2、3割」。


「俺は絶対やらないよ。痛い思いをしたり、苦しんだりしたくない。やりたいことは全部やってきたから。いつ死んでもいい」


最期の時を迎えるまでの1年9カ月、倉田さんはその思いに寄り添った。


「その時、54歳ですけどね。体には全く気をつけてませんでした。お酒は飲めなくて、めちゃくちゃ甘党。その2年前に心筋梗塞をやったんですけど、特にケアはしてませんでした」


病気に気が付いたのは肌が黄色くなって、白目も黄ばんできてからだ。


「最初の病院では胃炎の診断。でも、私は絶対違うと。誰が見ても黄疸(おうだん)じゃないかっていうくらい。だけど医者だけが『いや、黄疸じゃない』って、血液検査もしなかった」


結局、3つめの国立病院で「余命半年から1年のすい臓がん」と診断された。


「抗がん剤は個人差があって、使ってみないと効くか分からない。すい臓がんは早期発見できても、助かる確率が低い。そういうこともあって、夫は抗がん剤を使わないって決めやすかったんだろうと思います」


「余命半年かあ。短いな。仕事いっぱいあるのに」


標準治療を拒否した夫を連れて、倉田さんはセカンドオピニオンの旅に出た。


「セカンドオピニオン、サードオピニオンって受けるうちに、絶対治療してほしいっていう気持ちは、だいぶなくなりました。治療すれば必ず治るものでもないし、やっぱりつらいですしね。やってみないと分からない。絶対にこうするべきみたいなことはないですよね」


■QOLを重視


抗がん剤治療は拒否した叶井さんだが、倉田さんが勧めるいくつかの治療法は受けた。NKT細胞標的治療、CTC(循環腫瘍細胞)検査、高濃度ビタミンC点滴、水素ガス、有機ゲルマニウム、サプリメント。


「民間療法に関しては、私は良いも悪いも言えません。いくつか試したけど、どれが効いたとかは、全く分かりません。ただ、お金だけはかかります。抗がん剤治療しないことによって、寿命を延ばすというより、残りの人生のクオリティーを高めてやると。実際に23年の6月くらいまで、それってどんなに長くても1年って言われた最後のギリギリだったけど、1年間は結構元気だったんです」


胆管の胆汁の流れをよくするステントを入れる手術以外は、叶井さんは“闘わない闘病”をした。カップ麺、フライドチキン、甘い物と好物を口にして、食べ過ぎることもあった。


「少しでも長く生きようという努力を、本当に全然してくれなかった。すい臓が悪いのに、すい臓を酷使する甘いものばっかり、ドカドカ食べて、いいわけないんですけどね。まあ、本人が食べたかったからだけど、私は結構身を引き裂かれる思いでした。食べたいものを食べさせてやりたいっていう思いと、イライラした気持ち。食べ過ぎておなかが痛くなって『なんで、そんなものを食べるの』みたいなことを言っちゃって、それで後悔も」


■バイパス手術


すい臓がんが見つかってから1年後の23年6月、叶井さんは胃と小腸をつなげるバイパス手術をした。


「がんが大きくなって十二指腸を圧迫してたんです。そのバイパス手術をやって胃が半分以下になって、消化能力が落ちてるのに食べちゃう。だから食べ過ぎておなかが痛くなるっていうのを何回もやりましたね。本人は、もう早く死にたいと。入院している時に痛くて首をつろうとしました。『希死念慮があるので、病室に監視カメラ置きます』と連絡がありました」


■医者選べない


痛みの原因は、胆管のステント手術の失敗だった。


「手術が下手な先生がいたんですよ。外科の先生は手術がうまいかどうかで本当に違います。2回で済む手術を4回やってるんですよ。失敗、成功、失敗、成功で、失敗も成功も同じ人。医師を選べるんだったら、夫も苦しまずに済んだのに。でも、患者側からは全く分からない。レストランとかだったら、食べログとかである程度は分かるのに。医師の評価、特に手術の評価なんて分からないんですよ。その時の痛みが、長い闘病生活の中で一番の痛み。痛み止めの薬は効かないんです」


叶井さんは23年10月に著書「エンドロール!」を出版。同12月には「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」も開催された。


「その頃までは、元気でしたよ。年が明けても元気で、前の日に大雪の中、2月5日に自転車で病院に行ったんですよ。亡くなる10日くらい前なのに片道20分くらいある病院に自転車をこいで行ったんですよ」


■人と違う選択


24年2月16日の夜、叶井さんは自宅で亡くなった。前夜から容体が悪化して、ベッドで息を引き取った。


「この本を書くのは、夫のことは私が残さないと、私が死んだら消えちゃうから残したかった。抗がん剤治療をしない闘病の情報を私だけで抱えたくなかった。闘病中から夫のことは漫画にしてました。夫って私にとっても、人にとっても絶対面白いと思ってましたから。人と違う選択をすること、面白い考え方、変わった考え方みたいなものを世間に出してから、私も死にたいと思った。普通、闘病記って漫画にしても悲しいものじゃないですか。なのに基本的にコメディーですもんね」


抗がん剤治療をせずに仕事を楽しみながら、叶井さんは死と向き合った。倉田さんは、メモしていた日記に肉付けをして本を書き上げた。


「亡くなって1年たって落ち着きましたが、最初の時はすごく悲しかった。今でも悲しい、全く無理。自分がこんなに引っ張るとは思ってなかった。高1になった娘は、夫に似てるんで引っ張ってません。悲しがるより、友達と遊ぶのが楽しいっていう、本当に夫みたいなタイプ。私だけがメソメソしてます」


◆倉田真由美(くらた・まゆみ)1971年(昭46)7月23日、福岡市生まれ。94年に一橋大商学部を卒業。「ヤングマガジン」ギャグ大賞を「ほしまめ女学院」で受賞してプロデビュー。00年に「週刊SPA!」で連載を始めた「だめんず・うぉ〜か〜」がブレーク。09年に叶井俊太郎氏と結婚。10〜12年にNHK経営委員。血液型O。


◆叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)1967年(昭42)9月18日、東京都生まれ。91年に映画配給会社入社。92年香港映画「八仙飯店之人肉饅頭」を買い付け。01年映画「アメリ」が興収16億円の大ヒット。プロデューサーとして「いかレスラー」「ヅラ刑事」「日本以外全部沈没」など。09年9月に漫画家倉田真由美氏と4度目の結婚。

このニュースに関するつぶやき

  • 自分は闘病は人それぞれでいいかと思います。家の父も治療をしない選択でした。楽しい人生だったと言ってもらえたので良かったです。もちろん治療を受けて生きたいと思うことも大切かと思います。
    • イイネ!0
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(1件)

ニュース設定