三國連太郎さんの十三回忌に参加した浅田美代子、吉岡秀隆 2013年4月14日に90歳で亡くなった三國連太郎さんの十三回忌が14日、日、生前撮影でも縁の深かった角川大映スタジオで行われた。
【写真たくさん】ゆかりのある俳優陣が集結…三國連太郎さんの十三回忌三國さんと生前に縁のあった俳優や関係者・総勢400人を迎え、三國さんが活躍していた当時の撮影現場の空気を感じられる角川大映スタジオで実施。会場内のスクリーン左手には、三國さんが活躍していた時代の映画撮影現場のオブジェが印象的にレイアウトされた。
美術監督の原田満生のデザインで、三國さんの私物のトレンチコート・帽子・バッグ・劇用指輪・葉巻パイプ・杖、撮影監督の木村大作の私物であるフィルムカメラ(ARRI 2C 35mmカメラ)が、照明機材や脚立と共に展示された。会場後方には、特殊メイクの江川悦子作成の生前の三國さん・佐藤浩市・寛一郎親子三代のデスマスクも展示された。
司会の笠井信輔から三國さんとのエピソードを振り返りながら開式の発声。三國さんの85歳当時のインタビュー映像が流れた後、佐藤家を代表して佐藤浩市のあいさつ、その後、三國さんと縁の深かった来場ゲストによる心温まるスピーチが続いた。会場限定での三國さんの活躍を振り返る映像が随所に流されながら、最後に、佐藤浩市・寛一郎からのあいさつにより会が締めくくられた。
三國さんは1951年に映画デビュー。代表作に『ビルマの竪琴』『八甲田山』など多数。1984年には紫綬褒章、1993年には勲四等旭日小綬章など、数多くの賞を受賞した。自らメガホンをとった映画『親鸞・白い道』(1986年公開)がカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、監督としても手腕を発揮した。息子で俳優の佐藤浩市とは映画『美味しんぼ』などで共演していた。
映画『釣りバカ日誌』シリーズでは、スーさんこと鈴木一之助役を好演。西田敏行演じるハマちゃんこと浜崎伝助と長年コンビを務め、2009年に公開された『釣りバカ日誌20ファイナル』で22年続いたシリーズに幕を閉じていた。
■浅田美代子
「14本共演した『釣りバカ日誌』は、途中参加だったけれど、温かく迎えてくれました。三國さんは普段は楽しい人でしたが、脚本は書き込みがすごくて、西田さんと喧々諤々議論が続き、撮影出来なかった日もありました。『息子』では父と娘の役柄を演じました。メイク室で、役柄にあわせて、爪のなかに汚しをいれて(役作りをして)いるのを見て、驚いた思い出があります」
■吉岡秀隆
「釣りバカ12のみの共演で、スタッフと勘違いされているのか中々覚えてもらえなかったんです(笑)。(※当時寅さんと釣りバカがセット上映だったことから)寅さんのことをA面と呼んで、寅さんに出ている自分のことを見ると「あ、A面の人がいる」とよく茶化していました(笑)。三國さんと西田さん、二人とても仲良いのがとても羨ましく思っていました」
■朝原雄三監督
「助監督として参加した『息子』では、衣裳あわせで、「この衣裳は頑として着たくない」と主張され、「大変な人だな」という印象でした。ただ真摯に向き合っていると、真摯に返して下さる方でもありました。監督として『釣りバカ日誌』でご一緒した折は、いつも三國さんがとんでもないことを言い始め、浅田美代子さんがそれにびっくりして、西田敏行さんが取りなす、という関係性でした。三國さんが『釣りバカ日誌』に20本も出演されたのは、西田さんという天才に勝ちたかったから、という思いだったのだと。毎作、「新しいお芝居のやり方でやりたい」とおっしゃって撮影に臨んでいらっしゃいました」