宮川サトシさん(46歳)「母が生きていたら描かないでくれと言われたかもしれません。だけど、説得できるだけのものはあります」と漫画家の宮川サトシさん(46歳)は静かに言った。これまで数多くの「家族」をテーマにした、ほのぼのエッセイ漫画を手がけてきた宮川さんには、今まで一度も作品に登場させたことのなかった兄がいた。実家に30年もの間、ひきこもるきっかけを作ったのは、他でもない自分だったという。第1回「スペリオールドキュメントコミック大賞」大賞受賞作品の「名前のない病気」の作者、宮川サトシさんに話を聞いた。
◆15年上の兄を「長男さん」と呼ぶ
宮川さんは、岐阜県出身。共働きの両親のもとに、3人兄弟の末っ子として産まれた。両親が40歳過ぎでできた遅い子どもだった。7歳上の兄とは親友のような関係だが、15歳上の兄は名前を呼ぶのをためらう。作中にあるように、「長男さん」と記号のような呼び方をしている。
「兄は、小中高時代は、ひきこもりではなかったです。ただ正直、僕にとっては『この人間は自分の兄だ』というくらいの認識しかなく、『お兄ちゃん』と呼んだこともありません。僕がテレビを観ていると、自分が好きなチャンネルに替えに来るとか、絶妙に嫌なことをやってくる人でした。抗議しても大声でがなり立ててくるので、あまり関わりたくなくて距離を置いていたから、記憶が薄いんです。だから、今も、記憶をたどって描いています」
高校卒業後に工場で働いていた兄は、職場に行ったり行かなかったりしていたが、本格的にひきこもるきっかけになったのは、宮川さんとの喧嘩だった。兄は家で暴れるたびに、家族に包丁をつきつけた。真ん中の兄は、宮川さんが小6の時に家を出ており、仕事で忙しかった父に代わり、兄が暴れると止めるのが役割になっていた。
◆包丁を持ち出す兄と喧嘩の末に兄は入院しひきこもり生活に
宮川さんが高校2年生の時に、帰宅すると、室内から母の悲鳴が聞こえてきた。いつものように兄が暴れているのかと思うと、兄から暴力を受けた母がもみくちゃにされて引き倒されていた。兄の手にはいつものように包丁が見えた。母が血を流していた。
「ママっ子だったので、頭に血が上りました。次男から教えられていた護身術を使って長男を取り押さえて、兄ともみ合ってるうちに、とどめの一撃を入れると、兄の顔色は血色が悪くなっていきました」
その後、兄は入院することになった。入院を機に兄は、自宅でのひきこもり生活に入る。宮川さんは、幼いころから争いが耐えない環境にいたため、いまだに「兄弟喧嘩の定義」がどんなものか分からないという。
そんな宮川さんにも大きな転機が訪れる。大学時代に白血病にかかり入退院を繰り返した。闘病後、30歳の頃に現在の妻と同棲を始め、実家の近くのアパートに引っ越したのだ。
◆母の死後、父と長男の2人暮らしでゴミ屋敷に
宮川さんは、30歳手前で働き出すが、当初は漫画は描いていなかった。32歳の時に、母が70歳で亡くなってからは、当時76歳の父と長男が実家に残された。母が亡くなる前後から、父はアルコールに依存しだした。
「父には『こんな時に酒を飲むなよ』と思うこともありましたが、今思えば色々と悩んでいたのでしょう。長男のことは、解決しなければいけない最大の課題だと考えていたと思います」
きれい好きだった母が亡くなってから、実家の庭は草がぼうぼうとなり、荒れるようになっていく。そんな父も80代で亡くなり、実家には長男だけが残された。掃除もされず、ゴミ屋敷になっていった。
「兄はひきこもりと言っても、買い物には行けるので、食事に困ることはありません。パンなど、主に調理が必要じゃないものを食べています。家賃もいらない、働いていた頃の貯金もある、両親の遺産の分与分で生活しています。毎月かかるお金は、次男が管理しています」
厚生労働省の「ひきこもりの定義」によると、ひきこもりとは「様々な要因の結果として社会的参加(就学、就労、家庭外での交遊など)を回避し、原則的には6か月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態を指す現象概念(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」平成22(2010)年5月より)」なので、長男の状態は正確にいうと「ニート」だ。
「よく作品を読んだ人から、そんな状態の兄を両親は病院に連れて行かなかったのかと聞かれます。両親は、努力はしていましたが、受診させるのが難しかったです。そのうちに、受診させることを諦めてしまった時期もあります」
精神疾患や精神障害者に対する受診は、本人が成人している場合、家族であれ難しい現状がある。
◆漫画家として「兄のことは描かなければ納得いかなかった」
33歳頃に漫画家としてデビューするが、主にストーリーのギャグ漫画を描いていた。そして35歳の時に、代表作となる『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社刊)を発表。母親を亡くした経験を描いたエッセイ漫画で、表紙には母の葬儀に臨む宮川家の葬列が描かれている。
「その表紙に、家族は描いても長男は描きませんでした。隠していることで胸が痛みました。大学生の頃から、長男のことはいつか何かで形にしないといけないと思っていたんです。両親が亡くなり止める人は誰もいなくなった今、漫画家として、描かないと納得できないと思いました」
母が生きていたら止めるだろうと思うが、「今なら説得できるだけのものはあります」と宮川さんは力強く言った。
34歳の時に、両親が亡くなったことで実家の近くに住む意味を失い、妻と上京したが「半分は逃げてきた」と振り返る宮川さんは、現在は3〜4か月に1回、漫画の取材もかねて帰省している。
「ゴミ屋敷と化した実家に、肉親を一人残している罪悪感はあります。それに長男は元々、肺や心臓が弱く、体が強くありませんでした。年齢も61歳で、耳が遠くなっています。今は、人に危害を加えるような人ではないし、むしろ、僕の子どもたちにも優しいです。彼なりに兄貴を演じなければいけないという気持ちがあるんだと思います。お互いに年齢を重ねて、関係値も少しずつ変わり始めているので、それも含めて描いていければと思っています」
最後にどんな作品にしていきたいかを聞いた。
「兄をバケモノのようには描きたくないんです。例えばマジンガーZは勧善懲悪がハッキリしているけど、機動戦士ガンダムは『どっちの言い分もあるよね』という、リアリティを突きつけてくる作品ですよね。うちの長男も、人をイラっとさせることには天才的で、言われたくないことを突いてくるけど、一方では、なけなしの100円で、うちの子どもたちにおもちゃを用意してくれたりもする。そうした人間として立体的な、リアルな部分はしっかり描いていきたい。その上で、自分たちがいま現在進行形で経験している家族の問題…ニッチな生きづらさに共鳴してくれる読者がいるならば、それを物語として描くことで、この生き方への答えを出していけたらと思っています」
そう語る宮川さんの目には、漫画家としての強い覚悟が見えた。
<取材・文/田口ゆう>
【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1