小澤慎一朗さん「なんのっ」「ですからなあ〜にっ」という独特のイントネーションと白目を剥いた表情の漫才で一躍注目を集めた、お笑いコンビ「ピスタチオ」。
2022年にツッコミの小澤慎一朗さんが「子どもに関わる仕事をしたい」と希望したことから、コンビを解散しました。
解散後、小澤さんは「放課後等デイサービス」の児童指導員として働くようになりました(2024年11月に退職)。「放課後等デイサービス」とは、知的障害や発達障害などがある、小学生から高校生までの子どもたちに放課後の居場所を提供し、必要な支援をする福祉サービスです。
小澤さんに、ピスタチオ解散に至るまでの経緯や、放課後等デイサービスで働き始めた当時のお話について聞きました。
◆「ピスタチオ」解散の裏側
――小澤さんがコンビ解散を決心したのはなぜだったのでしょうか。
小澤慎一朗さん(以下、小澤):コロナ禍により仕事が無くなり収入が減ったことで、「お笑い芸人を続けていくのはしんどいな」と感じるようになったんです。その前の年に結婚して子どもが産まれ、生活に不安を感じたことが大きかったです。また、「家族と一緒に過ごす時間を大事にしたい」という思いもありました。
そんな矢先、NSC時代の元同期が「放課後等デイサービス」で働いていて、Instagramに「保育士募集!」と書いているのを見て興味を持ちました。もともと子どもが好きで、小学生の頃から赤ちゃんや年下の幼馴染と遊ぶのが大好きだったので、すぐに連絡を取ってアルバイトをさせてもらいました。
――初めて放課後デイサービスで働いた時は、どう思いましたか?
小澤:最初は障害を持った子どもたちの居場所だと知らなかったので、元同期から説明されたときは「僕に務まるのかな」と思ったのですが、障害のある子どもたちと接していると、「他の子どもたちと変わらないな」と感じました。
僕が働いていた施設は、軽度の障害を持つ子どもたちが多く、ADHDなどの発達障害があるお子さんや、ダウン症のお子さんたちが通っていました。子どもたちはみんな可愛いし、一緒に遊ぶのが素直に楽しかったですね。2021年の11月ごろからアルバイトとして働き始めて「この仕事をやっていきたい」と思うようになり、相方に「解散したい」と伝えました。
◆「解散しても、俺らは芸人仲間や」
――相方の伊地知大樹さんや、周囲の方の反応はどうでしたか?
小澤:伊地知さんは「コンビ活動休止でもいいんじゃない?」と言ってくれましたし、周りの方からも「解散しなくてもいいんじゃないか」という声がありました。
でも、僕の中で芸人の定義は、ネタを作って、たくさんテレビに出て、MCをやって、「売れる」ことを目標にして必死で努力することなんです。伊地知さんは、まさにそれを目指して、コロナ禍で仕事が減っても「もう一度売れたい!」と燃えるタイプだったので、「同じスタンスになれない僕が隣にいるのは間違いなんじゃないか」と考えるようになりました。吉本の社員さんを含めて何度も話し合い解散を決めましたが、実は解散後も吉本興業に籍を置いているんです。
――なぜ、吉本に所属し続けることになったのでしょうか。
小澤:僕は吉本を辞めて、児童福祉の仕事だけをやっていこうと思っていたんです。すると、社員さんや芸人仲間たちが、「お前が解散しようが芸人を辞めようが、俺らは芸人仲間やと思ってる。小澤が子どもたちのために情報発信をしたいと思ったときに、吉本に所属していれば協力できるから、籍だけでも置いておけ」と言ってくれたんです。
吉本の役員の方も、「吉本で15年やってきて、名前も顔も知られているんだから、この経験をゼロにして次に行くよりも生かしたほうがいい。吉本なんか、いてもいなくても仕事ゼロなんだから、利用したいときにできるように籍だけ置いておいたらいいんだよ」と言ってくださいました。
そう言っていただいて、「確かに現場で働くだけではなく、障害のある子どもたちに関わる中で経験したことを世の中に広めることが、自分にできることかもしれない」と思うようになり、吉本に籍を残すことになりました。
◆放課後等デイサービスの職員がテレビCMに
――周りの職員や親御さんたちから、「お笑い芸人が働いている!」と驚かれたりしませんでしたか?
小澤:解散後もテレビに出る仕事はときどきあったので、同僚の方に「出てたのなら教えてよ」と言われることはありました。でも照れくさいし、自分で告知したら「お前のことなんて興味ないよ」と思われるかもしれないので、事前に言うことはありませんでした。
解散後に「日清カップヌードル」のCMにコンビで出演していたので、放映されていた時期は送迎時に親御さんたちから「見てますよ」と言われることがありました。そのときに、「俺が元芸人だと気づいてたんだ、やべーな」と思いました(笑)。その後も一部の保護者の方から「YouTube見たよ」と言われたり、2、3人の子どもたちは気づいていましたが、ほとんどの子どもたちは知らなかったと思います。
――芸能界という華やかな世界を去ったことで、新しい環境に対してギャップを感じることはありませんでしたか?
小澤:僕はあまり華やかなほうではなかったので、特にギャップを感じることはなかったですね。新しい仕事をする中で大変なこともありましたけど、やっぱり子どもたちは可愛いし、楽しいことのほうが多かったです。子どもたちとの接し方を模索する中で、自分の子育てに応用できることもたくさんありました。
<取材・文/都田ミツコ 撮影/林紘輝>
【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。