「置き去り」にしない報道模索 岩手山林火災、記者の反省とこれから

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2025年04月19日 09:01  毎日新聞

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インタビューに応じる東海新報社の鈴木英里社長(左)と佐藤壮記者=岩手県大船渡市で2025年3月27日、工藤哲撮影

 7日に鎮火が宣言された岩手県大船渡市の大規模山林火災。国内では平成以降最大の約3370ヘクタールを焼失し、今も現場には生々しい焼け跡が残る。2月26日の発生から鎮火までには41日を要し、住民らは地域の再建に向け少しずつ歩み始める。あの日々から間もなく2カ月。改めて関係者に当時の状況や課題を聞いた。【聞き手・工藤哲】


東海新報社の鈴木英里社長、佐藤壮記者


 ――山林火災の発生から間もなく2カ月になります。


 鈴木さん 火災が発生して火がどんどん拡大した時から、これは長期の取材になる、という思いがありました。鎮火した後も市民生活への影響が大きく、行政側からの支援が十分に行き届かないケースが出る可能性があります。取材が必要な懸案が山積みで、地元紙としては住民が「置き去りにされた」と感じないようなきめ細かい報道をどう続けていくかを考えています。


 佐藤さん まだ避難を続けている方もおり、被災は長期間続きます。市は鎮火の宣言はしましたが、一区切りという感覚はまったくありません。


 ――報道について、改めて省みることはありますか。


 佐藤さん 発生直後に現場近くに入って取材した時に、燃え方が大きなところに目が向いてそちらの撮影に集中してしまい、無事だった場所についての撮影が不十分だったかもしれません。多くの住民の関心は「どこが燃えたか」と同時に「どこが無事だったのか」ということだったので、「無事」ということにもっと目を向けて伝えれば良かった、という思いがあります。


 鈴木さん 14年前の東日本大震災の時は通信そのものが途絶えてしまい、被災者の安否確認などの基本的な情報のニーズが多かったのですが、今回の火災時には通信には支障なかったことで、逆にSNS(交流サイト)上で根拠不明な情報があふれていました。


 市民の混乱を避けるためにも確かな情報発信の必要を感じ、本格的にX(ツイッター)のアカウントを立ち上げ、紙の読者にとどまらず不特定多数に向けて発信しました。予想以上のフォロワー数になり、有事での信頼できるSNS発信の効果を改めて実感しました。


 佐藤さん 紙面上では地図を使った被害の紹介や、行政側の支援金の額や支給対象などの生活に直結する情報へのニーズが高く、こうした点の細かい情報が求められていることが改めて分かりました。


 情報を発信している大船渡市も、市役所の内部は日々混乱しており、連日の記者会見では市の対応を追及するより、記者とともに一つずつ情報を確認して、より分かりやすく、洗練したものにしていくようなイメージで臨みました。行政側と市民のつなぎ役として、伝えるべき情報に漏れがないようにと意識し、それを続けています。


 ――各地に避難所が設けられましたが、改めて気づいた点は。


 佐藤さん 避難所は連日さまざまな人が出入りし、求められるものが刻一刻と変化していきます。規模は大小さまざまで、必要なものはそれぞれの場で異なります。おそらく多くの人が喜んだのは、ドジャースの佐々木朗希投手が送った布団セットでした。あとは今回の火災では物流が機能していたので、物資とともにお金を必要とする人も少なくなかった印象です。


 ――メディアとして有事に求められることは。


 鈴木さん 非現実な事態が起きると住民は混乱し、気持ちが高ぶって怒りの感情が起こりやすくなります。14年前の震災の時も同じでしたが、被災地では不和が起きたり、デマが飛び交ったりします。こうした非常時こそ、冷静になってもらうための取材に基づいた信頼できる情報の発信が欠かせません。地元に根ざしたメディアとしてその姿勢を持ち続けたいと思います。


東海新報


 本社・大船渡市。陸前高田市や住田町の読者に向けて発行する地元紙で、1958年に創刊し、社員は40人(うち記者は約10人)。東日本大震災の当日は自家発電でA3判1ページの号外2000部を印刷し、動ける社員総出で避難所に配った。その後も地元の読者の目線に根ざしたきめ細かい報道を続けている。山林火災の発生時には各避難所に無償で紙面が置かれた。



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