中山忍(C)モデルプレス【モデルプレス=2025/04/22】2024年12月6日に54歳で亡くなった中山美穂さんのお別れの会が2025年4月22日、東京国際フォーラムにて行われた。喪主を務めた妹の中山忍が報道陣の取材に応じた。
【写真】中山美穂さんの妹が目うるませる◆中山忍、姉・中山美穂さんへの思い「これが夢だったらよかったのにな」
今回の会は、関係者約800人が参列した第1部、これまで中山さんの活躍を見守ってきたファン向けに行われた第2部の2部構成で実施。祭壇には、中山さんが好きだという赤いダリアの花55本や、季節の花々が5000本以上並んだ。
開式前に囲み取材に応じた忍は、「情けない話なんですけれども、今の方が泣いてしまうんですね。なので、お集まりいただいてなんとも言えない気持ちです」と心境を吐露。「これが夢だったらよかったのにな」とつぶやきつつ、「それでもやはり関係者の皆様にお別れの機会を与えたいなという思いがありました」とお別れの会実施への思いを明かした。
突然の訃報については、「本人が1番驚いていると思うんですね。まさかという形でお別れをすることになるとは、思っていなかったと思います」とし、「所属事務所と皆様の協力でお別れの会を開いてもらえたことを本当に感謝しております」と感謝を言葉に。また、「もっとこうしてあげればよかった、後悔みたいなもののもたくさん出てきました」と目をうるませながら語った。
◆中山忍、姉・中山美穂さんとの思い出語る
また、美穂さんとの思い出について聞かれた忍は「私の心の中にいる姉は幼い頃に遊園地に遊びに連れて行ってもらった、日に焼けていて写真を撮ってもらった時にお澄まししちゃうような、幼い頃の姉の姿が浮かんで」と幼少期の姿を回想。当時の様子を思い返しつつ「これからは小さい頃の姉を抱きしめてそれが慰めになればいいなと思います」と語った。
さらに「ほんとに喧嘩ばっかりしていました」と振り返るも、成長し、アイドルとなった美穂さんの姿を見て「トップアイドルってこういうことなんだな」と感じたという。妹として、アイドルのトップとして活躍する姿は「羨ましくもありコンプレックスでもありました」と打ち明けるも「今は皆様に愛していただいて、偉大だったと思います」「まだお別れを言いたくないです。ただもう一度会いたいなと思います」と心境を吐露していた。
また、美穂さんが40周年を迎えたことについて「コンサートツアーをやらせていただく、直接応援してきてくださっている方に『ありがとうございます』って言いたかったと思うんです」と話し、「こういう形で集まることは望んでいなかったと思う」と思いを代弁しつつも、「別れを惜しんできてくれることは喜ぶと思う」とコメント。ファンへのコメントを求められると「本当に姉のことが大好きだったので妹の勝手なお願いですけど、どうかいつまでも覚えていてください」と伝えていた。
◆中山美穂さん、“ミポリン”の愛称で親しまれたアイドル女優の先駆者
中山さんは1970年3月1日生まれ、東京都出身。愛称はミポリン。1985年にドラマ『毎度おさわがせします』で俳優デビュー。同年シングル『C』で歌手デビューを果たし、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。代表曲に『世界中の誰よりきっと』、『ただ泣きたくなるの』などがある。1995年の『Love Letter』では「第38回ブルーリボン賞」主演女優賞を始めとする映画賞を多数受賞。1997年の『東京日和』では「第21回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞」を受賞するなど、1980年代から1990年代にかけて歌手・女優の両分野で活躍し、数々のヒット作を生み出した。2024年12月6日に入浴中に起きた不慮の事故で亡くなった。(modelpress編集部)
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