元プロ野球投手・島孝明さん、第2の人生は自身を引退に追いやったイップスを治す研究「僕が治した人がロッテのクローザーに…」

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2025年04月24日 12:05  TBS NEWS DIG

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イップスに苦しむ投手に、希望の光が射すかもしれない。自らも症状に苦しみ、プロ野球を21歳という若さで引退した元ロッテの島孝明さん(26)。引退後は國學院大學、慶応大大学院へと進み研究者の道へ。「治す研究」を続ける過程で症状を克服した。「僕がイップスを治せた人が、僕の叶えられなかった夢、ロッテのクローザーになって活躍してくれたら」と新たな夢を語る。

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「難敵」イップス

「イップス(yips)」とは主にスポーツ選手に見られる、“自分の身体を思い通りに動かせなくなる症状”のこと。野球選手が短距離のキャッチボールもできなくなる、ゴルファーが極めて簡単なショートパットもきめられなくなる、などが典型的な例として挙げられる。

その言葉が初めて世に出てから数十年。今も病気ともケガとも定義はしきれず、明確な治療法は見つかっていない。とある有名プロ野球選手の専属トレーナーは、こう話した。「イップスの治療法を見つけられたらノーベル賞ものですよ」。

イップスで絶たれた夢

この難題に挑んでいるのが、元プロ野球投手の島さんだ。高校時代には西武の今井達也(26)らと共に18歳以下の日本代表にも選出され、2016年ドラフト3位でロッテに入団した。島さんは当時を振り返り「ロッテのクローザーとして、満員のファンの大声援と期待を背負いながら投げたいと思っていました」と語る。

だが入団からわずか3年、一度も一軍登板を果たすことなく21歳で現役を引退。その最大の原因が1年目の6月頃に発症したイップスだった。きっかけは、今も正確には分からない。「筋肉痛でコンディションが悪い日が続くな・・・」くらいの感覚。普段通りにピッチングをしているはずなのに、突然ボールが狙いから大きく外れるようになった。

理由が分からないから、対処法も分からない。元々の性格が、ひとりで真面目に考え込むタイプ。ひとりで悩み続けるうちに、キャッチボールでもまともに投げられなくなった。

「『イップスだね』とは言われても、『じゃあどうしたらいいんだろう?』って。治し方がないから、そこから先が全く見えなかったのが辛かったです」

「心が壊れかけた」早すぎる引退

それでも逸材として期待され続け、12月に台湾で行われたウィンターリーグではDeNAの佐野恵太(当時23)・巨人の吉川尚輝(当時23)らと共にNPBイースタン・リーグ選抜の一員に選出。社会人選抜との試合に登板した。

だが、捕手のミットが全く届きそうにもならない、バックネットへの大暴投を連発。プロで投手経験もない外野手との交代を命じられ、ベンチで1人項垂れた。

「ベンチに座っていた時のことは、あまり覚えていないんですよね。記憶に蓋がかかっているというか・・・」

ショックだったのは、暴投を繰り返したことではなかった。

「イップスは分かっていたので、投げたらああなるとは思っていました。『やっぱりなったか』という感じで。ただ・・・大きな試合でメディアにも投球のことが結構出てしまって、“無様な姿を多くの人に見られてしまったこと”が一番悲しかったですね」

その後も決して努力を怠ったわけではなく、周囲が見放したわけでもない。スポーツ心理学の先生の下でイメージトレーニングを受けた。コーチも様々なアドバイスを送り、守備練習ではバント処理のスローイングを繰り返した。実際に過去にはこれでイップスを克服した投手も存在し、有効な練習の1つとして考えられている。

だが、症状は変わらなかった。バント処理では綺麗に投げられるのに、マウンドに立ってピッチャーのモーションになると投げられない。

「自分じゃない感じがしていました。毎日ボールを投げている感覚が変わるので毎日不安なんですよ。『今日は大丈夫かな・・・?』みたいに。『あまり考えずに』とは言われても、それは自分の性格とは真逆のことで。それはそれでまた難しかったです」

結局イップスの苦しみから解放されることはなく、3年目のオフには球団からの育成契約の打診も断って自ら引退。21歳の早すぎる決断に、多くの人が現役続行を説得した。

「当時は本当に野球をするのがイヤで、自分ができないことへのストレスで心が壊れかけていました。もう1年続けたら立ち直れなくなるだろうなと。そこで踏ん張る人もいると思うんですけど、僕はそこまでの強さは無かったというか」

第二の人生 掴んだ確信

第二の人生として選んだのは、進学。國學院大學で動作解析などを学んだ。
そして同大学のスポーツ心理学を専門としている先生と一緒に練習を重ねる中で数年ぶりにボールを握ってみると「あ、何か投げられるな?って」。思いがけずに自身のイップスを克服。卒業後は慶應義塾大学の大学院で研究を続け、今では自身の症状についても明確に説明ができるようになった。

「イップスは大きく3タイプあると言われていて、1つは手が痙攣したりする神経的なタイプ、2つ目はプレッシャーで思い通りの動きができなくなったりする心理的なタイプ、3つ目がその両方の症状を持ってしまっているタイプ。僕はその3つ目だったのでより複雑な状態でした」

「僕の場合はフォームを意識して『ここをこう動かそう』とか、そっちの方ばかりを考えてしまっていました。そうではなく『こういうボールを投げたい、こういう軌道のボールを投げたい』とかの方に意識を向けることが重要だったなと思います」

迷いなく話し続ける様子に、ついこんなことを聞いてみたくなった。

「もし今の自分が当時の自分に会えていたら、助けてあげられたと思いますか?」

即答だった。

「思いますね」

奇跡の“151”

この言葉を証明しているのが、昨年11月に行われた12球団合同トライアウトだ。トライアウトは基本的には、その年に戦力外通告を受けた選手が現役続行をかけてアピールする場。そこに引退から5年という極めて異例のブランクを経て参加したのが島さんだった。

「島ってイップスで引退したのに投げられるの?」そんな声も上がる中で、スピードガンが表示した球速は“151キロ”。現役時代の最速・153キロまであと2キロ、参加選手全体でも2番目となる剛速球に、スタンドで見届けたファンだけでなく、球界関係者の多くが驚きの声をあげた。

「あの時のボールはロッテに入ってからベスト3に入るくらい良かったと思います。吉井さん(現ロッテ監督、島の現役最終年の一軍投手コーチ)には登板前に『見てるから頑張れよ!』と、終わってからも『良くなったな!』と言ってもらえて・・・嬉しかったですね」

トライアウト後には独立リーグやクラブチームからオファーが。NPBではなかったが、現役復帰への道も繋がった。

だが、選んだのは大学院に残ることだった。「自分のような苦しみを味わう人を増やしたくない、今の研究を深める方を選ぼう、と」。

今の研究・新たな夢

研究とはもちろん「イップスを治す方法」。現在は自身のSNSを通じて、実験の被験者となる“イップスに苦しむ硬式野球の投手”を探しているという。実験内容は極めて簡潔に言えば“島孝明がイップスを治した方法を試してみませんか”というものだ。

島さんは、イップスに悩む人に、伝えたいことがあるという。

「イップスは『こうすれば確実に良くなる』というのがまだ無いのが現状で、僕の方法で『必ず良くなるか?』と言われるとそこはまだ分からないです。でも『島の方法は合わなかった』と分かるだけでも改善への一歩になる。気持ちは痛いほど分かります。とにかく1人で悩んでいても良いことは何も無い。勇気はいると思うけどいろんな人の話を聞いてほしいし、その中の1人に僕を選んでくれたら、なお嬉しいです。僕なりのアドバイスはしてあげられると思うので」

自らの現役復帰を捨ててまで選んだ研究の道。「僕がイップスを治せた人が、僕の叶えられなかった夢、ロッテのクローザーになって活躍してくれたら・・・。そんなに嬉しいことはないですね」と今の夢を語り、照れくさそうに笑った島さん。「イップスは治せる」そう言える日がくることを誰よりも願っている。

■島孝明(しま たかあき)
1998年6月26日生まれ。東海大市原望洋高校では3年春に153キロをマーク。2016年アジア選手権18歳以下の日本代表にも選出され、西武今井・楽天早川らと共に優勝を経験した。同年ドラフト3位でロッテに入団するが、入団から数か月でイップスを発症。在籍3年間で一度も公式戦登板を果たすことなく19年シーズン後に自ら引退した。その後は國學院大學に進学、さらに慶應義塾大学大学院に進み現在は「イップスを治す研究」に励んでいる。
 

このニュースに関するつぶやき

  • 年功序列の野球界。先輩とのキャッチボールで少しでも外れると罵声を浴びせられたり捕って貰えなかったりするとイップスになりやすい。一種のパワハラ
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