F1界の『ドクター・ノオ』ことヘルムート・マルコと、夢を打ち砕かれた若者たち/F1コラム

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2025年05月01日 17:20  AUTOSPORT web

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2006年F1フランスGP (左から)スコット・スピード(トロロッソ)、ビタントニオ・リウッツィ(トロロッソ)、ロバート・ドーンボス(レッドブル テストドライバー)、クリスチャン・クリエン(レッドブル)
 ベテランモータースポーツジャーナリスト、ピーター・ナイガード氏が、F1で起こるさまざまな出来事、サーキットで目にしたエピソード等について、幅広い知見を反映させて記す連載コラム。今回は、レッドブルのモータースポーツコンサルタントとして、若手ドライバーの発掘と育成を担当するヘルムート・マルコが、いったんは起用しながら、その後、見限ったドライバーたちについて振り返った。

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 81歳のヘルムート・マルコは、元F1ドライバーであり、ル・マンの勝者でもある。彼はグラーツ大学で法学博士号を取得しており、それが彼のニックネーム『ドクター・ノオ』の由来の半分だ。もう半分の理由は、彼のレッドブルにおけるアドバイザーおよび才能発掘担当としての職務に関連している。マルコは、若手ドライバーや、キャリア初期のドライバーたちの野望を何度も打ち砕いてきた。

 一番新しい犠牲者はリアム・ローソンだ。彼はわずか2戦でレッドブル・レーシングからレーシングブルズへと送り返された。マルコ博士の忍耐力の短さにおいてこれは新記録ではあるが、公平な機会すら与えられずに外されたレッドブル傘下のドライバーたちの例は、他にも数多く存在する。

『ドクター・ノオ』はもちろん、1962年の最初のジェームズ・ボンド映画のタイトルで、この映画に出てくるドクター・ノオは優秀だが邪悪な学者という設定の悪役である。以下に挙げる多くのドライバーにとっては、F1界の『ドクター・ノオ』もまた悪役だ。角田裕毅が新たな犠牲者とならないことを願おう。


■クリスチャン・クリエン

 クリエンは、レッドブルチームが2005年にF1デビューした際、ビタントニオ・リウッツィとマシンを共有していた。2006年には、デイビッド・クルサードの隣のシートをフルタイムで獲得。しかしそれも、イタリアGPまでだった。クルサードと比べてペースが劣るクリエンは、マルコからインディカーでの将来を提案されたが、それを断り、その結果、イタリアGP後にレッドブルから外された。

 その後、数年にわたり、クリエンは複数のF1チームでテストドライバーを務めた。2008年のル・マンでは3位に入り、現在もテレビ解説者の仕事と並行してGTレースで活動を続けている。

・レッドブルでのグランプリ出場数:28戦 | 最高位:5位


■ロバート・ドーンボス

 ドーンボスは、2006年シーズン終盤にクリエンのマシンを引き継いだ。中国GPでのデビュー戦予選でトップ10に入り、新たなキャリアにおいて好スタートを切った。しかし3戦後には、シーズンとともにF1キャリアも終了。その後、彼は会社を設立、現在はF1解説者を務めている。

・レッドブルでのグランプリ出場数:3 最高順位:12位


■ビタントニオ・リウッツィ

 リウッツィは2004年にフォーミュラ3000選手権を制し、2005年にはクリエンとマシンを共有した。リウッツィはF1初戦で8位に入りポイントを獲得したが、レッドブルでの出走は4戦にとどまった。2006年にはトロロッソに降格され、2007年限りでレッドブルファミリーを離脱。その後はフォース・インディアやヒスパニア(HRT)でF1を走った。現在リウッツィはFIAのレーススチュワードの一員である。

・レッドブルでのグランプリ出場数:4 最高順位:8位


■スコット・スピード

 ヘルムート・マルコは、これまでにトロロッソ、アルファタウリ、レーシングブルズと改名されてきたレッドブルの“セカンドチーム”の運営にも関与してきた。2006年、スコット・スピードは13年ぶりのアメリカ人F1ドライバーとしてトロロッソから登場したが、そのデビューシーズンは成功とは言えなかった。2007年も状況が改善せず、ヨーロッパGP後に解雇された。F1後、スピードはNASCAR、インディカー、フォーミュラE、ラリークロスに挑戦したが、大きな成果は残せていない。

・トロロッソでの出場数:28 最高順位:9位


■セバスチャン・ブルデー

 ブルデーは2004年から2007年まで4年連続でインディカーシリーズ/チャンプカーを制し、2008年にトロロッソからF1参戦を果たした。だが彼は自らのドライビングスタイルをF1に適応させるのに苦しみ、わずか1年半後の2009年ドイツGP後に解雇された。彼のマシンはハイメ・アルグエルスアリが引き継ぎ、アルグエルスアリは2009年ハンガリーGPでF1史上最年少ドライバーとなった。ブルデーはその後インディカーに復帰し、複数レースで勝利を収め、2021年まで活動した。今年はキャデラックのWECチームで走っている。

・トロロッソでの出場数:27 最高順位:7位


■ダニール・クビアト

 クビアトはレッドブルの支援を受けてジュニアカテゴリーを戦い、トロロッソでの有望なデビューシーズン後、2015年にレッドブルチームへと移籍した。しかし2016年の序盤に不振だったため、開幕からわずか4戦で“セカンドチーム”に戻された。2017年終盤にトロロッソからも外されたが、数年後に復帰し、2019年と2020年にチームで走行した。今年クビアトはランボルギーニのIMSAチームに所属している。

・レッドブルでの出場数:23 最高順位:2位


■ブレンドン・ハートレー

 ハートレーは、フォーミュラ・ルノー2.0時代からレッドブルジュニアとして育成され、2017年終盤にトロロッソでF1デビューを果たした。F1キャリアは翌2018年末までの約1年で終了したが、彼は、ル・マン24時間レースで3度優勝、WECで4回タイトル獲得という成功を収め、現在もトヨタのWECチームで活躍している。

・トロロッソでの出場数:25 最高順位:9位


■ピエール・ガスリー

 2018年のトロロッソで有望なシーズンを過ごしたガスリーを、マルコは2019年にレッドブルに昇格させた。ガスリーは開幕から12戦のうち9戦でポイントを獲得したものの、シーズン半ばで早くも“セカンドチーム”に送り返された。2020年にアルファタウリで1勝を挙げて、2022年末にレッドブルファミリーを離脱。現在はアルピーヌで走っている。

・レッドブルでの出場数:12 最高順位:4位


■アレクサンダー・アルボン

 レッドブルがガスリーを降格させた際、アルボンがそのマシンを引き継いだ。しかし彼も1年半後にシートを失い、2021年にはドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦した。アルボンは2022年からウイリアムズF1チームに所属している。

・レッドブルでの出場数:26 最高順位:3位


■ニック・デ・フリース

 2022年イタリアGPでウイリアムズから代役出場した1戦だけで、マルコは、2023年にニック・デ・フリースをアルファタウリから走らせることを決めた。しかしその年の半ばに、デ・フリースは、レッドブルのベテラン、ダニエル・リカルドにシートを譲らなければならなくなり、短いF1キャリアを終えることになった。

・アルファタウリでの出場数:10 最高順位:12位


■リアム・ローソン

 2023年と2024年にセカンドチームで数戦、代役出場した後、リアム・ローソンは2025年にレッドブルのレギュラードライバーとなった。しかしわずか2戦でマルコと経営陣は彼を見切り、ローソンはレーシングブルズに戻された。

・レッドブルでの出場数:2 最高順位:12位


■成功を収めたドライバーたち

 マルコとレッドブルの経営陣は、多くの若手ドライバーのF1の夢を打ち砕いてきた。しかしその一方で、いくつかの解雇劇が偉大なF1キャリアの扉を開いたことも、また事実である。スコット・スピードの後任として2007年に登場したセバスチャン・ベッテルは、その後レッドブルで4度の世界王者となった。2016年にクビアトがトロロッソに降格された際には、マックス・フェルスタッペンがレッドブルのドライバーになり、その後、彼はこれまでに4度の世界選手権を獲得している。

 ローソンの後任として昇格した角田裕毅は今後、どのような道をたどるのだろうか。少なくとも『ドクター・ノオ』は、2025年シーズン末までは、角田のシートは保証されていると述べている。

[オートスポーツweb 2025年05月01日]

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