
昭和を代表するバラエティーと報道をミックスした生番組、それがワイドショー。芸能人とリポーターの、思わぬハプニング……。エキサイティングなこともあれば、なんだか笑ってしまう展開も。当時を知る芸能リポーターの山崎寛代さんとともに、コンプライアンスがゆるすぎた時代を振り返ります。
囲み取材は「さながら戦場」
結婚、離婚、不倫をした芸能人に、マイクを突きつけるリポーターたち─。これが、一般的なワイドショー番組のイメージだろう。しかしこういったシーンはめっきり減った。
現在は、明るく楽しい情報番組的要素の強いワイドショーが増えたが、昭和のワイドショーの“闇鍋感”─芸能人の会見や社会事件、さらにはよくわからない素人参加型のコーナーなどを立て続けに放送していたことに鑑みれば、「物足りない」と感じてしまう人もいるのではないだろうか。
「コンプライアンスの影響はあると思います。例えば、ワイドショーといえば画面に『号泣会見!』などの文字が躍っていたと思います。ですが、コンプラが叫ばれるようになってから、そうした煽るような惹句は使えなくなってしまいました」
そう話すのは芸能リポーターの山崎寛代さんだ。山崎さんは、『3時にあいましょう』(TBS系)で芸能リポーターを初めて務めると、以後、『スーパーワイド』(TBS系)、『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)と続けて担当。キャリア30年を超える山崎さんは、ワイドショーの今昔を知る証人でもある。
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「ワイドショーといえば、各局お抱えの芸能リポーターの存在が欠かせなかった。テレ朝は故・梨元勝さん、日テレは石川敏男さん、フジは故・前田忠明さん。有名な先輩芸能リポーターがたくさんいらっしゃったから、私が芸能リポーターになりたてのころは何か質問できる雰囲気ではなかった。
“囲み取材”のときなどは、肘で小突く人もいて、さながら戦場(笑)。今では、まったくそういう雰囲気はなくなりましたけどね」(山崎さん、以下同)
名物芸能リポーターが少なくなったということが、何よりもワイドショーが減ってしまった証左といえるかもしれない。
スクープを取るため、各局のワイドショー&芸能リポーターはライバル関係にあった一方、共にワイドショーを支える仲間として協力関係を取ることも珍しくなかったという。
「ワイドショーの恒例企画の一つに、お正月にハワイへ行く芸能人を空港で直撃するというものがありました。全局が空港に押し寄せるので許可証が必要になるのですが、その際、『今回はテレ朝が全局の許可証を取る番』という具合に持ち回りで担当していました。私もハワイで取材したことがありますけど、今では考えられないぜいたくなお金の使い方ですよね(苦笑)」
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また、空港内に“動く歩道”が完成すると、
「ここからここまでは日テレ。ここからここまではフジと各局指定のエリアが決められるようになりました。その前を芸能人がスーッと動く歩道で移動していく。だから、私たちは追えないし撮れ高も少なかったから、各局が撮影した素材をみんなで共有するといったこともしていました」
ワイドショーとゴルフは切っても切れない
もしかしたら“動く歩道”は、ワイドショー対策だったのかも!?
また、ワイドショーといえば、生コマーシャルや素人参加型のコーナーなど、ハプニングもつきものだった。
「私も生コマーシャルで空気清浄機の実演をしたことがあるのですが、リハーサルではうまくいったのに、本番では空気清浄機がまったく煙を吸ってくれなくて(笑)。なんとかアドリブで乗り切りました」
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もちろん、こうした予期せぬトラブルは現場でも起こりうる。ワイドショーは、芸能人の悲喜こもごもだけではなく、事件を扱うことも多々あった。その一つが、オウム真理教だ。
「当時、私は“上祐番”として上祐史浩さんが現れる現場に張りついていました。その中で起きたのが、南青山にあった教団東京総本部前で最高幹部の一人・村井秀夫氏が刺殺された事件です。私の目の前で起きた事件で、当時の映像には私の声も残っているくらい」
ワイドショーはたしかに下世話だろう。一方で、画面から生々しさが伝わってくるがゆえ、社会の雰囲気や世論を感じることができた装置であったことも間違いない。
ちなみに、山崎さんが芸能リポーターとして初めて訪れた現場は何だったのかと尋ねると、「芸能人がたくさん集うチャリティーゴルフ大会」との返答が。ああ、懐かしい!
今思えば、なぜ芸能人がゴルフをしているだけの現場に突撃する意味があるのかさっぱりわからないけど……。
「何かしらネタにつながるかもしれないということで、ゴルフ大会に行くことが当たり前になっていましたね。でも、後に石田純一さんの“不倫は文化”騒動につながる発言も、ゴルフ場に突撃したことがきっかけでしたから、ワイドショーとゴルフは切っても切れないのかも(笑)」
現在も、週刊誌は突撃取材をすることが珍しくないが、スクープを取るために、かつてはテレビでもワイドショーが盛んに突撃していた時代がある。
「私が突撃した中で最も印象に残っているのが、不倫が発覚した故・古谷一行さん。自宅で張り込みをしていると古谷さんが車で戻ってきた。無言を貫いたまま、そのままガレージのシャッターが下がっていく中で、私はどうしてもひと言欲しかった。
『不倫は事実ですか? 古谷さん、ひと言!』と必死の思いで聞くと、閉まりゆくガレージの奥から『そのとおり!』って古谷さんの声だけが響いて。妙に感動しました」
その後、古谷さんは「関係を持ったことは後悔していないが、表沙汰になったことは後悔している」と記者会見で関係を認めるまでに。しかし、その実直な姿がかえって好感を呼び、古谷さんの株は上がった。
「記者会見ではなく、現在は公式ホームページやSNSで声明を発表する芸能人が増えました。ですが、会見は“生”の声が伝わる場ですから、その人の人となりが視聴者に伝わります。結果的に、会見をしたことで評価を上げる芸能人もたくさんいる」
その最たる例が、故・勝新太郎さん、故・立川談志さん、ビートたけしといった面々だろう。
芸能レポーターは悪役に徹する
「未成年女性への淫行疑惑の渦中にあった狩野英孝さんの謝罪会見もそう。私たちリポーターはあえて悪役になろうと厳しい質問をします。私たちだって人間ですから本当はフォローをしてあげたい。ですが、中途半端な態度で臨むとかえって世間の風当たりは強くなる。
こちらが悪役に徹することで、受けきった当事者である芸能人に対して、世間はフラットな目を持ちやすくなります。すべての記者会見にいえることではないけど、記者会見にはそういった側面もあったということは知ってほしいですね」
自分の声で伝えられる芸能人の数はめっきり減った。危機管理とは、弁護士が用意した文面を読み上げることや無言を貫くことではなく、自分の言葉で誠心誠意、ファンや視聴者を安心させることだと思うのだけれど。
とはいえ、そんな肩肘張って難しく見るものでもないのがワイドショーだ。あーだこーだと言いながら、煎餅なんかをかじりながら見るくらいがちょうどよい。山崎さんが、自身の芸能リポーター人生を振り返る中で、忘れられない事件を語る。
「いろいろ取材をしてきたのですが、若人あきら(現・我修院達也)さんの失踪事件が個人的にとても印象に残っています。何が起きたのかを探るために若人さんが消えたという熱海市や目撃情報のあった川越市などにも行って、そのナゾを追ったんですけど……結局、何だったんだろうって(笑)」
こんなゴシップを公共の電波に乗せて朝と昼に放送していたという奇跡! 粗にして野だが卑ではない。ワイドショーは、立派な昭和遺産なのだ。
取材・文/我妻弘崇
山崎寛代 FM群馬での勤務を経て、TBS系『3時にあいましょう』『スーパーワイド』、テレビ朝日系『スーパーモーニング』などワイドショー・情報番組でリポーターを務める。現在はテレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』などに出演中