(画像:THE FIRST TAKE Instagramより) 5月2日に配信リリースされた宇多田ヒカルの新曲「Mine or Yours」が、ある一節の歌詞をきっかけに話題を呼んでいます。<令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう>という歌詞をめぐって賛否両論が起こっているのです。
◆福島党首「嬉しい!」VSほんこん「口出しせんほうが」
多様性や人権について多く発信している政治家やアクティビストがいち早く賛同しています。
立憲民主党の辻元清美代表代行は5月2日に自身のX(旧Twitter)で「宇多田ヒカルさん、やるなぁ〜」と投稿。社民党の福島瑞穂党首も「宇多田ヒカルさんの新曲に選択的夫婦別姓が登場。嬉しい!」と反応し、共産党の吉良佳子参院議員とともに法制化に向けた機運の醸成に期待を寄せている様子です。
他にも港区区議会議員の斎木陽平氏の「具体的政策的主張が歌詞にここまで盛り込まれたのは多分、初では!?」指摘や、一般社団法人「あすには」の井田奈穂代表理事による、「立法不作為を歌ってくださった…」との踏み込んだ投稿が象徴的です。
一方、夫婦別姓反対派からは批判が殺到しています。
お笑い芸人のほんこんは5月4日に更新した自身のYouTubeチャンネルで、夫婦の姓が別々だと家族から一体感が失われるから「これはないな」と反対しました。宇多田の“主張”には「歌っていつの時代でも世の中に問題提起するかも分からへんけど、これは口出しせん方がよろしいよ、と。歌じゃなくてYouTube等で言うた方が」と疑問を呈し、音楽以外のフォーマットで意見を表明するべきだったと訴えています。
より激しく反応したのが、大王製紙前会長でインフルエンサーの井川意高氏です。5月3日に自身のXアカウントでニュース記事を引用する形で、「ニューヨーク生まれでロンドン在住が一人前の日本人ヅラするんじゃねえわ 愛国心のないクソ女が日本の社会制度に口出すなや クソクズめが!」と投稿し、波紋を呼んでいます。
さらに一般のネットユーザーからは、宇多田が夫婦別姓推進派から金銭を授受してこの曲を書いたのではないか、などという陰謀論まで出る始末。夫婦別姓をめぐる世論が大きく二分していることが改めて浮き彫りになった格好です。
けれども、「Mine or Yours」という曲の肝はそこなのでしょうか? 賛成派も反対派も、<令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう>というフレーズのことしか言いませんが、そもそも音楽、歌は、一部だけを切り抜いて各々の主張に即して語るべきものなのでしょうか?
◆宇多田ヒカルのあえて違和感を引き起こすテクニック
そこで、改めて全体の歌詞を見ながら曲を聞いたところ、これは宇多田ヒカルのソングライター的テクニック、もっと言えばいたずら心によるものだと感じました。なぜならば、<令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう>というフレーズだけが、曲の中で浮いているからです。
あえて違和感を引き起こし、情緒的な生活から現実へと引き戻すような働きをしている。そういう構造を作るための一節なのです。
他のパートを見てみましょう。
たとえば、<なにが食べたい? 店探すよ 元気出るまでダラダラしよう>、<冷めたら温め直せばいい 不安材料も味付け次第>などの歌詞には、ソングライター、作詞家としての感覚が生きていることがわかります。
日常の会話にひそむ突飛な話題の転換や、不規則な感情の動きを巧みに取り入れ、言葉に弾みを持たせている。難しい言葉や凝った言い回しはないのに、宇多田ヒカルのオリジナリティが刻まれているわけです。
それに対して、<令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう>という歌詞は、新聞の論説風です。作家の村上春樹氏が称するところの「制度的」な、お仕着せの言葉なのですね。
「Mine or Yours」にあって、この一節は明らかな異物として組み込まれていることがわかります。言葉のトーンをガラリと変えることによって、聞く人の視点を一瞬だけずらす。この部分のメロディも、リズムやアクセントの面であえてぎこちなさが強調されています。
それによって、歌詞、音楽の両面で立体的な唐突感が生まれるのですね。それを宇多田ヒカルは、ソングライターの才覚によって意図的に行っている。
想像するに宇多田ヒカルは夫婦別姓を支持しているかもしれないけれども、この曲で法制化に向けた世論を喚起することが目的ではないのです。あくまでも、曲中の仕掛けとして、このトピックが効果的だというだけの話なのです。
◆サザンの神宮外苑再開発へ疑問の曲とは異なる
これを、サザンオールスターズの「Relay〜杜の詩」と比較するとわかりやすいでしょう。神宮外苑の再開発に疑問を呈した歌詞が話題になりましたが、これは最初から最後まで新聞っぽい、ジャーナリスト口調の歌詞で成り立っています。
<地球が病んで未来を憂う時代に 身近な場所で何が起こってるんだ?>、<麗しいオアシスがアスファルト・ジャングルに変わっちゃうの?>
つまり、桑田佳祐のメッセージを伝えるために作られた曲です。問題の設定が明確であり、歌詞の作者と語り手が一致している。そして、時事問題であることが聞く人に伝わるように、芸術性を排除している。
「Mine or Yours」が、そのような曲でないことは明らかです。にもかかわらず、切り取った一部がクローズアップされる事態になってしまいました。
ほとんどの人が曲そのものを置き去りにしている点ではいっしょ。自分の主義主張を訴えるツールとして歌詞を考えがちな現状を浮き彫りにしたと言えるでしょう。
優れた芸術は時代を映す鏡です。宇多田ヒカルの「Mine or Yours」は、皮肉な形で、いまの空気を伝えてくれたのでした。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4