『さよなら丸の内TOEI』プロジェクト『仁義なき戦い 広島死闘篇』舞台あいさつに登壇した北大路欣也 (C)ORICON NewS inc. 俳優の北大路欣也(82)が11日、都内で行われた『さよなら丸の内TOEI』プロジェクト『仁義なき戦い 広島死闘篇』舞台あいさつに登壇した。
【写真】82歳!変わらぬ姿で舞台に立った北大路欣也 1973年公開の同作は、朝鮮動乱期の2大組織の血みどろの闘い、組長の野望の陰で死んでゆく若きやくざたちの青春像を描くシリーズ第2弾。昭和27年の呉では、村岡組と大友連合会は再び抗争。刑務所入りをしていた山中正治(北大路)は、大友連合会から凄惨なリンチを受けて裏切りを選び、村岡組の組員となった。
この日の舞台あいさつでは、北大路から当時の秘話が次々と飛び出す展開に。シリーズ第1弾を返還間もない沖縄で見た時を振り返り「仕事で沖縄に行かせていただきました。僕にとってはショックでしたね。こういう状況の中で、沖縄の方々が生活していらしたんだと。その中で『仁義なき戦い』というのが、第1回目が劇場で流されているというので、これは見なきゃというので、なんとも言えない思いを抱えながら見まして。作品から出てくるエネルギーっていうんですか、もうなんともいえない激しい波動に揺さぶられました」と語った。
続けて「戦後の雰囲気が目の前にあるわけじゃないですか?それでこの映画を見たもんですから、深作監督、(脚本の)笠原さん、このお2人は戦争を経験しているわけですよね。お2人のこのままでたまるかっていう、そんなものも感じたものですから、僕はなんとしてもこの映画に参加したい」と熱弁。その思いがかない、第2弾への出演が決まった。
当初、北大路は大友、千葉真一さんが山中を演じる予定だったが、クランクイン10日前にまさかの“交代”。北大路は、恐縮しながらも「台本をいただいて。山中の人生と大友の人生を感じながら読ませていただいた。千葉さんとは6年くらい前に、作品でご一緒してたんです。その時に千葉さんから受けた波動、エネルギーがこびりついていて。(台本を読みながら)大友が出てくると千葉さんが思い浮かぶんですよ。そして、山中が出てくると自分の姿が思い浮かんで…」と、自らの申し出で配役を交代したことを語っていった。
司会の笠井信輔から「先輩の千葉は直前の“主役交代”に難色を示したのでは…」と、向けられると「当然だと思います。ただ、その時の思いっていうのは(自分の中では)沖縄からつながっているんですよ。その思いはもう…正直です」と告白。結果的に千葉さんが演じた大友のすごみについても「千葉さんには(撮影現場で)なんとなく目を合わせると睨まれましてね(笑)。そばに行くのも怖いくらい。ただ、クランクインして1週間目に監督に呼ばれました。『この役でお互いに正解だな』って。その時に、いやーよかったと…」と笑みを浮かべた。
また、司会の笠井から、実際の抗争の残り香が漂っている広島県・呉が舞台であることから「暴力団のみなさんも見学というか…」との質問を受けると、あっさりと「撮影の前に、ちゃんと正しくごあいさつをして、この役をやらせていただきますと…」と告白。笠井が「暴対法の前ですから。『仁義ある』撮影だった」と前置きすると、北大路は「とにかく、清流もあれば濁流もある。これは人生そのものですよ。みなさんそうだと思います。清流だけの人は、ひとりもいないと思います。その世界はその世界。我々は『死闘篇』の出演者ですから。その役をやる人間としてね、役者の情熱をお互いにぶつけ合うっていうのがメインですよね」と語っていた。