アインシュタイン河井ゆずる(44)が12日深夜放送のテレビ朝日系「耳の穴かっぽじって聞け!」(月曜深夜1時58分)にVTR出演。「ヤングケアラー」を経験した学生時代と、人生で一番きつかった過去を明かした。
ヤングケアラーとは、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこども・若者」と番組で説明された。
河井は「僕は3歳の頃から母子家庭で、母は女手ひとつで僕と弟を育ててくれました。母は喫茶店を経営する傍ら、知人のスナックへアルバイトに行ったりしながら、僕たち子どもを育て、祖父の入院費を何とか工面していた。そんな河井家が火の車であるという事は小学校低学年である自分にでも理解できた」と当時の環境を告白した。
河井は「その当時住んでいたアパートの家賃が払えなくなり、来月からどうしようか。どうしたらいいか途方に暮れていたとき、数少ないツテをたどってたどってアパートを追い出されるギリギリでもらえた話が飲み屋街の雑居ビルの屋上のプレハブに住むというものだった。絶望で目の前が真っ暗になった。それは幼い頃から吉本に入る事が夢でかなうと信じて止まなかったその夢が消えた、と確信した、確信させられた瞬間でもあった」と語った。
河井は「でも本当に人生で一番キツかったのは、ここからだ。夢が絶たれたという事ももちろんそうだが、とにかく雑居ビルの屋上、しかもプレハブに住むというダブルパンチを食らいながらの生活に全然慣れなかった。そこに住む条件として夜中でも早朝でも関係なく酔っぱらいが鳴らす非常ベルの対処、各フロアにされるふん尿の掃除、ビルの清掃までしなくてはならなかった。芸人の夢を諦めたというより。そのときは弟がまだ高校生だったので、『あ、やられへんな』という感覚だったように思う。なかなか諦めがつかない日々が半年くらい続いた時、『いつまでも未練を抱えながら生活してても何も良くならない』と思い、自分の今世は弟と母親を支える人生だ!と心に言い聞かせて、そこからはアルバイトを5つ掛け持ちし、朝から晩まで馬車馬のように働いた。給料は全額家に入れ続け、弟も大学へ行かせた。しかし働き始めて5年、過労で倒れてその時の仕事を全部辞める事になった」と話した。
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そして「ただその頃には5年間お金を入れ続け、弟もある程度はアルバイトもしていたので、生活がほんの少しだけマシにはなっていた。リハビリをしながら就職活動をゆっくりと始めていたある日、何社も連続で面接に落ちて途方に暮れながらトボトボ帰っている時、『芸人になるなら今しかない』と思い、NSCの願書を取りに(大阪の)難波へ向かった。その日が願書の締め切り前日だった事もあり、何も考えずにその場で記入して提出した。そうして一度は諦めた芸人の道に進み、初めの10年はアルバイトをしながら家にお金も入れ続けながら何とか辞めずに今は22回目の春を迎える事ができた」と芸人になるまでの壮絶な過去を明かした。
スタジオでエピソードを知ったモグライダー芝大輔は「ゆずるって、本当にずっと明るいし、みんな周りに寄ってくるし、面倒見もいい。こういうのを経てるからっていうのもでかいんだなっていうのがわかるね」と河井の人柄をふまえ、納得した。
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