Floating Points×中山晃子。驚愕のコラボを見せた二人が語る、科学とアートのコスモロジー

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2025年05月16日 17:10  CINRA.NET

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Text by 佐伯享介
Text by 鈴木渉
Text by 南のえみ

音楽とアート、科学とクリエイティブ。それらが交差する地点で、どのような表現が生まれるのだろう?

神経科学の博士号を持ち、エレクトロニックミュージックシーン随一の頭脳派として知られるFloating Points。熱心なレコードコレクターでもあり、DJとしても活躍している。近年はフリージャズの生ける伝説、ファラオ・サンダースやロンドン交響楽団とのコラボ作品『Promises』、宇多田ヒカルのアルバム『BADモード』の共同プロデュースが話題となり、2024年9月には最新アルバム『Cascade』をリリースした。同年の『フジロック』では、音楽とビジュアルアートが融合した圧巻のプロダクションで会場をダンスフロアへと変貌させ、「光と音の理想郷」とも称された。

2025年2月、そんなFloating Pointsの待望の来日ツアーが開催された。本ツアーには、レーザーライティングを駆使するYAMACHANGと、『Cascade』のアートワークにも参加した中山晃子が加わった。中山は、液体や固体などさまざまな素材を相互に反応させながら絵を描く「Alive Painting」のパフォーマンスで知られるアーティストだ。公演では、中山の繊細かつ即興的でダイナミックなアートが、Floating Pointsの音楽とシンクロし、幻想的なコラボレーションを生み出した。

この記事では、来日公演の合間を縫って行われた、Floating Pointsと中山の対談をお届け。8月15日に開催される『SONICMANIA』に出演が決定し、さらに注目を集めているFloating Points。そのクリエイティビティの源泉を垣間見ることができる貴重な機会となった。

これまでも数多くの名だたるアーティストとコラボレーションを重ねてきたFloating Pointsと中山。科学者でもあるFloating Pointsと、顕微鏡を用いてアートを実践する中山には、「科学」という共通のキーワードがあると言える。日本ツアーでのコラボレーションは、そんな二人にとって何を意味したのだろうか。

―東京公演を終えてみて、いまどう感じていますか?

Floating Points(以下FP):いま率直に感じているのは、自由を感じられたということですね。パフォーマンス中は私自身も公演を観ることができるくらい、十分な安心感を感じていました。手元を見ずに使えるくらい機材に慣れてきたので、そこに集中しすぎなくても大丈夫だったのが良かったと思います。スクリーンを見ながら、晃子の生み出すイメージとともに演奏することができました。

Floating Points(ふろーてぃんぐぽいんつ)

サム・シェパードによるソロプロジェクト。エレクトロニックミュージックシーン随一の頭脳派として知られる一方、熱心なレコードコレクターでもあり、Four TetやBonobo、Caribouといったアーティストと並び称されるDJとしても活躍。近年はフリージャズの生きる伝説、ファラオ・サンダースとロンドン交響楽団とのコラボ作品『Promises』や宇多田ヒカルのアルバム『BADモード』の共同プロデュースも話題となり、最新アルバム『Cascades』を〈Ninja Tune〉よりリリースした。今年2月には来日ツアーで「光と音の理想郷」ともいうべき衝撃的なライブセットを披露。AkikoNakayamaが手がけるライブアートとYAMACHANGによるレーザーライティングが融合させた圧巻のパフォーマンスで東京・大阪両公演ともSOLD OUTさせている。

―演奏しながら観客でもあったということでしょうか?

FP:そこが辿り着くべき場所だと思っています。それは夢ですね。強いて言えば、実際には観客のなかにいない形で、観客になりたい(笑)。DJをするときは観客に囲まれて演奏することもあるのですが、やりにくさを感じるときがあります。レコードをとりたいのに人が邪魔だったり……(笑)。人の近くにいるのはいい気分でもあるんですけどね。

―中山さんはいかがでしたか?

中山晃子(以下、中山):日本以外でいままで参加したFloating Pointsのツアーでは、Hamill Industriesと私がビジュアルを、Will Pottsがライティングを担当して、全員で一つの大きな公演を動かすボディのようにして共創してきました。日本公演では、その仲間たちがいない状態で、自分が一人のペインターとして、Floating Pointsの駆け抜けるような音楽とどうやって一緒に走ることができるのか、という個人的な挑戦がありました。東京公演を終えてみて、最後まで駆け抜けることができて良かったと感じています。

それとライブ後、電車で帰るときに長年の知人も含めて多くの人から「今日はとても楽しかった」という感想をもらったんです。とても心に沁みました。反響が嬉しかったですね。

中山晃子/Akiko Nakayama(なかやまあきこ)

画家。色彩と流動の持つエネルギーを用い、様々な素材を反応させることで生きている絵を出現させる。絶えず変容していく「Alive Painting」シリーズや、その排液を濾過させるプロセスを可視化し定着させる「Still Life」シリーズなど、パフォーマティブな要素の強い絵画は常に生成され続ける。様々なメディウムや色彩が渾然となり、生き生きと変化していく作品は、即興的な詩のようでもある。鑑賞者はこの詩的な風景に、自己や生物、自然などを投影させながら導かれ入り込んでいく。ソロでは音を「透明な絵の具」として扱い、絵を描くことによって空間や感情に触れる。TEDxHaneda、NEW ARS ELECTRONICA(リンツ)、MUTEK モントリオール、MULTIPLICA FESTIVAL(ルクセンブルク) 等。

―これまでもコラボレーションをしてきたお二人ですが、どのように始まったのか教えていただけますか?

中山:私は『Crush』(2019年リリースのアルバム)でFloating Pointsを知りました。ツアーの中で、そのなかの楽曲“Sea-Watch” をMiriam Adefrisがハープによって演奏したので、共演中まるでタイムトラベルするような気持ちになりました。その後、たしかInstagramのDMで「何か一緒にやりませんか」とメッセージをいただいたんです。そこから、新しいアルバムの構想が生まれて、コラボレーションが始まりました。

―連絡をいただいたときはどう感じましたか?

中山:「本当に!?」と思いました(笑)。それはもちろん、多くの日本の音楽ファンがそうなると思いますけど、「Floating PointsからDMがきた!」という感じでしたね。

FP:そうやって連絡できるのは、ソーシャルメディアのいいところですよね。初めて晃子の作品を見たときに、すぐにたくさんのアイデアが浮かんだんです。作品の大きなインスピレーションとなりました。だから、返事をもらえて嬉しかったです。それから東京で実際に会いました。場所はたしか、青山Zeroだったと思います。

中山:そのときは、プロジェクションがない、リッチで滑らかで、すごく気持ちのいい環境のなかでFloating PointsがDJをやっていたので、その音の気持ち良さを忘れないでおこうと思ったんです。「目を閉じていても極上の色彩がある」と思ったのを覚えています。でもそのうえで、自分がビジュアルをやるというのは、楽しいですね。

FP:イベントの後に一緒にパーティーに行ったのですが、晃子が「ダンスするからもう行くね」と言ってフロアに消えていって、「晃子とコラボレーションしなきゃ」と思ったのを覚えています(笑)。

―お二人とも過去に多数のアーティストとコラボレーションされていますが、今回のコラボレーションで難しかったことや新しい発見はありましたか?

FP:私は公演でコラボレーションするのが好きなんです。特にPC上だけでなく、実体のあるものを扱うのが好きです。小さなものを大きくすること、静かなものを強く響かせること。私の音楽の実践は、まさにそういうことなんです。小さなサウンドをサンプリングして、6か月後にはその曲をリリースして、フェスティバルで演奏する。そのとき、スタジオで録音した小さな音がスピーカーを通して100デシベルで響いている。

晃子のアートも同じことだと思います。彼女は顕微鏡を使い、そのなかに美を見出し、大きなスケールで世界と共有している。彼女の作品のなかには1つの世界が広がっている。顕微鏡で細胞を見ると、そこには動きがあり、1つの宇宙が広がっています。内側を見ているのは、外側を見ているのと同じこと。晃子の作品の、内側を見つめているけれど、それを共有することで外側を見つめている、というコンセプトが好きなんです。

中山:いま話してくれたみたいな遊び心は、彼の音楽の重要なエッセンスで、私はそれが音のカラフルさに繋がることだと感じていて、しかし同時にとても構造が強く、無駄な瞬間がない。彼の音楽とコラボレーションするときに面白いのは、カラフルな要素と無駄のない強烈な構造を持つ音楽に、絵の具がどのように絡まっていくのかというところ。

どれだけ絵の具がカオスになったとしても、彼の音楽には秩序を与えてくれるような、身体でいうパルスのようなものが見出されたりするんですよね。普段の会話のやりとりのなかでも、本質的な軸の部分と遊びの部分の往復があって、チームで一緒にやるときにもそれが表れていると思います。とても楽しく、いいチームだなと思っています。

―中山さんはFloating Pointsさんとコラボレーションするうえで何か色や形など、イメージしていたものはありますか?

中山:今回は、スキージャンプのような、もしくはトリプルアクセルのような……運動的なスポーツとしてのアクションペインティングの要素が強いかもしれないと考えていました。

FP:Oh my god(笑)。そうだったの?

中山:はい(笑)。ある点で、極限まで高く飛ぶようなイメージです。もぐるべき時間にきっちりもぐって、バーンと飛ぶような楽しさというか。お客さんも、その点がくることを楽曲上知っているので、みんなで飛ぶために全員の意識を凝縮して、それを絵の具の流動に託すイメージでした。“Birth4000”など、特に完成された楽曲では、より強くそこを逃さないようにしています。

でも、飛ぶ瞬間の前に、いくつか音の波が交差する点があります。そういった部分ではパターンを変えながら、音とセッションすることを意識していました。交差点でどのように絵の具を展開するのか。山を作るのか、谷を作るのか、それとも引くのか、満ちるのか……そんなふうに。

自分がもし音楽と調和させられないことがあったとしても、レーザーアートのYAMACHANGが助けてくれたりして。ビジュアルチーム全体で空間演出を作っているときもありましたね。

FP:事前にこういった会話をしていなかったので、晃子にとっての挑戦がなんだったのか、わかって嬉しいです。今度は、晃子のソロ公演も見てみたいな。

中山:さきほどお話した山や谷のような展開をどこに作るのか、というのは、コラボレーションの相手がいるからこそできることなんです。だからソロのときは、お客さんがもっと我慢しなければいけないかもしれないですね(笑)。

FP:でもソロだと、何かに対する反応ではなく自発的に表現するってことですよね。大阪公演では、晃子のために演奏してみるのもありかもしれない。

中山:えぇ!

FP:(笑)

―Floating Pointsさんにとって、コラボレーションと一人でのクリエイションの間にはどんな違いがありますか?

FP:まさにこの会話です。アイデアを交換し、挑戦すること。コラボレーションはアートの実践を難しくするけれど、それを乗り越えることで新しいことを学べます。晃子に向けて、そしてともに演奏を調整していくというプロセス。それが楽しいんです。

―いろいろな都市で演奏されていますが、観客に違いは感じますか?

FP:観客の傾向は文化によって少し異なると思います。日本の観客は注意深く、洞察力があり、忍耐強い。アートを実験する際には必要なマインドなので、素晴らしいと思います。

観客のマインドは演奏する時間によっても変わりますね。先週行ったニューヨークの公演がいい例ですが、早い時間の公演ではみんな静かで注意深く、遅い時間の公演はサウンドトラッキング中にパーティーが行われていました。

同じ音楽やアートを愛するコミュニティですが、時間によってまったく違う体験となる。仕事の後にアートを見にくる人もいれば、家からリラックスした状態でくる人もいる。私たちのアートは両方できるのがいいところだと思います。今後はコンサート会場だけではなく、プラネタリウムのような場所でもやってみたいです。晃子のアートは、イマジナリーな宇宙を創造するから。

―お二人はそれぞれの形で科学とアートを融合させているという共通点があると思います。最後に大きな質問となってしまいますが、科学とアートの関係性とはなんだと思いますか?

中山:宇宙ステーションで毛細管現象の実験をした結果の写真を見たことがあるんですけど、想像した通りの樹形をしていました。重力などの摩擦がないため、完璧で綺麗な樹形。安定した場所で実験したら、そうなるだろうという結果が見えていて、私は物理現象に深い感動と興味を覚える一方で、自分はもっと違う美しさを追い求めている気がしました。

そのときに私は、地球上の外的要因が作用してできた不完全な形と、不完全な形ができたあとにまた樹形に戻ろうとする力がとても面白いと思っているんだ、と自分の傾向に気がついて。なので地球のシャーレの上で、完璧ではないけれど魅力的な、いろいろな表情を描き出したいと思っています。

また、物理的な、科学的な振る舞いで何かに触れたときにそれが触れ返すこと――それはたぶん音が鳴る原理と一緒だと思うんですけど、絵を描くときも、絵を描くアクションとともに必ず描かれているものがあるという面白さと、そこで惹起する快感がある。それが科学と自分のアートの関係性ですね。

FP:私は科学者として働いていたので、アートは科学からの逃避でした。科学を実践しているときは体系的であること、正確であることが求められていました。しかし創作活動を経て、科学もクリエイティブでアート的な実践と考えるべきなのもしれないと思うようになりました。

科学で何かしらの答えを見つけるためには、想像することから始めなければいけません。私は細胞の特定の動きを理解しようと研究していました。そのためには、細胞がどんな動きをするのか、まず想像し、ストーリーを描かなければいけません。それはとてもクリエイティブだと言えます。そして、厳密で清潔な一連のツールを使い、それらに統計的重みを持たせて、そのストーリー――つまり仮説が正しいかどうかを確かめる必要があります。科学者としての生活は、クリエイティブになり、ツールを使って答えを確認する作業でした。

一方、音楽の仕事はツールを使ってクリエイティブになること。退屈で厳密なシンセサイザーのようなツールにクリエイティブなアイデアを流し込み、予期せぬ場所へと連れて行ってもらい、このツールが持つクリエイティブの限界を探ります。それは科学とアートの交差点として考えられることの一つです。科学がこのように語られることはあまりありませんが、科学にはクリエイティビティが溢れていると思います。
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