2025.4.17/東京都杉並区のヴァル研究所本社にて【東京・高円寺発】本文でも触れているが、菊池さんはヴァル研究所への転職を決めた理由の一つに、アットホームでみんなが自社のサービスを愛している会社であることを挙げられた。そして、社員の気質についてうかがうと、真面目なタイプ、何事もきちんとやりたいタイプ、そしてもちろん、鉄道を愛してやまない個性的なタイプもいらっしゃるとのことだった。根拠があるわけではないが、これらのタイプに共通するのは、ある種の誠実さではないかと思う。そして、リモートワークが9割という勤務体制のためオフィスはとても静かだったが、どこか人のぬくもりが感じられた。
(本紙主幹・奥田芳恵)
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●コンペではほとんど負けなし オリエンは答え合わせ
菊池さんは学生時代、ラグビーに打ち込んでこられたということですが、そのほかに興味を抱いたことはありましたか。
父親が広告関係の仕事をしていたため、家に「iMac」がありました。あのスケルトンのマシンです。それでデザインに興味を持ち、当時、ドローソフトの「Illustrator」のバージョンが5.5とか7.0の時代でしたが、これを使ってみたいと思い、解説本を買ってきたり、短期間ですが学校に通ったりしてその使い方を習得しました。
だいぶ本格的ですね。
それでデザイン会社のアルバイトを紹介してもらい、そこで画像の切り抜きや簡単な修正作業などをしました。すると、その話を聞きつけた友だちが、バイトしている居酒屋のポスターやメニュー表をつくってくれとか、大学のイベントサークルからチラシをつくってくれといった依頼があり、またホームページもつくったりして、グラフィックの仕事はけっこう楽しかったですね。
でも、デザインの道には進まれなかったのですね。
デザイナーには向いていないというか、大学を卒業したらすぐに働きたいと思っていたので、デザインを本格的に学ぼうという考えはありませんでした。でも、デザインが嫌いではなかったので、その仕事に近い広告代理店か印刷会社に入りたいと考えていました。
それで、最初は印刷会社に就職されたのですね。
はい。大阪の印刷会社に入り、ある家電メーカーの販促企画に携わりました。この印刷会社自体は中規模ではあるものの、クライアントには大手企業が多かったのです。ただし、仕事はコンペで決まることが多く、大手の印刷会社、広告代理店、制作会社などと競うかたちとなりました。なかなか大変でしたが、面白かったですね。
大手との戦いが面白かったと……。
ええ、そこで「自分の才能が開花したな!」と思ったことがありました。コンペの勝率がとても高かったんです。「ほぼ負けなし」みたいなレベルです。「ほぼ」ですけれど(笑)。
えぇ、すごい!
その会社は、それまでコンペではほぼ毎回負けていたんです。ところが、私が担当してコンペに勝ち、それからほとんど勝てるようになりました。もちろん、周囲のサポートがあってのことですが、それでずいぶんと自信がつきましたね。
その勝因は、どこにあったのでしょうか。
明確に勝因を挙げるのは難しいのですが、「コンペのオリエン(説明会)までに勝負は決まる」と考えていたことが大きかったと思います。これは平尾誠二さんの著書(前号参照)の影響もあったかもしれません。
ということは、オリエンの前にいろいろと手を尽くすということですか。
そうです。さまざまな関係者からできる限りヒアリングを行い、クライアントの意図や方針を推察し、制作会社とも事前にしっかりと情報共有をして、最善の提案をするということです。ですから、オリエンは答え合わせのようなものでした。
実は、最初のコンペでは次点で敗れているんです。これがとても悔しく、負けたくない一心で事前にできる限りの準備をするという自分の行動規範をつくり、勝負に挑んだという経緯があります。あとは、案件によって組む制作会社やスタッフが異なるので、チームづくりに力を入れて取り組みました。これも平尾さんの影響ですね。
●便利な経路検索サービスから本格的なインフラへ
菊池さんは、その後デジタルマーケティング企業のオプトを経て、2013年にこのヴァル研究所に販促担当として入社されました。こちらに転職された理由はどんなところにあるのでしょうか。
それまでに在籍していた2社では、クライアントの販促やマーケティングのお手伝いをしていたわけですが、自らサービスを運営・提供している会社で自分の力を発揮してみたいという思いを抱いたことですね。転職活動をしている中で、アットホームで自社のサービスをみんなが愛している会社であると感じたことから、入社を決めました。
それまでに営業のキャリアを積み重ねてこられたとはいえ、ヴァル研入社から6年足らずの19年7月に41歳の若さで社長に就任されました。そうしたお話含みでの転職だったのでしょうか。
入社時には特にそういう話はありませんでした。ただ、当時は売り上げが低迷しており、何か新しいことをしなければならない状況でした。そのため、前職でのベンチャー気質を発揮して自由にやってくれと言われたのです。そんな中で、新規事業プロジェクトや経営企画プロジェクトにも参画させてもらい、次第にそういうことを意識するようになりました。
今後、社長として、どういうことを進めていきたいと考えておられますか。
私たちが大事にしていることは、自分たちの事業がしっかりと社会の課題解決につながっていくということで、それが一番重要であると思っています。
「駅すぱあと」は人の移動を支えるインフラといえますが、最近、JR東日本さんや小田急電鉄さんなど、交通事業者のDXをお手伝いすることが多いこともあり、駅すぱあとは、単に便利な経路検索サービスから本格的なインフラになりつつあると考えています。このサービスを社会の課題解決につなげるためには、サービスのバージョンアップに取り組み、外部環境の変化、例えば人口減少、バスの運転手不足、地域のライドシェアなどにも対応していくことが求められます。このようにモビリティー業界が混沌とする状況下にあって、人の移動の活性化を下支えするサービスを展開したいと思っているのです。
確かに交通機関をめぐる状況は、地域によってさまざまで常に変化するため、求められる情報も多様となりますね。
ところで、ヴァル研究所は1976年の創業ですから来年で50周年、88年発売の駅すぱあとも40年近い歴史を刻みました。ソフトウェア企業の中では、実はたいへんな老舗なのですね。
そうですね。でも、老舗のベンチャーとして新しいことをどんどんやっていこうと思います。受け身ではなく、もっと世の中に提言できる会社にしていきたいですね。
これからの新たなサービス展開に期待し、そして本格インフラへの変化についても注目したいと思います。本日はありがとうございました。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
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※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。