「他責思考」と「自責思考」|ヤキュイク編集部コラム

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2025年05月25日 19:40  ベースボールキング

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ベースボールキング

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少年野球の現場を取材していて思ったこと、感じたことなどを「ヤキュイク編集部」スタッフが思うままに書いています。







先日取材した『横浜ECP ベースボールクラブ』総監督の足立健太郎さんの話の中で、「他責ではなくて自責」という言葉が出てきました。この言葉を聞いて、私は以前に取材したある二つのチームの指導者の言葉が頭に浮かびました。



一つは、とあるチームのシートノックでのこと。ライトを守る低学年の男の子が簡単なゴロを捕れずに何度も後逸していました。どうもゴロを捕るのが苦手のようでした。ですが側で見ている数人のコーチたちは捕り方の指導をするわけでもなく、その子に向かって少し呆れたような口調でこんなことを言いました。
「そんなのも捕れないのか」「お前、何年やってんだよー」



聞けばその子は1年生のときからチームに入っており、この時が3年目。丸2年以上練習をしているのにゴロがまだ上手く捕れないということになります。運動神経の良い、悪いは子どもによってもあると思いますし、この子が毎回練習に来ていたのか、ほとんど来ていなかったかで話しも変わってくると思います。ただ、この時のコーチの言葉に私はちょっと引っかかるものがありました。




その「引っかかり」が何なのか?




そのときは上手く言語化できませんでした。ですが足立総監督のインタビューを終えてから分かりました。あのときの「引っかかり」は、子どもがゴロを捕れないことをコーチはその子のせいにしていたことにあったのです。つまり『他責思考』に引っかかっていたのです。



頭に浮かんだもう一つは、全国大会常連チームの監督の言葉でした。取材に行った際、グラウンドでは高学年の子達がノックを受けていたのですが、低学年の小さな子の何人かがグラウンド脇の草むらでバッタ獲りを始めました。誰もグラウンドの方など見ていませんが監督は注意しようともしていません。私は思わず監督に聞きました。




「あの子たち、練習しなくていいんですか?」




皆さんのチームの監督さんだったら何と答えるでしょうか?




そのチームの監督はこう言いました。
「あれはあのままでいいんです」
その意図を尋ねるとこんな話しをしてくれました。



「あの子達の好奇心は今、野球よりバッタに向いています。あの子達のなかでは野球よりもバッタ獲りの方が楽しいんです。あれを怒って無理矢理練習に参加させるのは簡単です。でもそれは本心から野球をしたい、野球が楽しいと思ってやるわけではないから、そんなことをしても意味がないんです。だから私のやるべきことは、あの子達に『あれ? なんか野球の方が楽しそうだぞ』と思わせること。だから次までにはバッタ獲りに負けない練習を考えることなんです」



野球の練習を抜けてバッタ獲りに興じるのは子どものせいではなく、バッタ獲りよりも楽しい練習をできなかった自分のせいだと考えているわけです。これが『自責思考』だと思うのです。




この監督であれば、先ほどのゴロが獲れない3年生を見てどう思うでしょうか? おそらく「2年経ってもゴロが捕れないのは、これまでの指導がこの子にあっていなかったんじゃないか?」「この子が捕れるようになるためにはどんな教え方をしたらいいだろうか?」そんなことを考えるのではないでしょうか?



『自責思考』というのは、自分に責任があると考えてその責任を感じろという思考ではありません。そうではなく、ついついミスや間違い、不注意などに対して怒ったり、叱ったりしてしまうときに、その「感情の矢印」の方向を相手ではく自分に向けてみること。「そのミスや間違いを防ぐために、自分に何かできたことはなかったか?」そのように当事者意識を持って考えてみること。それが『自責思考』なのだと思います。そうすることで前向きな改善策を考えることに繋がったり、建設的な意見が出てきたりすることに繋がるのではないでしょうか。



子どもが野球を上手くなるために、指導者が持つべきなのは『他責思考』でしょうか? 『自責思考』でしょうか?
そんなことを思いました。(永松欣也)

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