夫婦にセックスは必要?『劇場版 それでも俺は、妻としたい』足立紳監督と妻・晃子氏に聞く

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2025年05月29日 08:10  CINRA.NET

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Text by 原里実

「今夜、どうかな?」とお願いする夫に、「しない」「無理」「マジでウザい」と返す妻。

すさまじい勢いと語彙力で夫を罵倒する恐妻・柳田チカ(MEGUMI)と、それにもめげない売れないシナリオライターのダメ夫・柳田豪太(風間俊介)の攻防を描いた大ヒットドラマ『それでも俺は、妻としたい』。5月30日より、未公開シーンを含むディレクターズカット版が全国の劇場で公開となる。

脚本・監督を手がけたのは、連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)の脚本などで知られる足立紳。驚くことに、柳田家の自宅シーンはすべて足立氏の自宅で撮影され、しかも内容も「ほぼ実話」だという。

本稿では劇場版公開を機に、作品のモデルとなった足立紳・晃子夫妻にインタビューを実施。映画に込めた想いから、夫婦にセックスは必要か、夫婦の愛とは何かといった答えのないテーマまで、たっぷりと語ってもらった。

※本稿は『劇場版 それでも俺は、妻としたい』に関する微細なネタバレを含みます。

—監督自身と妻・晃子さんのことを物語にしようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

足立紳(以下、紳):この作品は、僕が書いた同名の小説(2019年、新潮社刊)を映像化したもので、当時「小説を書いてみませんか」と言われて何を書こうかと悩んだときに、「妻と自分のことを書けば、何か面白いものが書けるんじゃないか」と思ったことがきっかけでした。

紳:身近にいる妻に対して、僕は「なんて面白い人だろう」という思いと、「こんなに罵倒するなんてひどい」という思いを同時に持っていて(笑)。「こんなひどい女がいるんだ」ということを世に知らしめたい思いもちょっとあったんですよ。あとは、自分自身がセックスレスをはじめとする妻との関係で悩んでいたのもありました。

—現在はセックスレスについて世の中で話題にされる機会も多いですが、小説を書いていた当時はいかがでしたか。

紳:いまほど表立って雑誌で特集されたり、それを題材にした映画やドラマは多くはなかったと思いますね。あと、これは僕の勝手な印象ですけど、フィクションの場合は女性を主人公としたものが多いように感じていました。でも、男性にもそういう悩みはあるし、もっとそういう話をしてもいいんじゃないかなと思っていました。

足立晃子(以下、晃子):女性同士はやっぱり話しますよね。ママ友でも同級生でも、女性が集まったらセックスのことだけじゃなくて、夫婦のことや家庭のことってたくさん話す。でも男性の集まりでそういう話をしないのはなんでかな、みたいなことを言っていたよね。

足立紳・晃子夫妻

紳:そう。男は集まっても、家庭や子供の悩みとかより仕事の話になることが多くて。でも僕としては、当時自分自身が専業主夫的な状態だったのもあるのかもしれませんが、「いや、男の人もそういう悩みって普通にあるんだけどな」って。

—実話を物語として世間に発表することに、お二人とも葛藤はなかったのでしょうか?

紳:僕自身に葛藤は特になくて。自分自身のこと、妻のことを書いてみたら非常に楽しかったので、他人からの評価はひとまず脇に置いて書きました。

ただ、書き上がったものを初めて晃子さんに見せるときは、本当に緊張しましたね。僕自身の妻への気持ちも、ボロカスに思っている部分も含めて正直に書いたので、下手したら離婚されるかもとすごく怖かったです。

でも実際に読んでもらったら、いまでも覚えているんですけど、「みずみずしいじゃんこれ」って言われて。

柳田豪太(風間俊介)©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

晃子:それ、私は全然覚えていないんですよ(笑)。たぶん、「いろんな感情が新鮮なままに描かれていて面白い」みたいな意味だったと思うんですけど。

足立はよく、仲間と集まって飲むときに、私のことをネタにして笑いを取ったりしていたんですよ。だから「またやりやがったな」とは思ったけど、作品を読むときには一つのエンタメとして読んだので、純粋に作品として面白いじゃんって。

ただ、世に出てみたら、思ったよりも周りから「あんなに赤裸々に書かれちゃって大丈夫?」という反応があって。そのときになって初めて、そういえばそうか、と思いましたね。

柳田チカ(MEGUMI)©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

—小説版とドラマ版・映画版は、物語の筋も異なる部分が多いです。映像化するにあたって、どのような点を意識して脚本に起こしていったのでしょうか?

紳:もともと小説は官能小説特集に載せるものとして書いたのですが、映像はいろいろな人に見てもらうものなので、見た人それぞれが自分をかえりみて考えられるような内容にできればと思いました。

なので映像版では、セックスレスというのはあくまでも入口で、それだけではなくさまざまな面で豪太とチカが夫婦関係に向き合う話にしようと。どうしてセックスをしたくないのか、相手をどう思ってしまっているのか……夫婦がなんとか対話し、解決できないながらもしようと努力する。それから、子どもの発達障害や不登校といったこともしっかりと描こうと思いました。やっぱり生きていれば、セックスレスだけじゃなく、いろんな悩みが夫婦にはあると思うので。

豪太、チカの息子の太郎(嶋田鉄太、写真右)©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

—たしかに、生活のなかでさまざまな問題を抱えた夫婦像が本当にリアルに描かれていると感じました。一方で、セックスに関する二人のやりとりもかなり骨太で、劇中では「嫌だ」と言ったにもかかわらずしつこく誘う豪太に対して、チカが仕方なく了承しつつも「これ限りなくレイプだから」と言うシーンがありました。このセリフは、実際に晃子さんから言われた言葉だったのでしょうか?

紳:そうですね。

晃子:私たち、タイミングがまったく合わないので。議論はすごくたくさんしてきましたね。

紳:僕がつい「いいじゃん」みたいな、流れで行こうとしてしまって。その都度怒られていました。

晃子:「やだ」って言うと、断るほうが悪いみたいな雰囲気にされるんですよ。「なんで断るんだ、夫婦なのに」とか「愛し合いたいのに」「俺頑張ってるのに」とか。でも、私はただ仕事のこととか子どものこととかでキャパオーバーで、そういう気持ちになれないだけ。なのに責められるのが、すごく腹立って。

©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

—晃子さんのその言葉をセリフとして使ったということは、やはり言われたときにハッとしたところがあったんでしょうか。

紳:そうですね。根本的に考え方を改めないとダメなんだろうなと思いました。あのセリフを映画に残したのは……こういう言い方をすると世の男性に大変失礼かもしれないですけど、僕と同じくらい意識が低い人って多いんじゃないかと思って。だからこそ映画・ドラマのなかではあれだけ強い言葉で「これはレイプなんだ」ってことを描こうと思いました。

でも僕自身、正直に言うと、何度も言われるうちに少しずつ理解していった感じです。はじめは無理やり飲み込んだような感じで……言うことを聞くしかないと思いながらも、やっぱり悶々として、なかなか整理がつかなかった。

晃子:っていうか超ふてくされるし、怒ってたよね。私は自分の気持ちをわかってほしかった。そういう気分じゃないし、やることもたくさんあるし、あと狭い家で子どももいるし……。「嫌いじゃないし、リスペクトもしている。でもいまはしたくない」ということを、こんな優しい言い方では全然ありませんでしたが、なんとか伝えようとしていたと思います。

—本作では、したくないほうの権利についてもしっかりと描きながら、したいほうの豪太の気持ちに、したくないチカが正面から向き合うシーンもありました。

晃子:お互いの権利だし、お互いの大事なことですよね。

—お二人は、夫婦にセックスは必要だと思いますか。

晃子:私は必要ないと思う。

紳:二人とも必要なくて、それで幸せであれば、僕も別に必要ではないと思う。

晃子:でも、どっちかだけが必要だったらかわいそうだよね。断るほうも断りつづけるのは罪悪感があるし、したいほうもできないのは辛いし。

紳:とにかくまずは話すしかないんだろうな。だから今回の作品も、会話の多い作品になったと思っています。

晃子:どっちかが我慢する、じゃ違うもんね。

紳:でも、大事なことを話し合える夫婦関係って、なかなか急には築けないと思います。だから普段から、全然深刻じゃない日常の些細な出来事とか、無駄話のようなことであっても、とにかく夫婦でよくしゃべることは大事な気がしますね。

晃子:もししたくないほうに明確な理由がないなら、無理やりそういう日をつくるというのも私は一つの方法だと思う。外食に行ったり、映画を見に行ったりしてムードをつくるとか。家だとできなかったら、ホテルに行くとか、旅行に行くとか。いまの日本は、一度は好きになって結婚している人も多いと思うので。

—お互いが相手の気持ちと逃げずに向き合うことが大切ということですね。

—夫の豪太役を風間俊介さん、妻のチカ役をMEGUMIさんが演じていますが、二人のお芝居によってできあがったキャラクター像はいかがでしたか?

紳:MEGUMIさんには、ドラマ版のプロットと原作をお見せしてオファーさせていただいたのですが、「セックスレスの話ではあるけど、チカという一人の女性の、強い言葉の裏に隠された『どう言っていいのかわからない』生きていくうえでの葛藤のようなものが描かれていると思った」という感想をくださって。

それはまさに僕が表現したいと思っていたことだったので、伝わったことがまずとてもうれしかったですね。ラスト間際にチカの抱える思いが堰を切ったように飛び出してくるシーンがありますが、MEGUMIさんのその読解があの演技に表れたなと感じて。本当に素晴らしいものを見せてもらいました。

©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

紳:豪太は自分自身をモデルにしているので、どういう人に演じてもらえばいいのか最初はわからなかったのですが……。風間俊介さんって、福祉をテーマにしたテレビ番組にも出演されていたり、教養のある考えのしっかりした方というイメージがあって。風間さんのそういう部分が豪太のなかにわずかながらに残ったことによって、僕がまったく想像していなかったキャラクターに仕上がったんです。

自分が悪者にならないように振る舞う小賢しさというか、みっともなさというか……そういうものが見事に立ち上がってきて、ちょっと想像を絶する豪太になったなと非常にうれしかったですね。

©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

—晃子さんはできあがった作品を見てどう思いましたか?

晃子:映像も小説と同じで、自分たちのことというよりは一つの作品として客観的に見ました。編集ルームによく息子が遊びに来ていて、見ながら「母ちゃんに似てる」ってしきりに言うので、「私、こんな口調でしゃべってるんだ」と反省したりはしましたね(笑)。

—ドラマとして放送された当時は、どんな感想が目に入りましたか?

晃子:本当に賛否両論あったよね。

紳:「賛」のほうで言うと、「夫婦というものについて考えさせられた」というご感想とか。「否」のほうはやっぱり、豪太の人間性だったりはするんですが(笑)。

僕、じつは撮影した映像を編集するなかで、「豪太ってある意味理想の夫なんじゃないかな」という思いが湧いてきたんですよ。で、もしかしてそういう感想も出るかなと思ったんですが、それはなかったですね(笑)。

—「豪太が理想の夫」とは、どういう意味ででしょうか?

紳:豪太は妻のチカから日々ものすごくいろんなことを言われて、怒られているわけですが、世の夫たちって全部聞く前に言い返すとか、否定する場合が多いんじゃないかと思って。

やっぱり夫婦の間は、気に入らないことや納得できないことがあったらちゃんと言える関係が理想だと思うんです。もちろん世の中には男女かかわらずいろんな人がいますが、やはりどちらかというと男の人のほうが、否定的なこととか文句を言われたときに、受け止める力がないというか、打たれ弱いというか……それに対して怒りで返したり、言わせないようにするという態度をとる人が多いような気がして。

晃子:家ではね。仕事とかでは言われ慣れているかもしれないけど、「家では言われたくない」って人は多い気がする。

紳:そういうときに、豪太を見ていて「やっぱり夫は妻からなんでも言われなきゃいけないし、妻が言い出しやすい雰囲気でいなきゃいけないんじゃないか」って思えてきたんですよね。だから「理想の夫」なんじゃないかなって。まあ、スタッフに言ったら鼻で笑われましたけど(笑)。でもいまでもあながち間違っていないんじゃないかなって思います。

©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

晃子:夫がどう、妻がどうというよりも、お互いに「フェア」であればいいと私は思います。妻も夫も、お互いに言いたいことをちゃんと言う。

周りの話を聞いていると、やっぱり諦めちゃう人も多い気がして。「仕事や家事・育児で疲れ果てて言う元気がない」「言ってもどうせ変わらない」……その気持ちもすごくわかるんですけど、でも諦めてしまうと次がないんですよね。直してほしいことも伝えられないし、嫌だったできごとをずっと引きずっちゃったり。だから、諦めないで言ってみるのはすごく大事なことだと思ってます。言うほうも聞くほうも、傷つけるつもりじゃないということを前提として。

—私にも夫がいますが、いつも「言ったほうがいいだろうな」と思いながら、どうにも腰が重くなります。「どうせ喧嘩になるんだろうな」と……。

晃子:わかります。言うのって本当に疲れますよね。私たちはもう28年ぐらい一緒にいるけど、いまもずっと同じことを繰り返していますよ。「何回同じこと言わせんだよ」ってセリフ、何度言ったことか。

紳:夫婦間の同意についてもそうですけど、「はいはい、わかったよ」みたいな状態から、本気で考えられるようになるまでには、やっぱり時間がかかってしまうんですよね。だから根気よく言ってもらうのは大切な気がします。

—今回の小説やドラマ、映画が完成したことで、夫婦の間で変わったことはありますか。

晃子:それはあまりないかも。

紳:ないですね。ただ、せっかく二人の実話に近いような話が形になったので、もっと仲良くなりたいなという気持ちが僕はあるんです。手をつないで歩くとか、その程度のことでもいいんですけど……でも晃子さんに言わせれば、そういう僕の気持ちは「お子ちゃまみたい」って言われちゃう。

晃子:うん、「昔のような気持ちに戻る」なんて絶対無理。でもちゃんと愛はあるし、示しているつもり。それをわかってほしいんだよね。

撮影に使用された足立夫妻の自宅 ©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

—その晃子さんの「愛」というのは、もう少し説明するとどういう感情とか関係ってことなんでしょうか。

紳:それは俺も知りたい。

晃子:足立って脚本を書いたり監督することはできるんですけど、他のことが致命的に何にもできないんですよ。だから私はもともとやっていた仕事をいまは辞めて、足立と一緒に会社をつくって事務的な面を担ったり、自主映画とかにはプロデューサーとして入ったりしていて……もうかなり全面協力しているんです。それに加えて、二人の子どものこと、家のこともやってる。

それは足立に、やりたいことをのびのびとやらせてあげたいから。これってすっごく大きな愛じゃないですか? もしも私が足立みたいに、好きなこと以外何もできない人だったら、一緒に生きていくなんて到底無理ですからね。

—いまの晃子さんの紳さんに対する愛の形は、「一緒に生きていくために全力を尽くす」ということなのかなと思いました。

晃子:そう、その通りです。

—そう言われてみるとどう思いますか。

紳:そう言われると、「たしかに」と思う。

晃子:ああ、伝わった。いつもこの説明大変なんですよ。

紳:でも、いろんなこと「やってあげてる」ってよく言うじゃん。だから僕は、「そうじゃなくて晃子さん自身が好きなことに全力を傾けたほうが幸せなんじゃないかな」って思っちゃって、それでいつも喧嘩になるんですよ。

晃子:それはだって、実際いろんなことをやっているから。でも、やらされているとは思っていないよ。私なりに楽しんでやっているよ。

紳:そう思ってくれているならいいけど……。

—心を尽くして話し合っても、きちんとわかり合えるまでには時間がかかって、そうしている間にまた別の問題が生まれたり……。すべて問題なく上手くいっている状態はなかなか難しいですよね。劇中の終盤には「夫婦はどうしようもなくなってからが勝負」というセリフがありましたが、どうしようもなくなってからも夫婦でい続けることには、どんな意味があると思いますか?

©︎「それでも俺は、妻としたい」製作委員会

紳:どんな魅力的な相手でも、何年も一緒にいると、ある程度慣れ合いみたいになってしまうことはあると思う。そこでもう別れて、お互い違う人生を行こうって決めるのもいいことだと思います。

一方で、「その先」を続けてみることで生まれる、なんかちょっと思いもしなかったような人間関係って……それはそれで、未知なものだと思うので。「どうしようもない」と感じても、もう一度お互いが踏ん張ろうと思えるのなら、踏ん張ってみてもいいんじゃないか、それをアホみたいに繰り返してもいいじゃないかって、思ったりするんですよね。

晃子:私もまったく一緒です。離婚するのも当然いい、でも、文句を言いながら続けるのもいいと思っています。自分を大事にした末の選択だったら、本当にどっちでもいい。

ドラマを見てくれた方の感想のなかにも「なんでこの夫婦別れないんだろう」という反応はよくあります。実際、私も離婚してもよかったんですけど、子どもがけっこう足立のことを好きだったりとかいろいろあって、文句を言いながら続けるほうを選びました。

なんだかんだ、どうしようもなくなったあとのほうが腹を括れるところもあると思う。どうしようもなくなるってことは、やっぱり我慢しないことだと思うんですよ。お互いに我慢せず、いろいろぐしゃぐしゃになってわけわかんなくなる……そのくらい一人の人間ととことん付き合うっていうのも、なかなか面白いものだと思うんですよね。
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