
【写真】映画『こんな事があった』ティザービジュアル
本作の舞台は、東日本大震災から10年後の福島県。震災と原発事故をきっかけに離散した家族と、青春を奪われた青年たちを描く。
2021年、夏の福島。17歳のアキラは、母親を原発事故の被曝で亡くし、父親は除染作業員として働きに出て、家族はバラバラに。拠りどころを失ったアキラを心配する友人の真一も、孤独を抱えていた。ある日、アキラはサーフショップを営む小池夫婦と店員のユウジに出会い、閉ざしていた心を徐々に開いていく。しかし、癒えることのない傷痕が、彼らを静かに蝕んでいく――。
監督は、1979年のデビューから監督作は5本と寡作ながらも、代表作『追悼のざわめき』(1988)などで今も日本のみならず世界中の映画ファンから支持されている松井良彦。モスクワ国際映画祭に出品された前作『どこに行くの?』(2007)から18年ぶりの待望の最新作となる。構想から13年、震災や原発事故の記憶が薄れゆく現代に、痛烈な怒りと切なる祈りを込め、観るものの心を揺さぶる魂の映画を完成させた。
主人公のアキラを演じるのは、是枝裕和監督『奇跡』(2011)で映画デビューにして主演を飾り、映画やドラマ、舞台を中心に着々とキャリアを積む前田旺志郎。真一役には、篠原哲雄監督作『ハピネス』(2024)で映画初主演を果たし、映画やドラマ、CMなど活躍の場を広げる窪塚愛流。真一の父親・篤人役には、今の日本映像界で欠かすことのできない俳優、井浦新。窪塚と井浦は、ドラマ『あのときキスしておけば』(テレビ朝日系)、塩田明彦監督作『麻希のいる世界』(2022)に続く、親子役での3度目の共演となる。
|
|
窪塚は「震災や原発事故があって、当時の事は自分でもとてもよく覚えていて、悲しい出来事だったり、憎しみの感情を呼び起こすことだけど、松井監督は、そういう事だけではなく、あの出来事を、これだけは知っておいてほしいという意味で、映画を通して僕に教えてくれました」とコメント。
かねてより松井監督のファンで、『追悼のざわめき』を「人生の1本」に選んでいる井浦は、松井監督について「お世辞や嘘を言わない真っ直ぐでとても不器用な方。だからこそ信頼ができて、とことんついてゆき全身で監督の世界観に浸りながら学び感じ演じたいと思わせてくれる」と評し、松井組に初参加できた喜びを語った。
松井監督は、本作の制作に携わったキャストやスタッフ、関係者への感謝の言葉を述べた後、「ほとんどの日本人の記憶の中で原発事故は、希薄なものとなっています」「そんな今、この現状だからこそ、一人でも多くの皆さんに本作を観て、考えていただきたいと思います。それがこの映画の存在価値であり、存在意義でもあるからです」とコメントを寄せている。
さらに、本作の上映を控える新宿K’s cinemaの支配人と番組編成担当からもコメントが到着。松井監督の代表作『追悼のざわめき』は、1988年、今は亡き中野武蔵野ホールで初公開され、同館開設以来となる観客動員を記録。世界中の映画ファンや映画人に熱狂的なファンを生んだことから、「伝説の映画」として日本インディーズ映画界にその名を刻んでいる。『追悼のざわめき』から37年、当時、中野武蔵野ホールで勤務していた両名のもとで上映したいという監督たっての思いによって、「インディーズ映画の聖地」とも称される新宿K’s cinemaでの上映が決定した。
|
|
映画『こんな事があった』は、9月13日より新宿K’s cinemaほか全国順次公開。
※キャスト、監督、新宿K’s cinemaの支配人&番組編成担当者のコメント全文は以下の通り。
■前田旺志郎(主人公アキラ役)
公開される事大変嬉しく思います。
この作品のお話をいただき、撮影に入る前に福島の方に訪れました。
|
|
正直なところ今の福島がどのような状態になっているのか僕自身知りませんでした。
同じ日本で生まれ育った人達が今もまだ震災、原発の被害に苦しんでいる事実に我々日本人は目を向けていかなければなりません。
到底、当事者の方達に及びませんが、僕はこの作品を通してその痛みを、どこにぶつけたら良いかわからない怒りを少し体感しました。
僕と同じように、この映画を通して多くの人が被災者の方々の現状を知り関心を持つきっかけになってくれたらと思います。
■窪塚愛流(真一役)
震災や原発事故があって、当時の事は自分でもとてもよく覚えていて、悲しい出来事だったり、憎しみの感情を呼び起こすことだけど、松井監督は、そういう事だけではなく、あの出来事を、これだけは知っておいてほしいという意味で、映画を通して僕に教えてくれました。忘れないように、これだけは忘れてはいけないこと、心に留めておくことだと思います。
■井浦 新(篤人役)
松井良彦監督をご存知でしょうか?40代以上の映画好きには、「え!あの映画の監督?!」となる方もいると思います。海外の映画祭で上映禁止となった1988年公開作品『追悼のざわめき』は、今でも衝撃作として色褪せず熱狂的な支持を受けています。にもかかわらず、松井監督は極めて作品数が少なく、2007年公開の前作『どこに行くの?』は19年ぶりの監督作で、今作『こんな事があった』は18年ぶりの新作になるのです。
数の多寡は重要ではないけれど、それだけひとつの作品に時間と想いと情熱と愛を注いでいて濃密で深い。そして松井監督は、お世辞や嘘を言わない真っ直ぐでとても不器用な方。だからこそ信頼ができて、とことんついてゆき全身で監督の世界観に浸りながら学び感じ演じたいと思わせてくれる。私はこの作品で松井組に参加できて、とても幸せです。
■松井良彦(監督・脚本)
2025年9月13日(土)。私の監督作品、映画『こんな事があった』が公開されます。この映画に関わってくださったスタッフやキャスト、並びに協力をしてくださった方々に、心から感謝をいたします。「ありがとうございます。おおきに!です」。その方々のご尽力というのは並々ならぬものがあり、作品への想いはもちろんですが、これまでに培ってこられた技術や才能を、惜しむことなく注ぎ込んでくださった。その賜物がこの映画『こんな事があった』なのです。
他方、私には、今もずっと思いつづけていることがあります。それは、今現在も福島だけでなく日本自体が、原子力緊急事態宣言のもとにあるということです。つまり、まだ何も終わっていないのです。にもかかわらず、ほとんどの日本人の記憶の中で原発事故は、希薄なものとなっています。これはとても危ないことであり、決してそうであってはならないことなのです。
そんな今、この現状だからこそ、一人でも多くの皆さんに本作を観て、考えていただきたいと思います。それがこの映画の存在価値であり、存在意義でもあるからです。もし会場等で皆さんとお会いした際には、お話しできれば、幸いです。
■酒井正史(新宿K’s cinema支配人/元中野武蔵野ホール勤務)
中野駅北口サンモール商店街を右に入った八百屋の隣、半地下の映画館で『追悼のざわめき』は始まりました。あの熱狂を知る者にとって、再び松井良彦監督の新作を鑑賞できることは、感慨深く、また嬉しい限りです。インディーズ映画とは、何ものにも頼らず、独立した、作家性の強い作品であると『追悼のざわめき』の上映を通して教わりました。
あれから37年、変わったことは沢山ありますが、未だに変わらない事も多くあります。同調圧力、差別、偏見など、それらに対する怒りを胸にこれからも生きていこう、そう思わせる力がこの映画にはあります。
■家田祐明(新宿K’s cinema番組編成/元中野武蔵野ホール勤務)
平和の象徴の鳩は頭を捥(も)ぎ取られ空へ放り投げられ、首なしの鳩は黒いカラスに貪り喰われ、我々の平和な日常をも貪り喰らう。神々しいまでの修羅場が描かれた『追悼のざわめき』。綿密に練られた計画的犯行のような“追悼のざわめき”の行為は映画の事件だった。
そしてリマスターされた『追悼のざわめき』。暴れ回った怪物が、ぶっ壊しまくった怪物なのに、何故かその時は、哀しみを憶えた。どこに向かえばいいのか? どこへたどりつけばいいのか? 『追悼のざわめき』から彷徨った私は、『どこに行くの?』に出会う。ここでもまた、異形のセクシャリティが描かれた。“異形”。このことばに込められた思いが誰よりも強い監督、松井良彦。
『追悼のざわめき』によって芽を出した異形の花は、震災を経てもなお、2025年も咲き続け、『こんな事があった』にたどり着いた。汚染されたコンクリートの隙間からでも咲いている。踏みつけられても引き抜かれても何度も狂い咲いてくる。異形の花にしやがった国め。人間め。そして自分自身へ。糞みたいにゴミみたいに街を闊歩する我々に憎悪をもって花は咲いて姿を見せる。
これから我々は松井良彦監督『こんな事があった』を公開する。異形の花を摘んだ少年がそこにいる。その花を眺め、何を思うのか。差別のない美しい国作りに余念のない人間どもめ。“こんな事があった”ことを彼方に追いやり、笑顔を振りまきながらせせら笑い、善意の面を下げ、異形の花を踏みにじるお前たちに、『こんな事があった』は、鉄槌をかましてくれよう。静かに、苛烈に、そして沸点に沸いた怒りを監督松井良彦がぶつけるのだ。