写真映画業界で活躍するすごい映画人に、「仕事としての映画」について語っていただくコーナー。10年ほどのおやすみを経て(!)、このコーナーを復活させる運びとなりました! 記念すべき復活回にご登場いただくのは、2014年より自主上映・配給の道を歩んできたグッチーズ・フリースクールの主宰、降矢聡(ふるや・さとし)さん。長らく日本では未公開だった作品などの上映を実現し、映画ファンの胸を熱くさせてきた映画配給のカリスマ的存在です。
過去の上映企画には『傑作? 珍作? 大珍作!! コメディ映画文化祭』とネーミングから興味をくすぐられるものから、日本では長らく観ることのできなかった現代アメリカ映画の最重要人物、ケリー・ライカート監督の作品特集など、系統に縛られない秀逸なセレクトがずらりと並びます。さらには映画配給をしながら『ウィメンズ・ムービー・ブレックファスト 女性たちと映画をめぐるガイドブック』(2024年、フィルムアート社)をはじめ、愉快で濃密な出版物にも力を注がれています。
枠にとらわれず楽しそうに活動しているグッチーズ・フリースクールとは「一体何者!?」を探るべく、根掘り葉掘りお話を聞かせてもらいました。
前半では降矢さんの人物像と、映画上映のお仕事にいたるまでをご紹介します!
年齢を重ねるごとにヒートアップした映画熱
80年代に幼少期を過ごし、「日曜洋画劇場」や「金曜ロードショー」が決まってお茶の間で流れる家庭で育った降矢さん。そのせいか中学に上がると、「昨日のランボーは観たか」と投げかけてきた子とすぐに意気投合した。友達との遊び場の一つに映画館を投入しながらTSUTAYAにも居場所を見出し、当時Tポイントを貯めると手に入った「TSUTAYA シネマハンドブック」などからゆるゆると映画の世界を探求した。そうして高校生になると、ヌーベルバーグを入り口に映画沼にハマったという。
「基本的には洋画劇場で育ったので、割とそれまではメインストリームのものを多く観ていました。今もそういう楽しい映画は大好きですけど、そことはまた違う映画があると知ってどんどんハマっていきました。具体的には、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959年)ですね。やっぱり衝撃でした」
大学に入っても映画熱が冷める気配はまるでなく、自然と映画サークルに入部した。
「全然やる気のないサークルで、ただ食べたり飲んだりしてました(笑)」
一方で激しさを増していたのは個人的な映画鑑賞活動だ。
「テストのとき以外は、朝から2本立ての映画を新文芸坐と早稲田松竹で観て、家に帰ってもうあと2本観て、下手したらオールナイトでまた4本見る......とかまじでそういう生活をしてました」
おなかが空かないよう炭酸でおなかをふくらませ、映画観たさに「睡眠というよりも、仮眠していた」という降矢さん。ご両親はその様子をやや心配な目で見ていたそうだ。
「最初のほうは、『こいつ大丈夫かな......』って感じでしたけど、もう途中からは『また映画館行ってご飯食べないのね』みたいな感じになってました(笑)」
存在感を出さないといけないと思った
大学卒業後は「会社勤めは自分にはあわないだろうな」と配給会社などへの入社は特に志望せず、ひとまず「3億円当たります!」の掛け声で宝くじを売ったり、漫画喫茶で働いたりして生活をした。映画に関わりたいという思いから後に映画の批評記事を書く仕事を手に入れるも、仕事の頻度は3カ月に1本程度。それだけでは暮らせそうになかった。「このままだとどうにもならないことに、僕もうっすら気付いていました。もうちょっと映画関係のなかで、存在感を出さなきゃと思ったんです」
そこで2、3人の友人に声をかけて始めたのが、未公開映画の紹介サイトだ。きっとこの作品を観たいのは僕たちだけじゃない!そんな思いで作品の内容を最初から最後まで細かく描写し、字幕がついていない国内未公開映画を楽しめるお助け記事を次々と書いた。そのサイト名こそが「グッチーズ・フリースクール」だった。
▲グッチーズフリースクールの公式サイト
予期せぬ声掛けから、上映活動がスタート!
サイト運営をはじめてから1年ほどが経過した頃、大学時代に別の映画サークルに所属していた後輩から上映会の相談が舞い込んできた。
「東京藝術大学のプロデューサーコースに進学していた後輩で、上映イベントを企画する課題があったようで。そのとき、『降矢さん、未公開映画の紹介をしてますよね。予算は藝大から出るので、一緒に何かやりませんか』とオファーをもらったんです。サイトのことも、僕がかなり映画好きってことも知っていたので、相談しに来てくれたんだと思います」
突如関わることになった人生初の上映企画に選んだのは、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の『アメリカン・スリープオーバー』(2010年)。映画を楽しむための仕掛けを散りばめようと、作品に出てくるスリープオーバー(お泊まり会)を演出して会場にソファを並べ、ゲストには山崎まどかさんを招き、オリジナルの配布物を用意した。そうして迎えた3日間のイベントはなんと初の企画にして毎日満席、来客数は延べ450人にもおよんだ。
「グッチーズの宣伝がうまかったというよりは、映画を観たい人がいたっていうことに尽きるんだと思います。ゲストの方が広めてくれたことにも助けられました」
そうして企画を終えて残ったのは、「(自主上映は)個人でもできるぞ」という感触。
映画を上映する流れはおおまかに、作品の権利元に問い合わせ、権利料などの交渉をし、データをもらい、字幕をつけ、上映する会場を確保する、といったものだ。
「向こうの配給会社から『お前たちはどんなやつなんだ!』といわれることもなかったので、個人や団体として普通に連絡をして、お金の支払いとかをしっかりやればできるなという感触でした」
できるぞという感触とともに、映画館から連絡がぽつぽつとくるようになった。藝大でのイベントの盛り上がりを見ていたことから「うちでも上映できませんか?」と声がかかりはじめたのだ。
「それで『権利をとれるか聞いてみますね』という感じで劇場さんのために権利をとるというのが続きました。その延長線上で、今は2、3年の権利を買って、全国の劇場さんに声をかけて、上映の規模が広がっているという感じです」
高まり続けた映画熱の末、波に乗っかるようにしてはじまった降矢さんの上映活動。次回はグッチーズ・フリースクールがなぜ作品を上映する際に100ページを超える"冊子"をつくるようになったのか、また、最近の活動や今後についてを聞きます! お楽しみに。
(取材・文/鈴木未来)
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