
Text by 廣田一馬
テストでいい点を取ったとか、親戚の手伝いをしたとか、そういう小さな報酬をかき集めて、ようやく買えるのが「CDアルバム」だった。1枚10〜13曲が入って価格は3000円ほど。中学生が気軽に手に入れられない高価なものだ。
だって、マックで語り合わないと同級生とは仲良くなれなかったし、プリクラを撮って友情を形に残したかった。要するに、アルバムを手に入れるためには、報酬のほかに何かを我慢しなくちゃいけなかった。
スマホもYouTubeもなく、アルバイトすらできない平成のローティーンは、なんて不自由だったのだろう。でも、そういう制限のなかで選んだ音楽は、学校で下手くそな作り笑いをしている自分を守ってくれるような、そんな神聖さを帯びていたような気がする。
2000年に発売された椎名林檎の『勝訴ストリップ』は、私にとってアルバムを聴く愉悦を教えてくれた1枚だ。発売当時、私は小学生。音楽との接点はほとんどなく、このアルバムが250万枚ものセールスを記録したことも、椎名林檎が「新宿系」を名乗って話題になったことも、後追いで知った。
すでに流行り尽くされた椎名林檎の楽曲が、自分のなかで一線を越えたのは1stアルバム『無罪モラトリアム』に収録されている“積木遊び”だった。
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「この曲ウケる」。雑巾臭のするコップで飲む薄いジュースみたいな感想しか出てこない。自分の言葉をまだ持っていなかった。
その足でTSUTAYAに駆け込み『無罪モラトリアム』と『勝訴ストリップ』を借りて、家に帰ってすぐ聴いた。後者を聴き終えようとした時、音が突然、ブツッと途切れた。「飛んだ?」。物理CDは埃や傷で音が飛ぶこともある。CDプレイヤーからディスクを取り出し確認しても、異常はなかった。
調べてみると、『勝訴ストリップ』の13曲目“依存症”は、アルバムのトータルタイムを「55分55秒」に収めるため、意図的に尻切れにされた曲らしい。さらに、6曲目の“罪と罰”だけ歌詞カードの色やサイズが異なり、この曲を中心に“虚言症”と“依存症”、“浴室”と“本能”、“弁解ドビュッシー”と“病床パブリック”というようにシンメトリーに曲が並んでいるではないか。
椎名林檎のシンメトリーへのこだわりは、自身のコンプレックスが由来だとする考察も見つけた。彼女は先天性食道閉鎖症の手術の影響で成長するにつれて肩が湾曲してしまい、左右対称に動かせなくなったことが原因でバレエとピアノを断念したという。劣等感や挫折感はこんな形で昇華できる……って……こと?
やば。
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『勝訴ストリップ』は、2ndアルバムとは思えないほど初期衝動に満ちている。雑誌『BUZZ』のインタビューによれば、「今こっちがやりたい音楽」として、一度ほぼ完成した段階から作り直された1枚になったという。収録曲の多くは椎名林檎が10代の頃に作ったものという事実にも驚いた。実際、彼女はデビュー当時「ゴースト(ライター)でしょ?」と散々言われたそうだ。
そういえば、自分が小学生の頃にテレビから流れてくるJ-POPは、極端に言えば「男性が主体」なものばかりだった。もちろん、1990年代にも川本真琴やCoccoがいたし、その前にも松任谷由実や中島みゆき、竹内まりやといった女性アーティストの系譜もある。
それでも、男性プロデューサーが若い女性を発掘してミリオンセラーを生む流れがあまりにも強く、当時耳にする音楽には自分の魂を守ってくれるような質量を感じられなかった。
1998年、椎名林檎がデビューした年は、宇多田ヒカルやaiko、浜崎あゆみ、MISIAらが一気に登場し、「奇跡の年」とも呼ばれている。そのなかで、椎名林檎だけは怒りや破壊衝動を音にのせていた。拡声器を手に、金属音のような声で叫ぶ姿は、スクールカーストの重圧で潰れそうだった自分に刺さりに刺さった。怒っていいんだ。そう思えた。
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「新聞とかってオウムとかそんなことばっかだったんだけど、隅っこに追いやられてる記事で、同い年の女の子がね、線路に寝そべる方法で自殺をしたっていうのがあって。どんな子かとか全然分かんないんだけど、その自殺した経緯とかもすごく悲しくて。そういう感じることを歌にしていた」
このインタビューはデビュー間もない頃のもので、“虚言症”との直接的な関係はわからない。けれども、歌詞と言葉がつながったとき、このアルバムは「お気に入り」をこえた、確かな質量を持つ1枚になった。。
新しいものがつねに最強だった2000年代初頭、私は数年前に流行った『勝訴ストリップ』を狂ったようにリピート再生していた。
翻弄、徒、天鵝絨(ビロード)、刹那、甲斐性、チョーキング、嗚咽、不穏……曲を聴くごとに少しずつ言葉を知っていった。言葉を知ると、とりとめもない不安は和らぐ。自分の気持ちを意志に変換できるからだ。
結局、私がお金を貯めて『勝訴ストリップ』を買えたのは、高校生になってからだったけれども。
デビューから約四半世紀。椎名林檎は結婚・出産を経て再びステージに立ち、東京事変としても一時代を築き、今なお最前線にいる。音楽の聴かれ方も社会の空気も大きく変わった。彼女の音楽もかつてのような破壊衝動は影をひそめ、その代わりに祈りや慈しみのようなものが宿っている。
それでも、根底にあるものは変わっていないのかもしれない。2017年のインタビューで、彼女は、かつて歌にした「自殺した少女」についてふたたび言及し、こう語っている。
「女の子の味方になる材料をみんなで世の中に溢れさせたい。15歳の女の子全員が『人生、余裕! 楽勝!!』と清々しく言いきれる世の中になればいい。その思いはいまも何ら変わっていません」
この6月には、新曲“芒に月”がリリースされる。秋の草原をなびくすすきと、その向こうにぼんやり浮かぶ月。東京事変の鍵盤奏者・伊澤一葉のバンドの原曲を起源にした曲だ。
最近の彼女の楽曲は5文字縛りが多かったので新鮮さがあるし、カップリングの“松に鶴”と共に花札の絵柄で、次作への示唆も感じられる。“芒に月”はアルバムの何番目に配置されるのだろうか。
こんな楽しみを感じられるのも、消えてしまいたくなる夜に、何度も何度も再生ボタンを押し続けてきたからだ。もう自分は少女の面影すらないけれど、今でも絶望感や切迫感に飲み込まれそうになることもある。
でも、たとえ「明日なんて来なければいい」と泣く夜が訪れても、私はきっと椎名林檎のアルバムを、最初の一音から聴き直す。