
一期生が全員卒業し、新たに五期生が加入。新体制初ライブ「OVER THE RAINBOW」に挑む新生・日向坂46。その未来を担う四期生4人のエピソードを書き下ろし。日向坂46に出会った彼女たちは、今、何を思うのか。
■清水理央が同期からもらった転換点
「ショートヘアで、活発で。とにかく外で遊ぶことが大好き。放課後、校庭の"タイヤ跳び"を毎日跳んでからおうちに帰るっていうマイルールを決めてたんですけど、勢い余って顔から砂利に落ちたこともありました(笑)」
自身の小学校時代をそう語る清水理央。休み時間が来れば自分から友達を誘ってドッジボールに明け暮れ、「学校行事でクラスを引っ張りたい」という思いから、積極的に学級委員にも立候補。小学1年生から、学外のテニススクールで硬式テニスに没頭する。
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明るく元気な彼女には、当時から周りを巻き込む才能があった。そんな清水は、中学に上がって自身の見た目にコンプレックスを抱くようになる。
「ずっと外にいるから日焼けしていて、髪も癖っ毛。お洋服も近所のお兄ちゃんのお下がりをよく着ていて、『かわいい』とはかけ離れた子だったんです。だんだんと見た目を気にするようになって、いろんな努力をしました(笑)。『かわいい女子高生になりたい』と思って、お母さんに内緒でストレートパーマをかけたこともありました」
かわいい女子高生――そうあろうとするのには、「チア部に入りたい」という思いがあった。
「地元で有名なスポーツの強豪校があって、そこでチアリーディングをやりたくて高校を決めました。やっぱりチアをやるには、かわいくないといけないって思い込んでたんです。
そんな思いで入ったチア部の練習は、本当に厳しくて。毎日体は痛いし、また日焼けしていくし(苦笑)。大変でしたけど、チームのみんなと一緒になって乗り越える楽しさを初めて感じることができた3年間でした」
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そんな部活と並行し、清水は高校3年生の春、日向坂46四期生オーディションに応募する。
「昔から元気さをホメられてきたし、このまま普通に大人になったら、チア部のように誰かとひとつの目標を追いかけることは少なくなるだろうなって。ちょっとずつ自信もついてきたし、思い切ってアイドルを目指そうって。挑戦するなら、どこよりも元気で明るい日向坂46に入りたいと思って応募しました」
こうして日向坂46に加入した直後、彼女はいきなり大きな壁にぶつかることになる。四期生に初めて与えられた期別楽曲『ブルーベリー&ラズベリー』(以下、『ブルラズ』)で、いきなりセンターに抜擢されたのだった。
「当時はプレッシャーも大きかったですし、自分を全然認められなくて......。『自分なんかグループにいないほうがいい』『ファンの皆さんの記憶から消えたい』って。ずっとネガティブな気持ちで過ごしていました。
そんな気持ちをやっと切り替えられたのは1年後。先にデビューした乃木坂46の五期生さん、櫻坂46さんの三期生さんとの合同ライブ『新参者』(2023年)でした。
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レッスン中、私が『こんな私がセンターで申し訳ない』と口にしたことがあって。同期はみんな、『そんなことない。理央がセンターだから私たちも「ブルラズ」が好きな曲になったんだよ!』って叱ってくれたんです」
小さい頃から"仲間"を大切にしてきた清水は、今の仲間である同期から転換点をもらった。
「気持ちを入れ替えました。ひとりでもネガティブでは、四期生全体が前に進めなくなる。風当たりを強く感じていた時期だったんですけど、そんな声を見返したいって一丸になりながら私もステージで輝きたいと思い直して。
毎公演、特に『ブルラズ』と『イマニミテイロ』に強い気持ちを込めて歌っていました」
『イマニミテイロ』は、前身の"けやき坂46"時代、当時の一期生が歌っていた、自らの存在意義を見いだす楽曲。「新参者」のこの2曲をもって、清水は笑顔の自分を取り戻したのだった。
■竹内希来里が受けた母からの愛情
竹内希来里(きらり)に幼少期について尋ねると、彼女はまず「お母さんっ子だった」と語る。
「近所のご家族とよく一緒にバーベキューをしてたんですけど、子供たちで鬼ごっこをすることになっても、私は大人と一緒にいたいのでやらなかったり。
いとこの家に私だけお泊まりすることになっていた日も、『お母さんと帰りたい』って駄々をこねて一緒に帰ったり。どんなときでも私の味方でいてくれて、悩みやうまくいかないことがあっても励ましてくれる、そんなお母さんが今でも大好きです」
竹内は中学時代、転校をきっかけに人間関係に悩んだことがあった。その頃には誰とでも仲良くなれるようになっていた彼女だが、以降、ひとりで過ごすことも増えていったという。
「そんな悩みが広がって、『勉強も特別できるわけじゃないし、小さい頃からやってきたバレエもやめちゃったし。私って何もかも中途半端だな』ってすごく落ち込んだ時期がありました」
その頃、彼女がアイドルを意識し始める出来事があった。同じ中学の卒業生に、とあるアイドルがいることを知ったのだ。
「ある日、そのアイドルの方が東京から、自分の学校に来たことがあって。その日は学校中がザワザワしていました。それを見てなんですかね。『こんな身近にそんなアイドルの方がいらっしゃるなら、自分も何かがきっかけでアイドルになれるのかも』と思うようになりました」
高校1年生を迎える春、四期生オーディションを知った。すぐに母に「受けたい」と話した。
「もともとお母さんも坂道シリーズが大好きで、ふたりでよく坂道の話をしていたんです。オーディションを受けたいって話をしたら、『希来里がやりたいことをやりな』って背中を押してくれました」
結果、オーディションに合格。竹内は、広島から単身上京することになる。
「当時はアイドルになるワクワクが大きすぎて。家族と離れる実感はまったく湧いていませんでした。上京当日、東京まで送ってくれたお母さんが広島に帰るとき、手紙を置いていったんです。
『お母さんとして、ずっと味方でいられてよかった』『困ったらすぐ駆けつけるから、頑張ってね』って。......やっと実感が湧いて、ひとりで号泣しましたね」
加入してから3年近くたつ今、「これまでで最も成長させてくれた出来事」として、彼女は「ひなた坂46」でのライブを挙げた。昨年導入されたグループの選抜制度で生まれた、選抜以外のメンバーで行なうライブだ。
「昨年、ひなた坂46でのライブを経験して、それまで曖昧だった『グループでやりたいこと』がわかった気がしました。ハッピーな雰囲気の日向坂46と違って、ひなた坂46はパキッとカッコよく踊る楽曲が多いんです。
私自身、普段はふわふわしているんですけど(笑)、『錆びつかない剣を持て!』のような楽曲が似合うような自分も見せられるようになりたい。
もちろん、選抜で前に行く姿をお見せするのも大事だと思うんです。でも私は、自分のやりたいことをかなえながら、『どこにいても私を見つけてくれる人』を大切にしたいって思っています」
■平尾帆夏を導いた先輩のひと言
鳥取県出身の平尾帆夏。母が自宅でピアノ教室を営んでいたこともあり、幼稚園に入った頃には彼女もピアノを始めていた。
「普段は優しい母も厳しくなるし、練習は大嫌いでした(笑)。コンクールも多かったのでいつも大変な思いをしていた覚えがあります。そんな小さい頃でしたけど、母は私を音楽の道に進ませたかったわけではなくて。『ひとつ特技を持ってくれたらいいよね』くらいの感じだったんだと思います。
おかげで音楽のことも、人前でピアノを弾くこともずっと大好き。小学校の合唱コンクールでも伴奏役をやりました」
中学では吹奏楽部に入部。トランペットを始めたことで、毎日のようにピアノを弾くことはなくなった。ただ、彼女がアイドルに興味を抱くきっかけもピアノにあった。
「テレビで乃木坂46さんが『何度目の青空か?』を披露しているのを見て、衝撃を受けたんです。生田絵梨花さんがピアノの弾き語りをされていて、『こういうアイドルのパフォーマンスもあるんだ』って驚きました。
それから坂道シリーズのファンになったんですけど、鳥取に住む私には、ライブも握手会もすごく遠い場所で。スマホやタブレットで動画を見るだけのファンでした」
その後、コロナ禍に突入し、それまでの「握手会」はオンラインでの「ミート&グリート」(個別トーク会、以下ミーグリ)に変化。平尾は自宅から初めて、ファンとして先輩メンバーと顔を合わせた。
「卒業された渡邉美穂さん(日向坂46二期生)のミーグリによく通ってたんですけど、あるとき、美穂さんが私にぽろっと『オーディション受けないの?』って言ってくださったんです。
単純ですけど、かわいい推しの方にそんなこと言われたら、受けないわけにはいかないじゃないですか。......そんな流れで、四期生オーディションに書類を出しました。
私たちが加入する前にご卒業されたので、一緒に活動させていただくことはなかったんですけど、美穂さんのような尊敬する方が先輩にいてくださるだけで、今でもすごく心強いです」
こうして、先輩メンバーのひと言で人生が一変した平尾。「加入後の転機」を尋ねてみると、四期生楽曲『ロッククライミング』でセンターを務めたことを挙げた。目の前に高い壁があっても乗り越えてみせろと、聴く者を奮い立たせる応援ソングだ。
「歌詞を聴いたファンの方々が、すごく私っぽいと言ってくださって。小さい頃からポジティブな性格ではあるんですけど、上だけを見つめるようなこの楽曲に私らしさを見つけてくれたのがうれしかったんです。
加入後も悩むことはあったけど、今では『前向きに悩もう!』と思える、よりポジティブな人になれました」
2月に行なわれた「日向坂ミュージックパレードLIVE」でも、あの頃画面を通して憧れた先輩のように、ファンの前でピアノの弾き語りを披露した。時には涙を浮かべながら特訓に励んだ。平尾帆夏は、常に壁を越えることを考えている。
■藤嶌果歩が流したアイドルを実感する涙
藤嶌(ふじしま)果歩は、今でこそ快活な印象だが、意外と家の外では「物静かな幼少期」を送っていたという。
「たぶん、おうち以外では猫をかぶっていたといいますか。幼稚園では静かに絵本を読んだり、折り紙をしたりして。でも『おうちに帰った瞬間、声のボリュームが2倍になってた』って家族に言われます(笑)」
そんな藤嶌も、小学校に上がるにつれ、徐々に家の外でも素を出すようになっていく。
「だんだんと友達もできて。小学校は『読書』と『友達と遊ぶ』の両立を頑張ってました。自分で作った『毎日、図書館で本を3冊借りて、次の日までに読む』ってルールを、友達と遊びながら守るのが大変でした」
4人きょうだいの末っ子として育った彼女。幼稚園から中学の部活で部長を務めるまで続けた書道に、「姉がやっているから」と始めたミニバスケットボール。たいていのことは兄や姉に倣って経験してきた。坂道シリーズとの出会いも、そのひとつだった。
「3人とも乃木坂46さんが好きだったので、家では生活の一部のように乃木坂46さんの動画や曲が流れてました。私は小学5年生のときに、テレビで見た欅坂46さんの特番で興味を持ったんです。
パフォーマンス以外にインタビューや舞台裏の密着もある番組だったんですけど、それを眺めながら『アイドルってかわいいだけじゃなくて、見えない場所でこんなに深く考えてるんだ』って。読書......物語好きの私にとって、すごく面白い世界に見えたんです」
中3の終わり際に行なわれた、日向坂46の四期生オーディション。「好きだから」と何げなく応募した彼女は、自身の想像以上に審査を通過していく。進んでいけばいくほど、真剣に「アイドルになりたい」と願うようになっていった。
「最終審査で北海道から東京に出てきたとき。初めて乗った東京の電車からの景色が......電車の上空を車が通るような首都高があったり、複数の線路が行き交っていたり。『君の名は。』みたい!と思う景色を見ながら、まだ合格していないのに『ここでアイドルをやるんだ』ってワクワクしていました」
しかし、実際に合格した後、彼女は「日向坂46のメンバーになったこと」をなかなか実感できなかった。
「加入して数ヵ月後の、初めてのMV撮影。全部の撮影が終わって、四期生で一列になってスタッフさんに挨拶をしたとき、拍手をいただいたんです。
ステージではなく撮影セットにいて、目の前にいるのはファンの方ではなくスタッフさんだったんですけど、『これからアイドルとして、こういう景色をたくさん見ていくんだ』って。そう思うと涙が止まらなくなりました。明確に、日向坂46になったのを実感した日でした」
ファンと心を交わし合う未来を想像し、温かい涙を流した藤嶌果歩。彼女は今、自身がセンターを務めるキラーチューン『見たことない魔物』に、深い思い入れがある。
「初披露の頃からファンの方がたくさんコールを入れて盛り上げてくださったおかげで、いろんなステージで披露させていただける曲に育ったと思うんです。私もあおりを入れるのは得意じゃなかったんですけど、今では殻を破って気合い入った言葉を叫べるようになりました。
これからも私は、この曲と一緒に成長していきたいです」
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今回、それぞれが日向坂になる前の自分自身、そして加入後の成長を語ってくれた4人の四期生。今年3月に五期生が加入し、先輩となった彼女たちに、「新しい世代に見せたい背中」を聞いてみた。
清水理央。
「私が同期を信頼して、いろんなことを相談するように、五期生ちゃんにも困ったことがあったら『清水さんに聞こう』って、話しかけられやすい存在でありたいと思います。新しい仲間と全員で、いろんな未来を見ていきたいです」
竹内希来里。
「ご卒業された、佐々木美玲さん(一期生)のような先輩になりたいです。活動していく中で、ピリッとした空気になっても、何げないひと言でハッピーな雰囲気にできるような。人間として、優しいメンバーでありたいなと思います」
平尾帆夏。
「純粋に、憧れられる先輩にならなければと思います。自分から見た先輩はいつだってキラキラしていたし、今でもずっと憧れなので。私は誰でも友達のように接してしまう人間なんですけど、その上でも、ちゃんと先輩になりたいです」
藤嶌果歩。
「私は先輩方から、本当にたくさんの愛情をもらってきました。期が違ってもずっと一緒にいてくださったり、ちょこっとでも自分の支えになるひと言をくださったり......。きっと日向坂46はそんな愛をつなげてきたグループで、私もその形を守っていきたい。一期生さんが卒業された今、そう強く思います」
頼もしくなった四期生たち。彼女たちはこれから、新しい日向坂46の形をつくっていく。
取材・文/アオキユウ(short cut) 集合写真/熊谷 貫 写真/Seed & Flower LLC