桂あやめ、落語界にとどまらない交流と師匠・一門のありがたさ 自身の活動が落語界の活性化に

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2025年06月02日 05:01  日刊スポーツ

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天満天神繁昌亭で公演を行う桂あやめ(撮影・阪口孝志)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>



落語家桂あやめ(61)が、大阪市の天満天神繁昌亭で2つの会を開く。6月6日の「あやめの会」では浪曲界初の人間国宝となった京山幸枝若を招いて、浪曲と落語を融合。6月9日「ロックの日」には、毎年月亭遊方と開いてきた「繁昌亭ロックフェスティバル」を開催し、嘉門タツオが繁昌亭初参戦する。落語以外のさまざまな分野でも才能を発揮するあやめが、多彩な人脈と師匠である5代目桂文枝について語った。


   ◇  ◇  ◇  


あやめは今年から、これまで所属してきた吉本興業を離れ、フリーで活動している。もともと、林家染雀と音曲漫才コンビ「姉様キングス」を結成したり、噺家(はなしか)の宝塚歌劇ファンクラブ「花詩歌タカラヅカ」、女芸人による「女芸人キャバーレーナイト」など、事務所の枠を超えた活動をしてきた。現在も、Netflixドラマ「極悪女王」にハマったことから、プロレスラーのスペル・デルフィンがプロデュースする2point5女子プロレスとコラボするなど、落語だけにとどまらない交流を続けており、フリーになったからといって変わったことは「別にない」。強いていえば、ギャラが早く手元に入るようになったくらいだという。


さまざまなジャンルに顔を出すのは好きでやっているだけ。「自分の興味があるお芝居とか歌とかライブとか見に行くので、関西は世間が狭いからみんなつながる。友達の友達はみんな友達みたいな感じで」


ただ、そうした経験が結果的に落語にもつながってくる。「すごく影響を受けるところもあって、映画を見ても芝居を見ても、すごい数の人が関わってる。落語家はこれ1人できるなとか思う。稽古も一人でできるし。慣れたお囃子(はやし)さんなら、急に言うても『OK』って弾いてくれる。落語がいろんなものを表現できるということを自分で身をもって実感している。でも、落語だけやってると、花詩歌タカラヅカとか姉様キングスみたいなのもやりたくなる。振り子の原理みたいに、いろいろやってるからこそ、落語ってシンプルで大きい表現ができると思える」。


こうした活動の背景には、何事も自由にやらせてくれた師匠・5代目桂文枝の影響も大きい。


入門の理由は「動物的な勘としかいいようがない」。師匠は自由な人だったという。


「古典落語一筋で受け継いで。5代目笑福亭松鶴師匠から習ったのが多くて、そのままやっている。お囃子とかも歌舞伎の鳴り物を一時期やってたくらい、ちゃんとできる人。ものすごい分かってるけど、ものすごい自由。『わしの話をそのまま引き継いで、そのままやろうと思わんでええ』と言ってました」


弟子の個性も尊重してくれる師匠だった。


「私が入った頃、小枝兄さんが白塗りで頭になすびを乗せて、大衆演劇のパロディーみたいな落語でABCの新人賞を取ったり、文福兄さんが24時間河内音頭をやってラジオ中継したりといろんなことをやってた。もちろん、三枝(現文枝)、きん枝(現小文枝)、文珍の皆さんはタレントとしても売れっ子。全部OK。『それぞれのやり方でやればええんや。個性を生かして自分だけのものをやるのがええんや』って、古典をきちんと引き継いでる人やのにずっと言ってましたね。それで、ずっと古典をやってきたのに、最後にやったのが新作の『熊野詣』。そういう人なんです」


前座で新作をかけるのがはばかられた時代でも、師匠が規制することもなかった。


「あるときに自分の作った落語をやって、そこそこウケるようになって、師匠から『この噺はおまえしかでけへんなあ』と言ってもらった。師匠にとってほめ言葉なんで、めちゃくちゃうれしかった。そう思える師匠、一門に入れたことがラッキー。17〜18歳で見極められた自分をほめてあげたい。意味がないからいいんですよ。いろいろ考えて入ったんじゃなくて、ここしかないっていう、それが大事やと思うんです。細胞が呼ぶっていうか」


先日、他界した師匠の妻にも世話になった。


「まったく前に出ない人で『家のことは私の仕事やから』って、私らにあまり家事をさせない。洗濯や掃除も全部奥さんがやってて。師匠が家で朝ご飯食べながら弟子のことをぼやくことがあると、すぐに奥さんから電話がかかってきて『お父ちゃん、怒ってるから、すぐ謝った方がええで』って気遣ってくれる。やきもち焼きで、そんなんも含めて落語的なご夫婦でね。本当の大阪弁をしゃべる人で、『奥さんやったらどう発音するかな』って勉強もさせてもらいました」


もちろん、兄弟子たちにも感謝している。


「私が入った頃に三枝、きん枝、文珍って、もうテレビで見てるスター。それが一門に入っただけで落語も聞いてくれる。『今度のコンクール、どんなんやるんや。ちょっとやってみ』ってやらせてもらったら、三枝兄さんはテレビでやってる人やから、8分やれば『最初の笑いまでに2分かかってる。1分で笑いとらなアカン』って。そういうテレビ的なタイムキープとかも教えてくれた。テレビで見てた人が自分のためだけに時間を割いて言うてくれる。もちろん、師匠も客席であこがれて見てた人。それが、次の日からその人の大事なカバンを持ってるし、一番近くで落語を聞いて、まだぬくもりのある長じゅばんをたたむ幸せとか。それはもう恵まれてますよね。落語家ってファミリーがあるのはありがたいと思いますよ」


上方落語四天王の尽力や桂文枝、笑福亭鶴瓶ら落語以外の分野でも活躍する落語家の影響もあって、二百数十人の噺家を擁するようになった上方落語協会も近年は、新規入門者が年に1人、2人にとどまる。


あやめも一員として、「私らもあこがれの存在にならんとアカンですけど、あまりに小さい。もっとあこがれられる人にならないとあきませんね。どの世界でもそうですけど、億を稼ぐ人が上にいないと広がらない。野球も大谷翔平がいるから、やりたい子も増える。上の世代の有名人がいなくなったらどうなるというのは怖いことなので」と、自身の活動が落語界の活性化にもつながってほしいと願っている。【阪口孝志】


◆桂(かつら)あやめ 本名・入谷ゆか。1964年(昭39)2月1日生まれ、兵庫県出身。82年、5代桂文枝に入門。桂花枝(はなし)の名前で初舞台。94年、師匠の前々名である「あやめ」を襲名した。

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