最速昇進の新横綱・大の里は「よく泣いていた」ビビりの相撲少年を“唯一無二”へ導いた恩師の言葉

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2025年06月03日 07:00  週刊女性PRIME

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2025年5月28日、伝達式を終えて満面の笑みを見せた大の里

 明治神宮で5月30日、堂々とした立ち振る舞いで奉納土俵入りをしたのは第75代横綱となった大の里(本名=中村泰輝)。

 2023年に初土俵を踏んでから、わずか2年、13場所で横綱への昇進を果たした。これまで最速の昇進記録を保持していた昭和の大横綱・輪島ですら、昇進までに21場所を要した。

 5月28日、茨城県阿見町にある二所ノ関部屋で行われた伝達式で大の里は、

「唯一無二の横綱を目指す」

 と口上を述べた。

 史上最速での横綱昇進という記録を打ち立て、“唯一無二”の存在となった新横綱だが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。

「テレビなどで見ると硬い表情をしている泰輝ですが、実はよく笑うんです。地元に帰ってきて食事をするときは、子どものころと変わらぬ笑顔を見せてくれるんですよ」

 そう話すのは、森山昇さん。石川県津幡町で大の里が子どものころに通っていた少年相撲教室の元監督だ。

「よく泣いていた」子ども時代

「小学生のときは心の優しい子だなというのが一番印象に残っています。学年が下の子の面倒をよく見ていましたから」(森山さん)

 教室では“心優しき兄”のような存在だったという大の里だが、相撲の実力はどうだったのか。当時コーチとして指導に携わっていた長井恒輝さんが明かす。

よく泣いていたという印象ですね。教室には、練習相手になるレベルの子がいなかったので、森山さんなど大人の私たちが稽古相手でしたから。だからこそ、つらい場面もあったはずです

 苦しい練習に耐える日々だったが、思うような結果が出ないことも多かった。

県内の大会では負けることが多かったんです。表立って泣くことはないですが、タオルで顔を隠して、歯を食いしばりながら泣いてましたよ。次は絶対に勝ってやるぞという思いを持っていたはず。だからこそ“なぜ負けたのか”と、勝つために対戦相手の研究も熱心にしていました」(前出・森山さん、以下同)

 絶対に勝ってやる─。闘争心は、誰にも負けなかった。森山さんが、よく思い出すのは、出稽古の帰り道だという。

「出稽古が終わると夜8時半ぐらいなので、帰りに食事をするんです。私が“なんでも好きなものを食べろ”と言うと、小学生なのに大人顔負けの量を食べるんですよ。ラーメンから寿司まで、もうなんでも。遅くなると次の日に差し障りが出ますから、すぐに帰ろうと思っていたのに、まったく食事を終える気配がない(笑)。私が“もう帰るぞ”と言うまで食べていました」

「試合でビビってしまう」

 貪るように食べるのも、勝利を手にしたいという思いがあったからかもしれない。

「当時の泰輝は、背は高かったのですが、身体自体は細かった。体重が増えれば試合が楽になると話してはいました。ただ、無理に食べる必要はないとも伝えていました」

 勝利のため、必死に努力を続けた。だが、ある“弱さ”が大の里にはあったという。

「試合でビビってしまうんです。相手がちょっと大きかったり、強いなと感じたりすると、試合に甘さが出て、攻め込まれて負けていました。ビビっていると表情に出るので、すぐわかる。そういうときは“大丈夫だから!”と活を入れて送り出していました」

 大の里は小学6年生のとき、貴乃花や稀勢の里など数々の強者を生み出した『わんぱく相撲全国大会』に出場する。しかし、5回戦負け。

「それでも私は、高校、大学へと進んだら、絶対にすごい選手に成長すると思っていました。大器晩成なんだと」

 もっと強くなりたい。その思いを胸に、まだ幼さが残る12歳の大の里は、他県への相撲留学を決める。その先こそ、新潟県糸魚川市にある全国で有数の強豪校・能生中学校と海洋高校だった。

「稽古は中学生と高校生が一緒に行っていましたから、泰輝とは中学時代から関わりがありました。その第一印象は、明るくて素直な子でしたね」

 海洋高校で当時、相撲部の監督だった村山智明さんは、そう振り返る。厳しい環境に身を置いた大の里は、頭角を現していく。

「中3のとき白鵬杯で優勝。高1のときはインターハイで2位になっています。高1から選手としてはトップクラスでしたね。しかし、高校時代の優勝は3年生のときの1回だけです」(村山さん、以下同)

相手を知りすぎてしまう癖

 史上最速の横綱だけに、学生時代も無類の強さを見せていたのかと思ったが、そうではなかった。

結果を出した後こそ“負けられない”という気負いから、焦った相撲をして、勝てなくなることがありました。勝ちを意識しすぎて、本来の力を出せなくなるんです。また、相手を過大に評価する部分もありました。泰輝は本当に相撲が好きな子で、プロ・アマ問わず、その知識量はすごかった。高校では、誰が何の大会に出て、勝敗はどうだったかなど、すべて頭に入っていたんです。ただ、相手を知りすぎているからこそ、大事なところで負けてしまうことがありました。考えすぎてしまうんです

 敵を知り、己を知れば百戦危うからずと『孫子』に書かれているが、敵を知ることで自らを過小評価してしまっていたのだ。

 大学時代も、1年生のときに6回もの優勝を果たすが、2年生のときは1度も優勝できず苦しんだ。

 その後、アマチュア13冠という実績を残し、角界入り。

 2023年、デビュー初戦こそ黒星をつけたが、その後は6連勝。かつてあった“弱さ”は、すでに過去のものだと思われた。しかし─。

 2023年の7月場所、大の里は瀬戸際にいた。新十両への昇進を目指していたが、成績は3勝3敗。次の取組で負ければ昇進は遠のいてしまう。

地元・石川県の被災者に勇気を

「3敗した取組の相手は、泰輝よりも身体の小さな相手だったんです。いつもの彼なら、勝てるはずだと思っていました。そんなとき泰輝から電話があったんです。そこで私は“自分の相撲に自信を持て!”と伝えました」

 恩師の言葉を胸に、大の里はぶつかった。得意とする前に出る相撲で、対戦相手を寄り切りで下す。

 弱さを克服し、唯一無二の力士へと飛翔していく。

 2024年9月には大関昇進を決め、1年足らずで横綱だ。初土俵から殊勲賞2回、技能賞3回、敢闘賞3回を受賞したほか、優勝は4回も経験。

 前出の森山さんは、

「昨年、大関昇進を果たした後に会った泰輝は“いずれ頂点に立ちたい”と話しており、いい流れにあると感じていました。それが今や横綱ですからね。私は今、昨年に地震のあった能登で復興の仕事をしているのですが、泰輝が活躍するたびに、街中で“大の里”という言葉を耳にするようになりました。泰輝が活躍することで、被災した人たちもすごく勇気づけられて、その瞬間だけでもみんな笑顔になるんです。ケガに気をつけて、いつか令和の大横綱と呼ばれる存在になってほしい

 2024年1月に発生した能登半島地震で、大の里の地元・石川県は甚大な被害を受けた。復興は、まだ道半ばだ。

 これからも被災地の光となる新横綱の活躍に期待!

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  • 大の里は、ゆで先生の呑み仲間ですね
    • イイネ!3
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