當真あみ&中島セナW主演『終点のあの子』2026年公開 柚木麻子のデビュー作を映画化

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2025年06月03日 20:10  クランクイン!

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映画『終点のあの子』ポスタービジュアル (C)2025「終点のあの子」製作委員会
 小説家・柚木麻子のデビュー作『終点のあの子』(文春文庫)が、當真あみと中島セナのダブル主演で映画化され、6月13日より開催される第27回上海国際映画祭のGALA部門でワールドプレミア上映されるほか、2026年公開となることが決まった。併せて、海外ビジュアルと場面写真も解禁された。

【写真】當真あみ&中島セナ主演で実写映画化『終点のあの子』フォトギャラリー

 『終点のあの子』は、2008年に第88回オール讀物新人賞を受賞した短編『フォーゲットミー、ノットブルー』を第一話においた全4編からなる連作集で、世田谷区小田急線沿線にある私立女子高校に進学したばかりの少女たちが登場する。第一話は、中学校から上がってきた内部生の希代子(きよこ)と外部生の朱里(あかり)が主人公。第二話は、朱里に親友の希代子を取られた奈津子(なつこ)を主軸にした物語。第三話は3人のクラスメートでもあり、リーダー格の華やかな美人、恭子(きょうこ)に焦点をあて、第四話はそんな彼女らの7年後の話となる。映画では、第一話『フォーゲットミー、ノットブルー』に注力している。

 入学式の日。中学からの内部進学者の希代子は、高校から入学した奥沢朱里に声をかけられた。海外暮らしが長い彼女の父は有名なカメラマンだった。希代子は風変わりな朱里が気になって仕方がないが、一緒にお昼を食べる仲になった矢先、ある変化が訪れるー。

 主人公、希代子と朱里を演じるのは、當真あみと中島セナ。當真は「自分も何者かになりたい」という気持ちを抱き、今とは違う場所に身を置きたいと思っている希代子をまっすぐな存在感で体現している。一方、希代子が引かれる朱里にふんした中島は、自由奔放で他のクラスメートとは異なる、知的で大人びた風格と孤高さをまとった朱里とまさに同化したような実在感を作品に刻んでいる。

 そして、希代子と朱里の同級生、奈津子と恭子にふんするのは、平澤宏々路、南琴奈。

 監督を務めたのは、『好きでもないくせに』(2016)や『愛の病』(2018)などで知られ、2021年にはロッテルダム国際映画際に招待された『Sexual Drive』など、これまで女性を主体的に描いてきた吉田浩太。

 本作は、女性を多角的に描き続けている柚木麻子の小説を原作に、今後の日本映画を担う次世代の役者陣を起用し、文学作品初挑戦にして吉田監督の新境地となる作品。これまでの“青春映画”とは一線を画す作風が評価され、6月13日より中国・上海で開催される第27回上海国際映画祭のGALA部門でのワールドプレミア上映が決定した。

 當真あみは「この作品は、見てくださる方が、登場人物誰かに必ず共感出来るような作品だと思います。今学生の方も大人になった皆さんにも見ていただけると嬉しいです」、中島セナは「映画では、高校生の自尊心の行方がそれぞれ描かれていると思います。そして私は、朱里に通ずる傲慢さのようなものを持っている1人だと改めて自覚させられました」とコメントしている。

 映画『終点のあの子』は、2026年公開。

※監督とキャストのコメント全文は以下の通り。

<コメント>

■吉田浩太監督
今から10年以上前に柚木麻子先生の小説「終点のあの子」を読みました。自分は男性かつ既に思春期は過ぎてしまいましたが、女子高校生である登場人物たちの行動や気持ちに痛いほど共感したことを覚えています。小説で描かれる若者特有の感情はとても普遍的であり、その普遍さによって自分の心は強く動かされ、すぐに映画にしてみたい衝動に駆られました。原作として向き合い続けた故、映画化へのプロセスはとても長いものになりましたが、當真あみさん、中島セナさんという今の時代を象徴とする若く素晴らしい感受性に満ちた二人に主役を演じてもらえたことで、この小説が持つ瑞々しい普遍的な「終点のあの子」の世界を映像化することが出来たと思っております。
映画「終点のあの子」は、初めて小説を読んでから10年以上経て念願叶って映画にすることが出来た、自分にとって奇跡のような映画です。この度、上海国際映画祭でワールドプレミア上映が出来ることを大変光栄に思っております。

■當真あみ(希代子役)
最初に原作を読んだ時、どの子の立場でも気持ちや行動に共感出来るなと感じました。些細なことで一喜一憂し、傷ついたり、誰かに憧れ、妬ましく思ったり、新しい出会いと価値観に触れ変わっていく姿に、共感出来る部分が沢山ありました。
私が演じた希代子は、常に周りに合わせながら生きていて、友達といる時も、母といる時も自分の意見を言わない女の子でした。監督からはできるだけ自然体で、普段の當真さんでいて欲しいとお話を受け、できるだけ感じたままにお芝居できるよう意識しました。
今回、上海国際映画祭に参加させていただける事になりました。私自身、映画祭への参加は初めてで、この作品で参加出来ることへの喜びでいっぱいです。
この作品は、見てくださる方が、登場人物誰かに必ず共感出来るような作品だと思います。今学生の方も大人になった皆さんにも見ていただけると嬉しいです。

■中島セナ(朱里役)
撮影からもう1年が経っていることに驚きます。
現場で同級生役の皆が撮影の合間にも楽しそうに踊ったり笑い合っている姿は、本当に学校にいると錯覚してしまうほどでした。
映画では、高校生の自尊心の行方がそれぞれ描かれていると思います。そして私は、朱里に通ずる傲慢さのようなものを持っている1人だと改めて自覚させられました。
彼女たちが友達の中に映し、狂ったように確かめ合っていたのは、脆い自分自身を見るためだったのかと思うのです。

■平澤宏々路(奈津子役)
『終点のあの子』はそれぞれのキャラクターがもつ憧れとコンプレックスが入り交じって、思春期ならではの儚さと脆さと怖さがある作品だと思いました。初めて台本を読んだ時は作品のもつ空気感に惹き込まれて、読み終わってからも何日間か余韻が抜けませんでした。
自分と同じ女子高校生たちの話ということもあり、撮影中に言葉がつまる時や休憩中に涙が出てくる時があるほどシーンの状況に強く共感したり、セリフが深く突き刺さったりしました。
私が演じた奈津子は、ある意味すごく共感できるキャラクターになっているのかなと思います。
学校という小さいのにとても広い世界の中で、自分が存在する意味や自分の立ち位置について悩み、必死にもがく女子高生達の姿を是非劇場で観ていただけたら嬉しいです。

■南琴奈(恭子役)
原作を読ませていただいて、恭子の不器用で人間味のあるキャラクターが可愛らしくて、切なくて、私は大好きだったので演じることができてとても嬉しかったです。
見た目だけでは分からない心の内や葛藤が彼女には沢山あって、自分とは違うようでいてどこか重なる部分も感じながら演じさせていただきました。
撮影中は、私自身も高校生だったこともあり、恭子たちの空気をリアルに感じながら、同年代のキャストのみなさんと実際の学校のように楽しく撮影が出来たので、その空気感やリアリティが映像にも映し出されているのではないかなと思います。
純粋であるがゆえに、少し残酷で、それでいて美しい彼女達の世界を沢山の方に観ていただきたいなと思います。

■前信介(企画・プロデューサー)
当時、多くの企画を模索している中で、吉田監督から突然のDMが届き「終点のあの子」を読んだのは2016年の暮れでした。読み手の価値観やこれまでの環境・経験によっても受け取り方が七変化するであろうということに魅力を感じ、企画開発をスタートしました。企画成立までは紆余曲折が何度もあり、更にコロナ禍の影響で頓挫しかけました。しかし世の中が様変わりし変化した中でも、この作品は普遍的で強度があると確信することになったのです。
一方で「希代子役が見つからない限りは撮らない」と決めていました。朱里役は中島セナさんのイメージが強くあったのですが、希代子役は難航していました。この先10年待っても現れないのでは?と諦めかけた時に現れたのが當真あみさんという逸材でした。何とも形容し難い「特別な存在」でした。企画は大きく前進することになりました。
この主演お二人に加え、オーディションで勝ち取った奈津子役・平澤宏々路さんは劇中でも異彩を放っています。恭子役はお会いしてその場で異例の即決(満場一致)となった南琴奈さん。
開発から約9年を経ての公開となり、精魂込めて作品を送り出します。
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