
古都・京都を舞台に、老舗扇子店の長男と結婚し、東京から引っ越してきたフリーライターの澁澤まどかが引き起こす大騒動を描いたシニカルコメディー『ぶぶ漬けどうどす』が6月6日から全国公開される。本作で京都を愛するあまり暴走してしまう主人公のまどかを演じた深川麻衣に話を聞いた。
−オファーがあった時の気持ちから聞かせてください。
まず企画書を最初に頂いて、京都を舞台にした作品は今までもいろいろあった中で、このタイトルにもある本音と建前という切り口から入っていくお話は、ある意味挑戦的でもあるし、すごくユニークだと思いました。あとは、冨永昌敬監督と脚本のアサダアツシさんのタッグにもすごく興味があって、ぜひご一緒してみたいという気持ちでした。
−最初に脚本を読んだ印象はいかがでしたか。
脚本を読んだ時にすごく奇想天外な感触がありました。単純にザ・コメディーということではなくて、ラストシーンに向けてのまどかの狂気のような、ちょっとシュールな感じとか、クスッとなるような笑いがちりばめられていました。そんな文章を読んで感じた面白さや感覚を、映像にする時にどうしたら形にできるかということを考えました。
−演じてみて印象が変わったことはありましたか。
とにかく監督の演出が刺激的でした。完成した映画を見ても、冨永監督だからこそ撮れた作品だと感じました。音楽も個性的でとてもすてきでした。ラストシーンは撮影していく中でももともとの台本に書かれていたものとは違う終わり方になったのですが、他にもその場の演出で変わっていったシーンもたくさんありました。監督が、ちゃんとその場でお芝居を見て、環境や置いてあるものを見ながら、どんどん演出を付け足していってくださるので、脚本を読んだ時よりも、撮影に入ってからの方が、どんどんシーンが豊かになっていく感覚はありました。
−前作の『嗤う蟲』は都会から村に移住する役。今回は東京から京都に移る役。そういう役が続くのはどんな感じなんですか。
共通しているのは、同じ日本の中でも都心と田舎とではコミュニケーションの仕方や文化の違いがあることです。京都に関しては、この「ぶぶ漬けどうどす」という言い方も、果たして本当に使っている人がいるのかは分かりませんが、そういう部分も含めて「京都の人ってこうなんでしょう」とか、「京都ってこうなんだよね」というような、外の人から見た京都に対する偏見みたいなものがあると思います。それをまどかは純粋に聞いてしまう。だから、そういう意味では京都に対する偏見をほどくことができるような内容になってると思います。
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−実際に京都でロケをした印象は?
やっぱり京都は歴史が圧倒的に古くて、昔からの文化が脈々と受け継がれている。それに京都に限らず、日本人って言葉をオブラートに包んで、直接的には言わないところがあるので。京都は歴史が深いからこそ、そうしたものがイメージとして色濃く残っているのかなと思いました。
−義理のお母さん役の室井滋さんをはじめ、共演者の印象を。
皆さんがすごく個性的でした。若葉(竜也)くんと片岡(礼子)さんとは3回目でしたが、他の皆さんとは今回が初めましてでした。室井さんはユニークで楽しいお話をいっぱいしてくださったので聞いていてとても楽しかったです。11月に撮影したので、すごく寒かったんですが、撮影が早く終わった日や合間に皆で温かいものを食べに行ったりして楽しい時間を過ごしました。ラストシーンの室井さんが大好きです。一番最後に本音を叫ぶところの室井さんがとてもチャーミングで、コメディエンヌぶりに感動しました。
−コメディーは好きですか。
コメディー作品は好きなんですけど、演じるのはコメディーが一番難しいです。自分が面白いと思っても、それを狙ってやるとよくなかったりもします。あくまでも本人たちが一生懸命やっていることが逆におかしいし、滑稽に見えると思います。今回は王道なコメディーではなく、ちょっとひねっていますが、まどかとしては、真剣に京都への愛を貫き通そうとする姿が逆に狂気的だったり、面白く見えたらといいなと思って撮影していました。
−まどかのキャラクターをどう捉えましたか。
撮影に入るまではすごく苦戦しました。後半にかけて、まどかが畳みかけるような行動を起こす原動力がどこから湧いてくるのかについて、自分の中で「これだ」という答えが見つからなくて、ずっと考え続けていました。でも、撮影に入ってから、冨永監督とそれぞれの頭の中にあるまどか像をすり合わせていった結果生まれた、台本にはない行動や言動がどんどん付け足されて膨らんでいきました。それで自然と、まどかだったらここでこういうことをするかもということが出てくるようになりました。
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−まどかの行動には共感できましたか。
演じた分、一番の理解者でありたいという気持ちはあるんですけど、一歩引いて見ると「何でそれ言っちゃうの」とか、「何で取材内緒にしちゃうの」とか、ハラハラするところはたくさんありました。
−冨永監督の演出で印象深かったことはありましたか。
撮影に入る前に読み合わせで、最初は若葉くんが演じた中村先生も普通のしゃべり方をしていたんですけど、読み合わせが一通り終わった後で監督から「語尾を全部伸ばすようにしてみましょうか」というアイデアが出て、それからしゃべり方も癖があるキャラクターになっていきました。監督が、その場で、若葉くんの表情や感じを見て、こうした方がもっと面白いんじゃないかと直感で思いついたと後から聞きました。ラストシーンで、まどかが塀に付いている小さな鳥居を外して持って帰ってしまうのも台本にはありませんでした。あれも撮影していたその場で「その鳥居持って帰りましょう」ということになって。順撮りだったので、それが最後のシーンにつながりました。だから、毎日「今日はどんな演出が飛び出してくるんだろう。それに追いつきたい」と思って、自分の頭の中でいろいろと想像してから現場に行ったんですけど、自分の引き出しにはない、斜め上からの発想とかアイデアがどんどん監督から飛び出すので、それがすごく刺激的でしたし、ライブ感がありました。
−完成作を見た感想を。
終わり方もちょっとお客さまを突き放すような終わり方で、この後どうなっていくのだろうというような、ちょっと言葉にできない、もやっとした不安感が残るような結末になっています。私は個人的にはこういう分かりやすくない終わり方がすごく好きなので、見てくださった方が「あれは何だったんだろう」と思い返したり、クスッと面白がってくれたらうれしいです。偏見を描いているわけではなくて、偏見だったということに気付く映画になっているし、らしさを無意識に押し付けてしまう危うさも描いていると思うので、皆さんにとって今までにない目線で京都を楽しんでもらえる映画になったらうれしいです。
−最後に、読者に向けて一言お願いします。
「ぶぶ漬けどうどす」という言葉は本当に京都で使われているのか、洛中洛外のわだかまりはあるのかとか、いまさら聞けない疑問を、この映画の中でまどかが突っ込んで聞いているので、それを楽しんでいただけたらうれしいですし、京都や日本のコミュニケーションの個性を、日本国内はもちろん、海外の方にももっと知っていただけるきっかけになったらいいと思います。
(取材・文・写真/田中雄二)
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