長嶋一茂 (C)ORICON NewS inc. タレントの長嶋一茂(59)が、6日放送のテレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』(前8:00)に生出演。父・長嶋茂雄さん(享年89)が、3日に亡くなって以降、初の生出演となった。15分ほどにわたって、父への思いを口にする中、30年前の“後悔”を明かした。
【写真】3月には…大谷翔平と談笑していた長嶋茂雄さん 羽鳥慎一アナから「偉大な野球選手として?」と、父への印象を向けられた一茂は「小学校の時っていうのは、ほぼみんな野球をやっていたっていう時代だったんで。僕は中学、野球やらなかったですけども、高校と大学でやって、プロに行くんですけど。本当に面白くて始めた野球が、だんだん真剣にやらなきゃいけない野球に変わっていった。あとは、父親の存在っていうのはやっぱり偉大すぎたので。近くにいた父親が、野球をやる度にどんどん離れていったような感覚になりました」と率直な思いを吐露。
続けて「周りの人たちは『君のお父さんはね』って、だいたいここから始まるから、オレに声をかけるときは。それがずっと続くと、なんだろうなみたいなところもね。もちろん若い時はあったんだけど。やっぱり父親の偉大さっていうのは、野球をやっていたから、野球をやっている時の父と、家庭持ってる時の父親っていう、両方見させてもらった」と回顧。
羽鳥アナが「(一茂の現役時代)最終的にお父さんに『終了』って言われるわけじゃないですか…」と向けると、一茂は「父親に言わせてしまってはいけなかった言葉だなって、やっぱり思います。約30年前の話だけどね。父親が2回目に、ジャイアンツの監督を引き受けた時、ちょうど松井選手が入団して、私もヤクルトからちょうどトレードした年で、もうなんとか父親のことを胴上げして、自分のその胴上げの輪の中に入りたいってずっと思ってたんだけど。なかなかその輪の中に入るっていうのは、やっぱりしのぎを削っている人たち、他にもたくさんいて、プロの世界厳しいので、なかなかそういうな中に入ることもできなかったし、胴上げの時も父親にも触れなかったんだけど。少し距離はあったんだろうけども、最後、引退の宣告をやっぱりさせちゃいけなかったなと、30年前。悔やまれることで、今悔やんでもしょうがない」と話していった。
野球の原体験にも触れ「三角ベースとかから始まって、野球に行くんだけど、野球ってやっぱり楽しいなって、面白いなっていうのがあって。その野球の話を、本当にちょっとの間だったけど、父親とできるのはすごく楽しくて。キャッチボールしたりしてくれる時もあって。(自分が)小学校の時は本当に忙しかったと思うけども、真っ暗になるまで、ずっとキャッチボールやったり。一言もしゃべんなかったけどね、キャッチボールだけ、ほんとに父親と1時間でも2時間でも、ずっとできたっていう。本当に野球を通じて、野球の基礎、原点、基本はキャッチボールだけども、そこを通して父親と会話できたっていうのが、私の中での本当最大の思い出で、僕の胸にずっとしまっておこうかなと思う」とかみしめるように語った。
長嶋さんは、千葉県出身。1958年に読売ジャイアンツに入団。通算成績は、安打2471・本塁打444・打点1522・打率.305。1974年に現役引退試合を行い、「我が巨人軍は永久に不滅です」という球史に残る名言を残した。翌年より読売ジャイアンツの監督に就任し、チームを2度日本一に導く。“ミスター”の愛称で親しまれ、ジャイアンツファンだけでなく多くのファンから親しまれた。2001年に同チームの終身名誉監督となった。