大富豪は“人間狩り”をしても許される――『我来たり、我見たり、我勝利せり』監督インタビュー 「彼らは本当に逃げ切れてしまうんです」[ホラー通信]

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2025年06月07日 22:11  ガジェット通信

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『我来たり、我見たり、我勝利せり』監督インタビュー

「この映画のリサーチのためにウィーンの大富豪の女性が協力してくれました。彼女は脚本を読んで、“風刺になっていないけどいいの?”と言っていました」

“人間狩り”を趣味とする億万長者と、それを誰も止めることなく裁こうともしない社会をブラック・ユーモアたっぷりに描き、資本主義社会の現状を皮肉る『我来たり、我見たり、我勝利せり』(現在公開中)。この映画で描かれる社会は、本作の主人公の立場に近い大富豪から見れば、恐ろしいことにあまりにも現実そのままであるらしい。

本作が日本初公開作品となったオーストリアの監督デュオ、ダニエル・ヘールスユリア・ニーマン。冒頭のエピソードを話してくれたダニエルは、「私たちの作品はすべて、“お金にかかる代償”にまつわるものです」と説明する。本作のインスピレーションとなったのは、10年以上前、偽の投資銀行家を描く『WINWIN』という作品を準備している際に見た強烈な光景だった。

ユリア・ニーマン「モンドリアン柄のプライベートジェットを撮影させてくれるというすごく裕福な人がいたんです。彼の別荘に足を踏み入れると、頭にティアラをのせた小さな2人の女の子を乳母が追いかけていて、その後ろをライフルを持った執事が横切りました。そのライフルをどうするのか尋ねると、『明日プライベートジェットでナミビアに狩りに行くための準備ですよ』と言うんです。その光景を見たとき、この裕福な家の人は、きっと何をしても許されてしまうんだろうと思いました」

ダニエル・ヘールス「エリオ・ペトリ監督が手掛けたジャッロ映画の『殺人捜査』(1970)も大きなインスピレーションになっています。地元の警察署長が愛人の女性を殺してしまうんですが、彼は警察の人間なので、自分で自分を捜査するような形になる。そして地位と権力を使って組織的に隠蔽することに成功するんです」

本作の主人公は、起業家として成功し、億万長者になったアモン・マイナート。愛する家族と何不自由ない豪邸暮らしをしているが、あどけない笑顔の奥に言い知れぬ闇を秘めている。二人は、“お金”に関する作品を手掛ける中で実際に会った人物や、リサーチによって知り得た人物など多くのイメージを重ね、このキャラクターを作ったという。

ダニエル「ダボス会議の開催地に関するドキュメンタリーを作ったときに、そこでドナルド・トランプや習近平など多くのグローバルリーダーに会いました。政治家よりもビジネスリーダーたちと接した経験が大きなヒントになったかもしれません」

ユリア「一番参考にしたのは、バーガーキングやフランスの新聞社を所有している億万長者のニコラス・バーグルエンです。とてもハンサムで誰からも愛される人なんです。アモンのキャラクターには彼の経歴が多分に反映されています」

ダニエルは「ジャンル映画の要素を盛り込んで風刺劇を作るのはとても楽しかった」と振り返る。しかし、本作の“人間狩り”の描写からは、ホラーやスリラーのような演出を意図的に排したという。穏やかな庶民の日常に突如銃声が鳴り響き、誰かが凶弾に倒れる……ロングショットで極めて淡々と描かれるそれは、まるで普段の生活のなかで突然銃撃現場を目撃してしまったかのようなショックを与える。現実の緊迫感を強調するためだったと2人は言う。

ユリア「風刺ではあるけれど、できるだけリアルに描こうとしました。特に朝のジョギングのシーン、多様な人たちが道を走っている中で“人間狩り”が行われるのは、“撃たれるのはあなただったかもしれないよ”というメッセージが込められています。

億万長者が会社を縮小したり閉鎖したりすると、何百万人、何千万人もの人が職を失います。億万長者は彼らに会うこともなく、それが彼らの家族にとって何を意味するのかさえ理解することもありません。職を失った人は、二度と仕事が見つからずさらに貧困にあえぎ、人生の道が閉ざされてしまうこともある。そうやってお金持ちは、匿名で遠くから――ナイフで刺すような直接的なやり方でなしに、彼らの存在、つまり生計を奪っていくのです。そうした行為は核爆弾のスイッチを押すことによく似ています。彼らは爆発の現場を見ることはありません。自分の行為の結果から完全に切り離されているのです

映画の冒頭に示される、アイン・ランドの小説『水源』からの引用「誰が私を止めるのか、それが問題だ」は、本作の大きなテーマだ。

ダニエル「ドナルド・トランプが以前『僕が五番街で誰かを撃ち殺してもみんな僕に投票するよ』なんてことを言っていましたよね。彼らのような人たちは実際に逃げ切れてしまうんです。そういった社会のあり様を問いたいんです」

ユリア「アモンというキャラクターは現代の英雄であり、政治的に重要すぎるがために超越した存在になっています。そんな彼を“殺人犯”として扱うことは誰にもできないんです。“誰が私を止めるのか”という問いは、まさにアモンの心の叫びでもある。彼はこの権力がずっと続いていくような状況を止めてほしいんです。誰か僕に歯向かう者はいないのかと思っているけれども、彼の人生は彼の周囲によって、彼が生きやすいように常に整備されてしまう」

映画のタイトルは、日本では「来た、見た、勝った」の訳でよく知られるカエサルの言葉「Veni Vidi Vici」だ。これには一体どんな意味を込めたのだろうか。

ダニエル「僕のアイデアなんだけれど、“彼ら億万長者は常に勝者である”ということを端的に表しているのです。それに、マルボロの箱にもこの言葉が書いてあることに気付きました。億万長者というのはネタ的に庶民を楽しませてくれる存在でもあります。タバコも気分を良くしてくれるものだけど、吸いすぎると肺がんになってしまう。それでも人々はたばこを吸ってしまいます。億万長者というのはそういう存在なのかもしれません」

『我来たり、我見たり、我勝利せり』公開中

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