【柔道】ウルフ・アロン、指導者への転身は否定「メディア活動や教室…」柔道への恩返し突き進む

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2025年06月11日 05:01  日刊スポーツ

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引退会見に臨むウルフ・アロン(撮影・菅敏)

柔道男子100キロ級の東京五輪金メダリスト、ウルフ・アロン(29=パーク24)が10日、都内で引退会見を開いた。8日に現役最終戦の全日本実業団体対抗大会で準優勝し「柔道は人生そのもの」と満足。五輪、世界選手権、全日本選手権の全てを制す“3冠”を達成した現役生活を笑顔で振り返った。今後の具体的な展望こそ「後日」と明言しなかったが、指導者への転身は否定。競技の普及活動を継続する意向を示した。


   ◇   ◇   ◇   


会見開始から2分、ウルフが、手元に視線を落とした。引退の経緯をスラスラ話していたが、突然、約10秒、間が空いた。「失礼します」。あいさつを思い出せず、机に置いた“カンペ”をめくり、笑わせた。真剣な表情に戻り「小学校入学から柔道を始めて23年…」と感謝の言葉を続けた。


競技に誠実に向き合ってきた。引退を決めたのは昨年。2月にグランドスラム(GS)パリで優勝。パリ五輪代表に内定すると同時に「結果を残すには、パリを終わりとしなければ頑張れない」と決心した。夏まで全力。結果は7位も「精いっぱいの準備はした。後悔はない」と燃え尽きた。


2日前には、現役最終戦に臨んだ。団体戦で個人としては3戦全勝、チームは準Vだった。最後まで全力で戦い抜き「柔道人生は全うされた。悔いは全くない」。納得の引き際だった。


思い出に残る試合は、もちろん21年東京五輪。「優勝するためだけに柔道を続けてきた。あの決勝戦は忘れることはない」。趙グハム(韓国)に延長の末、代名詞の大内刈りで一本勝ちした。同階級では00年シドニー五輪の井上康生氏以来となる21年ぶりの金メダルを奪還した。17年世界選手権、19年全日本選手権と合わせた「3冠」も遂げた。


畳を下りても本気だ。現役時代から「自分自身を見せることも、見られることも好き」とメディアに多く露出してきた。異例の露出には、批判の声も寄せられた。それでも「人間としての幅を広げることができた」とプラスに捉えて、競技に向かう燃料としてきた。


今後の目標は「ある程度は定まっている」としたが「後日、改めて」と明言せず。指導者への転身は否定した。「自分自分が表に立ちたい気持ちが強い」思いは変わらず「メディア活動や柔道教室をやっていきたい」。ひたむきに、柔道へ恩返しする。【飯岡大暉】


◆ウルフ・アロン 1996年(平8)2月25日、東京都生まれ。6歳から春日柔道クラブで柔道を始める。千葉・東海大浦安高時代は選手権、金鷲旗、全国総体などで優勝。東海大時代に15、16年の講道館杯を連覇。17年に全日本選抜体重別で2連覇し、世界選手権も優勝。19年に体重無差別の全日本選手権で優勝。東京五輪で優勝した21年に紫綬褒章受章。24年パリ五輪は7位。軽妙なトーク力を生かして初の五輪後から多くのバラエティー番組に出演し、普及に尽力。組手は左組み。得意技は大内刈り。181センチ。血液型A。

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