1995年の全日本GT選手権第5戦スポーツランドSUGOを戦ったZEXEL ワイズ スカイライン。都平健二と河合博之がドライブした。 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1995年の全日本GT選手権GT1クラスを戦った『ZEXEL ワイズ スカイライン』です。
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1995年から1998年にかけて、スーパーGTの前身シリーズである全日本GT選手権(JGTC)を戦ったBCNR33型のニッサン・スカイラインGT-R。一部のマシンは1999年にも参戦したという例もあったが、おおよそ4シーズンに渡ってJGTCのGT1/GT500クラスを戦うニッサン系チームの主力車種となったR33 GT-Rは、苦しんだシーズンもありながら、1995年と1998年に2度のシリーズタイトルを獲得するという輝かしい成績を残していた。
そんなJGTCに参戦していたR33 GT-Rは、4WDであった市販車とは異なり、ニスモの手によって軽量化やハンドリングバランスの向上などを狙って、後輪駆動(FR)に改造された車両ばかりだった。
しかし、4WDのままJGTCに挑んだ例も見られた。そのうちの一台が今回紹介する『ZEXEL ワイズ スカイライン』である。
ZEXEL ワイズ スカイラインは、前述の通り、4輪駆動だったことも大きな特徴だったのだが、それとは別にもうひとつ注目すべきポイントのあるマシンだった。それはエンジンだった。
1995年当時、JGTC仕様をベースにニスモが開発・製作したR33 GT-Rが、ル・マン24時間レースのLM-GT1というGTカーの最高峰クラスに挑んでいた。そして、同時期に日産工機は、排気量を2568ccから2771ccに拡大したLM-GT2スペックのエンジンを開発。ZEXEL ワイズのR33 GT-Rは、ル・マンを睨んで造られたこのエンジンを搭載していたのだ。
そんなLM-GT2仕様のエンジンが組み込まれたZEXEL ワイズのR33 GT-Rは、1960年代より日産ワークスドライバーとして名を馳せた“ハコの名手”都平健二と、河合博之という2名のドライバーに託され、1995年のJGTC第4戦富士スピードウェイラウンドよりデビューを果たした。
この第4戦を皮切りに最終戦のMINEサーキットラウンドまで3戦を戦ったZEXEL ワイズ。4WDを活かして、ウエットコンディションでは速さを発揮したものの、規定によって2輪駆動車より細いリム幅のホイールしか使えなかったことも災いして、そのポテンシャルをフルに活かすことはできなかった。そのようなこともあり、最上位は最終戦での5位という結果に終わってしまう。
ZEXEL ワイズ スカイラインは、結果的には目立った成績を残すことはできなかったものの、日本国内に留まらず世界屈指の耐久レースを睨んだエンジンの開発を託されていた注目すべき1台だったのである。
[オートスポーツweb 2025年06月11日]