※画像はイメージです 現地で働きながら語学を学ぶことができるワーキングホリデー制度。80年のオーストラリアを皮切りに、現在は世界30か国・地域(※26年5月時点)との間で導入されている。
そのワーキングホリデーに必要なビザは年齢制限があり、条件は申請時点で18〜30歳(※一部の国は上限が25歳)であること。興味を持つ若者は多いが、就職や社会人としてのキャリアを考えて断念する者も少なくない。一方、夢を捨てきれずにせっかく就職しても退職を決断する者もいるようだ。
◆卒業旅行がワーホリに行きたい気持ちを加熱させた?
住田孝則さん(仮名・28歳)は関西圏の私大を卒業後、大手流通メーカーのグループ企業に入社。しかし、ゴールデンウィーク明けに辞表を提出し、会社を辞めてしまう。ワーキングホリデーに行きたいという気持ちを抑えられなくなったからだ。
「もともと海外で働きたくて商社や専門商社など海外進出をしている企業を中心に就活を行っていました。でも、何社かは最終選考まで残っても結果は不採用。それで選り好みできる状況ではなくなり、とりあえず内定が出たのは新卒採用で入った会社でした。
そんな調子だからモチベーションは低く、就職後も表面上は取り繕っていましたが内心では辞めたくて仕方なかった。最終的に職場には迷惑をかける形になってしまいましたが、自分の気持ちに嘘がつけなかったんです」
この決断に大きな影響を与えていたのが大学の卒業旅行で訪れたインド。バックパッカースタイルの1人旅で、行く先々のゲストハウスで旅仲間と交流を重ねる中、「やっぱり海外に出たい」という想いを募らせていったとか。
「卒業旅行で満足するはずが逆効果になってしまいました(苦笑)。数年働いてから退職することも考えましたが簡単に辞められなくなる可能性もあったし、だったらスパっと今辞めようと。
上司には『その判断を下すには早すぎるのでは?』と言われましたが熱心に説得されるわけでもなく、スムーズに辞めることができたと思います」
◆オーストラリアでワーホリ生活を始めるもコロナの流行で途中帰国
退職後は飲食店など複数のアルバイトを掛け持ちして費用を貯め、翌年の秋にオーストラリアへ。ところが、まったく予期していなかった事態が起きてしまう。新型コロナの世界的な大流行だ。結局、4か月もしないうちに帰国を余儀なくされてしまったのだ。
「短期間で収束する気配はないし、コロナが長期化する中、諦めの気持ちが大きくなっていきました。一応、自分なりにライフプランを描いていたのですが、それが完全に狂ってしまったので……」
帰国後は就職しようにもコロナ禍で求人をストップしている企業が多く、バイトも地元の求人は激減して八方塞がりの状況。友人のツテでなんとか彼の親族が経営する農園で働かせてもらったが時給は安く、節約してもあまり貯金ができなかったそうだ。
「それでも再就職する前の23〜24年の年末年始を挟んだ約2か月、これが最後と決めて東南アジアとインド・ネパールを旅しました。
けど、本当はワーホリ中に賃金の高いオーストラリアでがっつり稼ぎ、もっと長い旅をする予定でした。だから、不完全燃焼というか今でもモヤモヤした部分はあります」
◆入社後すぐ辞めたことに今となっては後悔しかない
ただし、これ以上再就職の時期を先延ばしにするわけにもいかず、求職活動を行うも苦戦が続く。面接では新卒採用の会社を短期間で辞めた理由を必ずといっていいほど聞かれたからだ。その部分が選考する企業側にとってネックになっていたのは間違いないだろう。
「15社ほど応募して、ようやく採用されたのは大手チェーンではない地元のビジネスホテル。給料は手取りでギリギリ20万円。正直、前の会社の初任給より少ないです。今さらながら完全に選択を誤ってしまいました。
自分のやりたいことを優先した結果のため、言い訳はできませんが人生をやり直せるなら今度は新卒採用された会社を辞めなかったでしょうね」
コロナという不可抗力的な要素でワーキングホリデーの期間が短縮し、その後の長旅もできなかったのは不運としか言いようがない。
中途半端のものになってしまったことで後悔の念が膨らんでいるようだが、それ以前にどんな理由であっても新卒採用された会社を1か月半で辞めてしまうのは得策ではない。
どの企業の採用担当者も気にするのは当たり前で、選考において不利になるのは否めない。そのリスクを背負う覚悟がなければ、入社後すぐの退職は思いとどまったほうが賢明かもしれない。
<TEXT/トシタカマサ>
【トシタカマサ】
ビジネスや旅行、サブカルなど幅広いジャンルを扱うフリーライター。リサーチャーとしても活動しており、大好物は一般男女のスカッと話やトンデモエピソード。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。