【クラブワールドカップ】浦和レッズもビックリ! リーベルプレートは世界最大の観客動員を誇るクラブ

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2025年06月17日 07:10  webスポルティーバ

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連載第54回 
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 FIFAクラブワールドカップが開幕。浦和レッズは初戦でアルゼンチンのリーベルプレートと対戦します。世界最大の観客動員を誇るこのクラブの歴史と、本拠地エスタディオ・モヌメンタルを訪れた時の思い出を記します。

【1試合平均で8万5000人近くを動員】

 ジャンニ・インファンティーノFIFA会長肝煎りの「クラブW杯」が6月14日(日本時間15日)に開幕。17日(同18日)には浦和レッズがアルゼンチンのリーベルプレート(以下、リーベル)と対戦する。

 浦和はその後、インテル(イタリア)、モンテレイ(メキシコ)とも対戦する。インテルはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)で決勝に進出した強豪だ。

 だが、インテルは長いシーズンが終わったばかり。シーズン最後のCL決勝まで戦っており、疲労はかなり蓄積しているはず。しかも、そのCL決勝でパリ・サンジェルマンに大敗してシモーネ・インザーギ監督が退任。後任としてクリスティアン・キヴ監督が就任したばかりだ。

 チーム状態がいいわけはない。また、欧州のクラブがこのクラブW杯に対してどこまでのモチベーションを持っているかも疑わしい。彼らの目は、すでに来季の戦いに向いているに違いない。

 一方、浦和はシーズンの真っ最中。モチベーションも高く、マチェイ・スコルジャ監督はこの大会をひとつの目標として、逆算しながらチームを作ってきた。J1リーグでは5月後半から6月上旬にかけて連戦による疲労で結果が出ない時期もあったが、クラブW杯に向けて十分な休養を取ることもできた。

 したがって、浦和はインテルに対しては期待以上の戦いができるような気がしている。

 しかし、初戦のリーベルはそうはいかないだろう。

 南米勢は日本で開催されていたトヨタカップの時代からそうだったが、欧州勢(あるいは北半球)への対抗意識が強く、モチベーションも高い。そして、こちらもシーズン中の戦いだ。

 また、浦和の熱心なサポーターも数多く太平洋を渡ることだろう。たとえば、中東あたりでのアウェーゲームでは日本のサポーターの歌声がスタジアム中に響くことは多い。だが、相手がリーベルではそうはいかない。

 なにしろ、リーベルは1試合平均で8万5000人近くを動員するというクラブなのだ。

 かつて、日本で開催されたクラブW杯で森保一監督率いるサンフレッチェ広島とリーベルが大阪・長居スタジアムで対戦した時、広島より多くのリーベルのインチャ(サポーター)が詰めかけたことがあった。試合後に鶴ケ丘駅からJR阪和線に乗ったら、車内でアルゼンチン人たちがボールを蹴り合っている光景に出くわした。

 米国西海岸は地理的に大阪より近い。万単位のインチャが押しかけることだろう。

【リーベルプレートの成り立ち】

 リーベルの正式名称は「クラブ・アトレティコ・リーベルプレート」。スペルは「River Plate」。英語である。

 その「River」つまり「川」の部分をスペイン語読みにして「リーベル」(スペイン語には「v」と「b」の区別がないので「ヴェ」ではなく「ベ」)、「Plate」の部分は英語の発音のまま「プレート」と読む。つまり、英語とスペイン語の発音が混じった不思議なクラブ名なのだ(日本では「リバープレート」という表記も使われる)。

 クラブは1901年にブエノスアイレス南部のボカ地区で創設されたのだが、たまたまメンバーのひとりが港で木箱に書いてあった「The River Plate」の文字を見かけて、これをクラブ名にしたというのだ。

「River Plate」というのはブエノスアイレスを流れるラプラタ川の英語表記だ。対岸が見えないほどの川幅だが、その対岸はウルグアイである。

 スペイン人は16世紀にアンデス山脈にあったインカ帝国を征服し、そこで大量の金や銀を手に入れた。しかし、大陸の大西洋岸では貴金属や特産物は見つかられなかった。そして、沿岸を南下していくと大きな入り江を発見。太平洋とつながる水路かと思われたが、実はこれは大河の河口だった。そして、スペイン人たちは上流で銀が産出されるに違いないと思って「リオ・デ・ラ・プラタ」(ラプラタ川)と名づけた。スペイン語で「銀の川」である(上流は「パラナ川」と呼ぶ)。

 しかし、実際には銀は見つからず、ラプラタ川沿岸の開発も進まなかった。

 アルゼンチンは19世紀初めにスペインから独立したが、19世紀後半には経済的に英国に支配されるようになり、大勢の英国人が住んでいた。そのため、南米大陸ではいち早くフットボールが盛んになる。

 輸出する小麦をラプラタ川沿いの港まで運ぶ鉄道に勤める技師や労働者も、フットボール・クラブを作った。ブエノスアイレスには今でも「フェロカリル・オエステ」(西鉄道)というクラブがあるし、リオネル・メッシの故郷であるロサリオには「ロサリオ・セントラル」があるが、これは「中央鉄道」のクラブだった。

 ちなみに、ロサリオにはスコットランド人労働者が多かったので、ブエノスアイレスではロングボール主体のイングランド流がまだ盛んだった頃から、ショートパスをつなぐ"美しい"フットボールを行なっていたというのが、今でもロサリオの人たちの自慢になっている。

【1978年W杯の思い出】

 さて、リーベルは1923年に本拠地をボカから市内北部に移す。そして、1938年にはラプラタ川岸の湿地帯を埋め立ててエスタディオ・モヌメンタルが完成した。

 僕が初めてここを訪れたのは1978年のアルゼンチンW杯の時だった。地元アルゼンチン代表の選手入場時に観衆が一斉に投げる紙吹雪やレパートリー豊富な応援ソングには圧倒されたものだ。

 アルゼンチンとオランダとの決勝もモヌメンタルが舞台だった。1対1のまま延長戦に突入した試合はアルゼンチンが延長で2点を奪って優勝を決める。すると、興奮した観客が次々とピッチに下りて行った。

 当時のモヌメンタルには陸上競技のトラックが存在し、そのトラックの上に仮設スタンドが設けられていたので、今では考えられないが、そこを伝って簡単にピッチに降りることができたのだ。

 メインスタンドで観戦していた僕も、早速ピッチに下りてみた。そして、記念品として芝生をひとつかみちぎって持ち帰ったのだが、もちろんすぐに葉っぱは枯れてしまった。あとで「コーナーフラッグでも持って帰ればよかったな」と反省したものである。

 その後も、アルゼンチンを訪れるたびにモヌメンタルには何度も通って、リーベルのリーグ戦やリベルタドーレス杯、あるいは代表のW杯予選などを観戦した。最後に訪れたのはもう14年も前のこと。2011年のコパ・アメリカ決勝だった。アルゼンチンもブラジルも準々決勝で敗退し、決勝でパラグアイを破ったウルグアイが優勝した。

 この時のモヌメンタルは、1978年当時とほとんど変わっていなかった。陸上トラックもそのままだったし、観客席の席種やトイレの位置を示すピクトグラム類もそのまま使われていた。

 20世紀末のアルゼンチンは軍事政権が引き起こしたフォークランド(マルビナス)戦争で英国に敗れたり、民主化後には放漫財政による経済危機に見舞われたりして、スタジアムの改修どころではなかったのだろう。

【スタジアム改修で南米最大に】

 21世紀に入って、多少は安定を取り戻したアルゼンチン。2011年のコパ・アメリカの前には、ブエノスアイレス州の州都ラプラタ市に新スタジアム(エスタディオ・ウニコ・ディエゴ・アルマンド・マラドーナ)が完成した。そして、2020年にはモヌメンタルの大改修が行なわれた。

 陸上競技のトラックが撤去されて、そこに新しくスタンドが設置され、サッカー専用スタジアムに生まれ変わった。それまで7万人台だった収容力は約8万5000人になり、そして、驚くべきことにリーグ戦ではほとんどの試合で満員に近い観衆が集まるのだ。

 モヌメンタルは南米大陸最大のスタジアムとなり、リーベルは世界最大の観客動員を誇るクラブに成長した。

 モヌメンタルにはしばらく行ってないが、いつかもう一度訪れてみたいものだ。2030年のW杯では開幕直後の3試合がウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイで行なわれるという。行ってみたいなぁ......。

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